親愛なるS様へ FBコメントの返信にかえて
伊藤雅風作 藻掛け急須
ご挨拶
ご無沙汰しております。長い時間同じ会社の東京と大阪で過ごしたのですが、会話が一番成立したのは、貴君が入社後すぐの1970年代後半の仕事だったり、1980年代の労働組合の会議であったり、その後の飲み会だったりの記憶が強いです。86・87年は、忙しい活動時期だったこともあり、貴君を始め大阪の執行部の方と沢山話す機会があり、記憶にのこっている方が大勢います。皆様もすでにほとんどの方は退職されたと思います。現在年賀状で繋がっているのは貴君だけとなりました。会社も分社化ほか、生き残るため諸策を尽くし現在に至っているのだと思います。2012年2月退職後8年の歳月が経ち、業界の事情日々に疎しの状態です。
再会はFaceBookかも
FaceBookは友人の勧めで加入、友人達の話題の共有媒体として「いいね」を押し続けておりました。ツイッターはやっておりません。なにか向かない気がしています。FBも、友人がアカウントをジャックされたりして、怖さは感じております。特に主義主張に触れる時は、きっと誰かに覗かれているのだと覚悟して投稿しております。
新型コロナウイルスとの遭遇
貴君のFBでの発言には注意を払っています。現状分析も考えも解りやすく明快です。私はコメント画面で上手く纏められない為、持論(自論)を語る場合自身のブログ「俳茶居」にて掲載しております。2020年2月より新型コロナウイルス感染について週一程の頻度で状況への発言を続けております。コアな少数の読者がおり、互いに補いながら論を進めることもあります。
私の論点はウイルス感染を「病」として捉え、新種のウイルスの為、特効薬もワクチンも無い中、如何に感染を押さえ収束させていくのか、人的被害を最小限にする策は何かなど、見識ある方々の発言や論を集め、自分なりの考えを伝える努力をしております。京都大学の山中伸弥先生、本庶佑先生や見識ある方々の発信には特に耳を傾けるよう心掛けております。発信された彼らの言葉にはエビデンスの裏付けがあり、更に強い倫理観を感じることが出来ます。日本の政治のトップが発する軽薄な言葉や稚拙なパフォーマンスとは大違いです。
失われた7年半の不毛から学ぶ
第二次安倍内閣が2012年12月に始まり、2014年より「秘密保護法」、「集団的自衛権容認」、「共謀罪」制定へ、立憲主義を逸脱した手法やその後も続く「森友、加計問題、桜の会」に見る権力の私物化は目に余ります。民主主義の危機を皆感じていると思います。私達はそのたびに国会を取り囲み声を上げました。しかし長期政権を退陣に追い込むことは出来ず、不健全な政治状況が腐臭を放つように迄なっています。この状況を変えるのには、ただ現政権を権力の座から放逐する事です。事態はそこまで切迫しております。
今回のコロナ禍で、この国の災いの源が何処にあるのかさらに明確に理解できたのではないでしょうか。他国の優れたトップが、ウイルスとの闘いに際し、国民の命と生活を守るため発した言葉が、素直に胸を打つものが多かったからです。ドイツのメルケル首相、ニュージーランドのアーダーン首相のスピーチは、国は国民に寄り添い守り抜く決意と、国民に強いることとなる厳しい措置を止むを得ぬことと丁寧に訴えています。勿論補償に関しても次々に対策を実行し、国民を安心させることに成功しています。台湾の蔡英文総統のスピーチも安定感のある自信に満ちたものでした。
そんな今、私達が気を付けなければいけないのは、現政権はこの期に及んでも、改憲の口実を狙っている事です。5月3日の改憲派の集会の論調はその通りで、内田樹さんも見抜いていますが、打つ手が上手くいかなくなった時、現憲法のせいにすり替えることです。今の憲法では強力な対策が法的に担保されないと言い出すに違いないからです。あるいは独裁の牙をむき出し改憲が中心課題にならなければ良いと危惧しています。
その時は近いかもしれない
森友問題報道でNHKを追われた相沢冬樹さんが連載を続けている週刊文春で、自殺した赤木俊夫さんの奥様が、財務省公文書改竄事件の再調査を求める裁判を起こしました。それに対する世論調査の中で、自民党支持者の60%が再調査すべきと答えています。何かが自民党支持者の中で崩れて行く気配を感じたのは、私だけは無いと思います。組織は外圧には比較的強いものです。組織が壊れる時は、内部から壊れて行くのだと思います。今回のコロナウイルス禍と、赤木俊夫さんの奥様の訴えは相当現政権に痛手を負わせていると見ます。文化、芸術、芸能、スポーツ関係者なども、自らの存在意義を問うように、政府批判をする人たちも増えました。SNSの良い面が出ている所だとおもいます。
それぞれやれることをやる
大変な時は声を出そう
