「麻雀の打牌に制限時間は必要か」
という議論は定期的に起こるが
・競技麻雀には必要無い
・巷の一般的な麻雀にも必要は無いが、「公の精神」が不可欠
と私は考えている
結局要らないんか~い
ちょっと違う
「公の精神」が言いたい部分
「公の精神」との説明だけでピンとくる人なら話は早いんだけども
1:競技麻雀では?
競技麻雀に関してはお互いの同意がすでになされているというかみんなでじっくり迷ってじっくり考えて麻雀しましょう、的な
どれくらい時間を使っても問題無いのでそもそも要らない
それでも日程というか、その日の終電だってあるわけで限度はあるだろうが
10年以上前にプロ麻雀協会のB1を見学したことがあるけど確か最終節で、やっぱりみんなじっくり考えていた記憶がある
まあ、共通の目的を持って麻雀打つ集団ってのはこういうもの
2:巷の一般的な麻雀では?
巷の麻雀に上の考えを持ち込むと大変
不特定多数が出入りするフリー雀荘にはそんな同意は無い
それぞれ目的が違う場合がほとんどで、麻雀自体を楽しみたい人、勝ちたい人、単純に暇つぶしの人、様々
お互いの価値観は否定してはいけないが、時間制限が無いのをいいことに
「納得いくまで考えて何が悪い、責任取れんのか?」
といった考えは「公の精神」に欠けると思う
さっきから「公」言ってるけど、ずいぶん噛み砕いて言うと
「自分と麻雀打ってくれてる同卓者がいますよ?」ということ
フリー雀荘だとだいたいみんな貴重な時間を割いて遊びに来ていて、その中での過度の長考や度重なる長考は同卓者にとっては迷惑でしかない、まあ、嫌がられることが多いと思う
いきなり3件リーチが入ったとか、他家の厳しい仕掛けに手詰まってなるべく安全そうな牌を改めて探すとか、そういうたまにある局面なら理解されるとは思うけど、一打一打河眺めて首かしげてみたいなのはプロの真似ごとをしてるようにしか見えないし、プロほど手が見えてるとも思えない
というかプロはそんなもの普通に使い分けてる
ゲストでフリー雀荘に呼ばれたプロがド長考してるのを私は見たことが無いし、遊びに行ったフリーの常勤のプロでもそう
フリーではみんなサクサク打つ、当たり前
3:まとめ
巷のフリー麻雀に一人一人の制限時間は無いが
同卓者には一人一人
「許容できる時間・できない時間」
があることは知っておかなければならない
そしてそれを理解し、同卓者の気持ちを考えて行動する
「公の精神」
が必要不可欠![]()
ちなみに
セット麻雀は「友達同士でわいわい遊ぼう」
初心者の勉強会は「みんなでじっくりお勉強」
健康麻雀は「みんなでまったり麻雀打とう」
といった同意があるので許容できる時間は相当に延びる
むしろ許容することが「公の精神」だったりする
むっず![]()
