次男が中学生の時、宮古市と姉妹都市の多良間との交流事業で沖縄に行かせてもらったんですが
海ぶどうが美味しかったと
海ぶどう
この辺でも、ごくまれに見るんですけど
だいたい
しなびてる(泣)
プチプチの食感が特徴なのでフニャフニャでは台無しです
「なんでこんなにフニャフニャなの?」
「沖縄遠いからな。輸送中に弱るんだべ」
「じゃ、この辺で育てればいいのに」
「沖縄の海で育つヤツを田老でか?」
「お父さんできない?」
「おめえ、オレは海藻を20年以上育ててんだ。そんなもん楽勝だべ!」
(って、ホントは全く根拠も自信はないんですけど)
調べたら、強い照度と30℃ぐらいの高水温を維持することが必須らしい
なら、夏に閉鎖循環で外に置いとけば行けるっしょ
って、何年も前からやろうと思ってたんですけど
夏になると、ウニ漁やらワカメの採苗やら色んなことが立て込んで、気づいたら秋
でも、今年は福島の企業が海ぶどうの生産に取り組むらしいので
負けてられない
オレが先にやる
今年こそは本気でやらねば
岩手県田老産海ぶどう
できたらおもしろいでしょ?
さて、今年は10年に一度、漁業権の免許を申請する年です
漁業者って実は国から免許をもらって漁業を営んでるんですよ
免許がなければただの人
なので、免許申請は漁協にとって最も重要な仕事の一つです
申請には膨大な資料が必要となるので、通常業務と平行しながらずっとアップアップでやってきたんですが
真崎ワカメのMEL(マリンエコラベル)の更新審査を5月末に実施することになり
(なんで、免許申請と同時期になるのよ(泣))
こちらもまた膨大な資料が必要で
(こりゃ、寝ずにやっても間に合いそうがない)
ってボーゼンとしてましたら
昨日、突然
過年度に実施した補助事業の実績報告を5月中に提出するように
って連絡がありまして
ウソッ(汗)
終わったな・・・・こりゃ(泣)
本日、栽培漁業の補助事業説明会があるから来てくれ
というので合庁へ行きましたら
「すでに提出していただいてる栽培漁業の補助事業にヒラメも追加することになりましたので、計画変更をして5月中に計画書を提出願います」
え”っ・・・・・
もはや、何をどうやっても全てを完了させるのはムリ
なんですけど
平成23年の春、当時の組合長が
「来年の春には真崎ワカメの生産を再開する」
って宣言しちゃったんですよ
津波で漁港はグチャグチャ
動く船は1隻もなく
ロープの一本もなく
カッパも救命胴衣さえもない状態で
何をどうやって復活するの?
どう考えたって絶対ムリでしょ?
ほんの9ヶ月かそこらのうちに
船を揃えて、養殖施設を作って、種苗を巻き込み、ボイル加工場を完成させてボイルしろだなんて
できるわけがない
なにしろ、青森・岩手・宮城・福島の漁業関連施設が壊滅して、船やロープの争奪戦が熾烈を極めてましたし
我々が仕事をする事務所には、電気も電話も通ってなかったんだもの
そんな状態で何ができんの?
そんな発想が出てくること自体信じられない
でもね
結果的には
できちゃったんですね
漁業者はもちろんのこと、ロープを作る人、船を作る人、養殖施設を作る人、加工機器を作る人、お金をどうにかする人、色んな人がほんと自分の力以上の不思議な力を発揮して
たった9ヶ月かそこらで真崎ワカメが復活してしまった
きっとみんなランナーズハイみたいな状態だったんじゃないでしょうか
あれを思うとね
どんなことでもできそうな気がする
できないっていうのは甘えのような気がする
ってか、こんなくだらないことをだらだら書いてる時間に仕事しろって話ですけど(笑)
あの頃思ったのは
徹夜とかしちゃだめ
どこかで限界が来るから
人は寝ないわけにはいかないので、無理すると必ず反動が来る
短期決戦でそれが終われば何日も休めるって言うならそれもいいかもしれませんが
長丁場ではムリは停滞のもと
毎日同じようにがんばって
毎日1ミリでも前進すること
絶対に止まらず、毎日1ミリでも前進してれば
いつか終わる(笑)
あっ、いつかじゃダメだった・・・・