フォトギャラリーは18歳の春。人それぞれでしょうが色気ムンムンかと。あまり記憶にありません。初見かな。
プレイバック百恵の言葉は「新宿」です。「山口百恵の街」と言えば「横須賀」が思い浮かぶ。 だが熱烈なファンにとって「百恵ちゃんに会いに行った場所」と言えば「新宿」かも知れない。
75年から80年まで新宿歌舞伎町の新宿コマ劇場で「百恵ちゃんまつり」が開催されていた。でも百恵は新宿駅から歩いて行った訳でもないし、芸能界に入る前も横須賀から遊びに行く機会はほとんどなく、コマ劇場以外新宿を知らなかった。
「泥だらけに純情」は新宿が舞台で、カメラマンらスタッフが隠し撮りをするかたちで街頭での撮影が決行された。目ざとい人たちに囲まれるとスタッフが助け出し駐車場に避難するという、スリリングな撮影だった。
「新宿ってもっとおっかない街かと誤解していたけど、そうじゃないわね。新宿には若い人の本当の生活があるみたいだわね。通行人の人たちの姿が実に生き生きしているのね。」
「ラッシュでGパンにTシャツで歩く自分をスクリーンで見たときに、群衆の中の一人の女の子……って感じに撮っていた」と自慢している。
映画の撮影でしか新宿の街を歩けなかった。山口百恵だけではないが、中学生から芸能人になった人の青春の一断面だ。と話しています。
岩井志麻子さんの「赤の壺」は「百恵、暢子、良子……三者三様の女模様」です。 「迷路」は不幸や苦悩が渦巻いたが百恵の笑顔で終わる。なんだろう、妙に引っかかる。百恵には不幸が似合う。ドラマの中では影を引きずっていてほしい。
「運命」では中盤になって秋野だけ本当のことを知らず、もうお嬢様生活にどっぷり浸かっているのではなく、苦悩と不安に打ちのめされている。それでも視聴者は「いつ本当のことを知って不幸のどん底に叩き落されるか」を待っている。百恵の不幸への期待とは、また違う。秋野は不幸に耐える姿がけなげでいじらしいとは思えなかったからだ。秋野にはあんまり不幸が似合わない。
「迷路」の中野が、実は貞淑で純情な女ではなく、宇津井や優作を惑した奔放な女じゃないかとみんな気付いていた。それが似合うような似合わないような微妙な感じだったから、これはこれで曖昧なままで終わってよかった。と話しています。
曲は79年7月「L.A.Blue」から「猫が見ている」をどうぞ。なぜって今日は2(にゃん)月22(にゃんにゃん)日で猫の日だからです。結構テレビでもにゃんにゃん言ってます。
★猫が見ている★
どんどん大人びた女を表現するようになっていく。
刺激する僕、呼応する百恵さん。 by 紀信