ナイルパーチの女子会
柚木麻子
2022/05/01
★ひとことまとめ★
二人は出会わなければ良かった?
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
丸の内の大手商社に勤めるやり手のキャリアウーマン・志村栄利子(30歳)。実家から早朝出勤をし、日々ハードな仕事に勤しむ
彼女の密やかな楽しみは、同い年の人気主婦ブログ『おひょうのダメ奥さん日記』を読むこと。決して焦らない「おひょう」独特の価
値観と切り口で記される文章に、栄利子は癒されるのだ。その「おひょう」こと丸尾翔子は、スーパーの店長の夫と二人で気ままに
暮らしているが、実は家族を捨て出て行った母親と、実家で傲慢なほど「自分からは何もしない」でいる父親について深い屈託を
抱えていた。
偶然にも近所に住んでいた栄利子と翔子はある日カフェで出会う。同性の友達がいないという共通のコンプレックスもあって、二
人は急速に親しくなってゆく。ブロガーと愛読者……そこから理想の友人関係が始まるように互いに思えたが、翔子が数日間ブロ
グの更新をしなかったことが原因で、二人の関係は思わぬ方向へ進んでゆく……。
女同士の関係の極北を描く、傑作長編小説。
第28回山本周五郎賞受賞作。
【あらすじ & 感想】
久しぶりに柚木さんの本を読もうと思いまして
ブログを書くため調べていたら、去年ドラマ化もされていたんですね
キャリアウーマンの栄利子と、栄利子が憧れるブロガー”おひょう”こと翔子の2人の視点で話が進んでいきます。
読み始めた時は、「丸の内商社勤め年収1千万以上のキャリアウーマンの話か…そういういわゆる成功している人の話、今は読みたくないんだよな~」と思ったのですが、読み進めていくうちにズブズブと栄利子の黒い部分に足を取られ、こんなはずでは…いい気味で期待を裏切られました。
仕事で成功できる能力と、女友達を作れる能力は全く別なわけです。
キャリアウーマンで容姿端麗、全て持ち合わせているかのように思える栄利子に唯一足りないのが”女友達”。
そんな栄利子が日課としているのが、ブログ「おひょうのダメ奥さん日記」を毎日欠かさず読むこと。同い年のおひょうの書く文面は、等身大で無理している感じがなく、とぼけているようだがシャープなものの考え方をしている。
彼女の行きつけの店には顔を出し、彼女の勧める商品ならすぐに買ってみる。
会ったこともないけれど、おひょうとならきっと友達になれるのではないか…
片や、ブロガーである翔子。”おひょう”として日常を日記として投稿している。生まれ育ったわけではないこの街に、いまだに慣れることができない。ブログを通じて、ようやく居場所を見つけられたような気がする。
ある日、出版社からブログを書籍化をしてみないかという打診があり、翔子は編集者と行きつけの店「ジゼル」で打ち合わせをしていた。編集者が帰り、一人店で考えあぐねていたところ、一人の女性に声をかけられる。
「あの、ひょっとして、あなた‥…、『おひょうさん』ですか?」
声をかけた女性は栄利子なわけですが、こうして二人は出会ってしまいます。
ここで出会ってしまわなければ…この出会いが最悪の始まりでした。
タイトルにあるナイルパーチは、栄利子が仕事で担当することになった食用魚。凶暴な肉食魚で、湖に放流すれば一つの生態系を破壊してしまうほど。生きるためなら、仲間だって食べてしまう。
栄利子はまさにナイルパーチ。
人との適正な距離感がつかめない彼女は、自身の寂しさを埋めるため、友達を所有物として扱ってしまう。どんなときでも自分の思い通りに動いてほしい、自分を一番に考えていてほしい、ずっと一緒にいて欲しい。
持ち前の優秀な頭脳を活かし、相手の行動パターンを分析して付け回す。自分のそばに置くためなら、弱みを握り脅すことも厭わない。
友達の周りの交友関係も食いつくし、最終的には本人さえも…。
もともとはまともな翔子も、脅され孤立させられていくうちに徐々に狂っていくんですよね…。
既視感のある行動…まさに栄利子が翔子に行っていたこと。
最終的には、栄利子も翔子どちらも元の安定した環境を追われることになり、二人は決別して生きていくことになります。
良かったのか、悪かったのか…けれど、少なくとも言えるのは二人が出会っていなければこんなことにはならなかった。
栄利子の底知れぬ寂しさはきっともう誰にも埋めることはできなくて、本人が自覚して生きていくしかない。自身が”ナイルパーチ”であることを。大切な人も含め全てを食べつくし、一人ぼっちで悠々と泳いでしまうことを。
自分でも思うのですが、誰かからもらう安心感や幸せは有限且つ中毒性があるな~と。
その時はとても楽しくて幸せかもしれないけれど、別れたあとから寂しさがやって来る。あの時の楽しさ、安心感を知ってしまったからこそ、それを超えるものをもっともっと欲しいと思ってしまう。
自分で自分の機嫌がとれないうちは、人にそれを求めてはいけないなと思います。
それができないうちは、相手を幸せにしてあげることもできないんじゃないかな~と。
どうして皆、栄利子をないがしろにするのだろう。自分はこんなにも他人に気を取られているというのに。(P119)
だから、なんですよね。
作中で栄利子がしていたことの中には”してあげたこと”(旅行だとか)もあるけれど、それも結局は翔子を従わせるための手段でしかなくて、本当に翔子のためになることは何もしていなかったよなあと思いました。
スパムと思うような量のメールも、良かれと思って投稿した山のようなコメントも、「あなたのためを思って」とは言っているものの、結局は自分の思い通りの翔子でいてくれというエゴなんですよね。
そりゃ、そんな人には友達はできないよなあ…
それは友達ではないもんなあ…。
栄利子と出会ってしまった翔子を不憫に思いつつ、翔子も小さな嘘をついていなければここまで大ごとにはならなかったのかもしれないなあ…。
作中に出てきた、派遣の真織ちゃんがなんだかんだ一番世の中をうまく渡って生きていけるタイプだと思いました
最後に、なんとなく共感した部分を…
「…そっか。東京に実家がある女の自立は難しいね」
少女の頃から、雑誌に出ているような店にはすべて電車と徒歩で行くことが出来た。都内の実家から通っていると言うと、大学でも会社でも羨ましいと言われた。
見知らぬ土地に憧れを募らせることもなく、断ち切ってしまいたいようなバックグラウンドもない。望郷や別離の切なさを知らない代わりに、時間はただのっぺりと流れていく。
流行やニュースの発信源のすぐ傍で生きているせいで、いつでも行けると思い、結局同じようなところにしか足を運ばない。
何も変える必要がないから、知らず知らずのうちに保守的になり、想像力は失せ、未知なるものに対して臆病になっていく。
そもそも、東京はもうなんでも揃う特別な場所ではないのかもしれない。こことよく似た街が、日本中のあらゆる土地にあるのだから。小さい頃好きだった個人書店は今、チェーンのパチンコ屋になっている。駅ビルはこの沿線ならどの街にもあるものだ。
先週も、老舗のケーキ屋さんが一つ潰れた。
特徴やみずみずしさは東京からどんどん消えていく。
新天地に行けば、違う自分としてやり直すことは可能なのだろうか。それは少女時代、密かに考えていたことだった。
ここではないどこかで、すべてを捨ててやり直すことを夢見ていた。
ならば何故、一度としてこの街を離れようとしなかったのだろう。
たとえ、どこに行ったとしても、やはり世界は男と女の二種類で出来ていることに変わりはない。自分はまた全く同じ問題に直面するのだろう、と冷静に予想する。