医療崩壊が喧伝されておりますが、東京の医療の逼迫度が明確に伝わって来ません。ただ幾つもの病院での院内感染や、保健所業務の脆弱な状況が伝わって来ます。先週、東京都医師会にメールし「古稀の老人ですが、東京の医療危機に対し何かできることと思い寄付金を届けたいのですが、日本財団がやられているような、銀行口座への振り込み、クレジットや電子マネーでの引き落としでの寄付活動を運営されていないのですか」と尋ねました。今週電話があり、「メールに振込先の案内を送りますが、別メールでパスワードを送りますので、そのパスワードを入力し振込先を確認の上銀行にて振込願います。又、添付の寄付申込書に所定の記載をし送付又はFax願います。」との事でした。これが1月とかの話なら、寄付制度が篤志家や税金対策を考慮し高額寄付をする人や組織向けの平時のシステムなのだと理解できたかも知れません。4月下旬でもそのままのやり方をしている東京都医師会って、本当に医療崩壊の危機感持っているのかなと疑問を持ってしまいました。保健所がPCR検査の遅滞でやり玉に挙がっていますが、現場は人員不足で火の車だと思います。しかしそのことを解決するために、どんな手立てが施されたのか見えてきません。それは医療の現場でも同じだと思います。平時の状況でないことは誰も想像が出来ます。医療崩壊を回避するために、「人・モノ・金」さらに強いリーダーシップが必要です。その為情報を公開し、必要な支援を正直に都民・国民に訴えることが大切だと思います。
人間とウイルス共存の道
人類とウイルスは長い関係です。我々人類は地上で勢力を伸ばすために環境に影響を与え続けてきました。自らの生存のため、沢山の種や生物を消滅させてきたと言ってよいでしょう。ウイルスは生きて行くために、生物に寄生しなければ生存を維持できない宿命を持っています。その為、ウイルスの生存が脅かされる時には変化を繰り返します。近年の人類とウイルスとの関係は、感染しない為の新ワクチンの開発と、ウイルス側の変身の繰り返しです。大きな時間軸では手強いものが必ず現れます。嘗てのペスト、スペイン風邪、エイズ、エボラ出血熱、サーズなど、多数の人命を奪った感染症の恐怖は今後も続きます。地上からウイルスを駆逐することは不可能だと考えます。ではどう付き合うのか。全員が感染し、全員抗体が出来ればそのウイルスの脅威は終わります。あるいは、ウイルス感染を初期の段階で囲い込み他に感染を広げなくすることです。感染者が少ない時、その感染者が人に感染させなくなるまで隔離し続ければ収束します。亡くなる人も少なくなります。被害の度合いで考えれば、この考えに立つのが自然です。しかし囲い込みに失敗すれば、感染が拡大し、医療が崩壊するかもしれません。そして多くの人命が奪われます。今回の新型コロナウイルス感染に関しても国別に当初の対策が違いました。現在世界が採っている策は、ほとんどが感染者の囲い込み策です。アジアでは、台湾と韓国は動きが早く、4月末現在では感染者の発生は無いか最小限の数にとどまっています。テレビでは市中に人は出ており、大方の店舗は開かれています。経済活動が戻っています。日本の対応がどう見てもちぐはぐに見えます。
格差社会の是正と中流階級再生
人類は特に近代以降、快適で豊かな暮らしを標榜し、逆に環境破壊をエスカレートしてきました。しかし解ったことは、豊かになれる人は限られ、一部の人達への富の集中と、大方の貧乏人を生み出す仕組みに世界は組み込まれ、加速度的に進行していると言えます。正規・非正規雇用者の生涯賃金格差、年金未加入者の増加と老後の格差、親の年収による子供の教育機会の格差など格差は数値化されています。今回のコロナ禍でも、よほど理にかなった対策が無ければ、格差社会は加速されるに違いありません。この国の自殺者は2019年で約2万人。十年漸減を続けてきましたが、この数字も今回指標の一つとして注目しなければならないと考えます。
やがてコロナ禍は終焉します。いつかは不明ですが収束します。そして忘れやすい日本人は、沢山の犠牲を払ったウイルスとの闘いの事も忘れてしまう時が来ます。しかしもし賢明な政治・経済・社会のリーダーが残っていたら、国民と社会や国家が闘いで学んだ成果を未来に生かさなければなりません。強い国とは兵器や軍隊の数ではないと理解できるはずです。強い個人とは、自分だけが金を儲けていい暮らしが出来ればいいと考える人間ではありません。強い社会とは一つの考えに拘泥される息苦しいものではなく、闊達に意見が交換出来る自由な社会です。
嘗て、昭和30年代から40年代、日本には高度経済成長社会と言われた時代がありました。時代の良し悪しを言いたいのではありません。その時代、日本人の90%が自分は中流に属する意識を持っていたのです。そんな時代は日本、いや世界でもなかった時代だと思います。毎年給料が上がり、消費が拡大し、一家に一台の家電がご近所ほぼ同時期に備わって行った時代があったのです。思想家吉本隆明も、日本の市民にとって、歴史で一番良い時代だったのではと語っていた記憶があります。嘗てイデオロギーで革命を志向していた左派活動家を唖然とさせました。
内田樹も
「中産階級が没落して民主主義が形骸化」してしまうことを大いに心配しています。中産階級との言葉も時代的ですが、民主主義を強固に根付かせ、醸成していくには必須の人達と定義しています。私もその論に与する者です。
終りに
溜っていたものを書き起こしお届けするご無礼をお赦し願います。遠い学生時代、議論は流行りでした。現代の若者は苦手というより愉快ではないようです。ただどうしても言わなければならない事は、言葉に残そうと思っています、Sさんのコメントに甘えて、長文の返信になりましたことお許しください。数少ない私のブログの読者から、反応があればうれしいです。 2020年5月5日 俳茶居