31冊目:ほっといて欲しいけど、ひとりはいや。 寂しくなくて疲れない、あなたと私の適当に近い距離
ダンシングスネイル
2022/06/02
32冊目:人生を変える輝く女性のことばと夢を叶える絶景
パイ インターナショナル
2022/06/02
【感想】
表紙を見て読みたくなった本たち〜
うんうん、と共感できた言葉たちを記載します
まず1冊目
必要なときにいつもいない人なら、最初からいないほうがマシ。(P43)
私にとってはパッとしない相手が、誰かにとってはこの世にまたとないロマンチストになり得る(P87)
世の中には「いい人」と「悪い奴」だけが存在するわけではない。
私だって、属している関係の中で誰に対してもいい人であるはずなどない。(P87)
イヤだと思うことに他人の許可はいらない。(P96)
自分がほかの人よりちょっと過敏だとしても、それは感情を否定される理由にはならない。
イヤな状況になったら思い出そう。
「私がイヤだと言ったらイヤなんです」。(P96)
真の自己肯定感は、比較を通した相対的な満足感ではなく、絶対的な自己承認によって得ることができる。(P99)
信じていた人に傷つけられると余計に痛い理由は
キズそのもののせいではなく
その人を信じていた自分自身までイヤになるせい。(P126-127)
振り返ってみると、学校や社会で出会った人たちのうち、こちらが頑張って関係を維持していた人であるほど、今は疎遠になっていたり忘れている。
オーバーに振る舞わないと維持できない関係は、時間が経つにつれて自然と終わっていくものだから。(P150)
人の力でどうにもならないのが人の心。
他人の心を気にするより、まずは自分の面倒をみよう。
思い通りにならないなら、思うがままに。(P162)
自分を犠牲にしないと維持できない関係は、平等な関係でも意味のある関係でもない。(P194)
ドキドキだけでは新しい関係を始める勇気を出すのに充分でないとき、人生の舞台からちょっと降りて、観客になってみてはどうだろう。「話がどう進むかひとつ見てみよう」という気持ちで、自分が置かれた関係を一歩引いたところから眺めてみたら、はるかに面白いシナリオが待っているかもしれない。(P199)
友情の深さは必ずしも過ごした時間に比例するわけではないらしい。昔の友達であれ、新しい友達であれ、関係に費やした時間、共に過ごした歳月に未練を持たないことにした。
どんな関係をより大事にするかは、個人の選択の問題に過ぎない。(P208)
他人の存在は、それ自体が幸せの絶対的なカギになるわけではない。いい家族、いい恋人、いい友達はそれを助けるだけ。
人は幸せになるって自分で決めた分だけ幸せになることができる。(P224-225)
ある人の存在自体が自分の幸せに大きく影響するわけではない(P226)
よく考えて見たら、私が感じたのは人の不在による寂しさではなかった。最も重要な感情や価値を共有することで感じてきた「心の安定」が失われることへの恐怖だったように思う。
誰かと一緒に過ごすことは、確かに心理的な安定感をもたらす。けれど、それが必ずしも心の奥底にある欠乏まで満たしてくれるとは期待しがたい(P226)
自分の幸せに責任を持てるのは自分しかいない。でも、その幸せはいろいろな関係を通じて増幅する。(P227)
人は、自分の成長過程に欠乏していたものを愛する人に与えようとする傾向があるという。(P238)
誰もが自分の経験から作られたレンズを通して世の中を理解するしかない。ただ、ときどき、愛する人たちの視線の先にある、自分とは少し違った観点の世界にも目を向けてほしいと思う。
そうすることで、また違った愛の方法を学習していけるのではないだろうか。(P239)
そして2冊目
私はすごく不完全な人間だけど、だからこそ自分のことが好きなのよ。(メグ・ライアン)
地獄を見ても突き進む。私の信条よ。前進あるのみ。(ハル・ベリー)
私は自分を信じてるし、信じたいし、信じていく。時々見捨てたくなるけれど私は自分を信じぬく。(笹田雪絵)
女性は強さではなく弱さを楽しまなくては。(ココ・シャネル)
ほかの誰かではなく、自分自身の最高を目指すべきよ。(ジュディ・ガーランド)
自分に限界を与えないこと。それが鍵。(マルチナ・ナブラチロワ)
昔に比べてだいぶ自分のことが理解できてきて、どんなことで喜ぶのか悲しむのか、
落ち込みそうになったとき、落ち込んだ時にどうしたら早くリカバリーできるかなどがだいぶわかってきました
ふとした時に思い出す言葉があって、それが
「みちづれはいても、ひとり 」です。
これは過去に読んだ寺地はるなさんの小説のタイトルなんですが、そのとおりだなと思っていて。
自分の"幸せの手綱"を他の人に渡しそうになるときに思い出すようにしています。
人生のみちづれはいるかもしれない。
けれど、最終的には人は独りぼっちだということ。
孤独とか寂しい意味ではなく、自分を支えられるのは自分だけ、と解釈してます。
思えば、恋愛でも結婚(まだしてないけど)でも、"私を幸せにして!!"って下心があったんですよねー。
今考えれば、人に幸せにして貰おうという時点でうまく行かないのは目に見えていますが…。
プレゼントでもなんでも、その分私を幸せにしてくれという見返りを求めてあげていた気もする。
私の幸せは私が創るものであって、
人にしてもらうことではない。
それに気がつくのにだいぶ時間がかかってしまったし、たくさん傷つきもした…
でも、それに気づくことができた自分を偉い!と思います。
人と比べたら、自分は周りよりも10年くらい思考も行動も遅れてるな〜と思いますが、
最近では、人より劣ってるからどうした、
と思うようにしてます。
人よりも遅れててもいいじゃないか〜、
対過去の自分で比較したとき、成長してるんだから偉い〜って考えるようにしてます。
もうあれこれ人と比べて落ち込むのはやめた!
SNSでキラキラして見える同級生も、私の人生のうち一瞬を共有しただけの人。
そういう人と自分を比較して落ち込む習慣をやめました
人は人。自分は自分。
これに気がつけていたら、学生時代とかすごく精神的に楽に過ごせたのになーと思いますが、
あの経験がなければいま気づくこともできなかった気もする。
から、何事も経験しておいてよかった、とも思う
ちょっとまとまりがなくなっちゃいましたが、最近は生きやすくなったなーと感じてます