今日の人生
益田ミリ
2022/04/02
★ひとことまとめ★
今日の積み重ねが人生となる
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
ただただむなしいとき、おいしいものにであえた日、
年齢を感じる瞬間、町で出会った人、
電車の光景、そして肉親との別れ。
2コマで終わる「今日」もあれば、8ページの物語になる「今日」もある。
「今日の人生」の積み重ねが私の人生…。
描き下ろしを加え、
「みんなのミシマガジン」の人気連載「今日の人生」4年分が一冊に。
★★大島依提亜さんデザイン、おもわず手元に
置いておきたくなる、存在感のある造本にも注目です
<<ミシマ社創業10周年企画>>
【あらすじ & 感想】
またまた益田さん
4年分の益田さんの「今日」が書かれています。
「今日」自分が感じたこと、思ったこと。それが積み重なって、私の人生となる。
私は、ブログとしてまとまった内容を書くことはあるのですが、感じたことをその場その場で書き留める習慣はありません。
ですが、しばらくして見返した時に「あのときの私はこんなことを考えていたのか…」と思うのも面白いかなと思うので、ちょっとずつ書き留めてみようかなと思いました
以下は、作品の中で印象に残った部分です
ああいう人(毒っぽい人)って
普段から小出しに感情を排出しているから、
たとえば、もの書きのような仕事には向かないのではないか と、思ったのでした。(P17)
上京する前に
母が何か欲しいものはないかと言うので
考えた結果、レイジースーザンのオルゴールに決めました
別にオルゴールが欲しかったわけでも好きだったわけでもなかったのですが、
いつか遠い未来、「メロディ」があるもののほうが 思い出に深みが出るような気がした(P30)
→オルゴールって、良いですよね。
益田さんは、上記考えだけでオルゴールにしたわけではなく、
有名になったときにオルゴールをもらったという話をしたらウケが良いのでは?というヨコシマな気持ちから買ってもらい、結局箱にしまったままだった。
それでも、久しぶりにメロディを聞くと、買ってもらった時のエピソードをとても懐かしくいい思い出として思いだしたとのこと。
私の母も、子供の頃買ってもらったオルゴールを今でも持ってます。
小物入れになっていて、蓋を開けると鳴る仕組みのもの。
母が祖父母に欲しがって買ってもらったんだろうか?
子供の頃の母は、小物入れに何を大切にいれていたんだろう?と、思いを馳せることがあります。
私はオルゴールを買ってもらった記憶はないけれど、子供の頃からあるにはあります。(ピアノの形したやつだったかな)
実家に帰ってたまーに聞くと、懐かしい気持ちになります
オルゴールのメロディを、いま思い出して口ずさめと言われても思い出せないんですが、
聞くと「そうそう、これこれ」と急に思い出し、懐かしい気持ちが湧いてくるんですよね
メロディが、記憶を思い出させるトリガーになっているというか。不思議です。
たった一度会っただけでその人のことがわかるわけはない と、いう意見があってもいい
が、たった一度会えば、お前のことはもうわかった という自分の感覚を信じないで 何を信じて生きていくのだ??
という意見もまたわたしは支持したい(P47)
→私は自分で言うのも何ですが、
結構周りの意見や、こうある"べき"に縛られているので、自分の気持ちを大事にするより、抑圧することのほうが多いです。
最近あったのは、数年間複数人で仲良く(と言っても会う計画立てるのは大体私)してたうちの一人の子から、
「○○(私)ちゃんは変わってるから」と言われて、それからずっとそれがモヤモヤと心に残ってます
無理まではしてないけれど、結構こちらもそれなりに気を遣って友人関係を続けてきて、
私自身はその子に「変わってる」とか言ったことないんだけれど…
え、私変わってるの?変わってると思われることそんなにした…?と思いつつも、「そんなことないよ〜」と笑いながら返す私…
学生時代とかは「変わってる」も個性かな?と思ってましたが、社会人になってから言われる
「変わってる」って、良い意味じゃないですよね?笑
いや、彼女も悪意あったわけじゃないし…とか
「変わってる」を褒め言葉として使ってくれてるのかもよ!とか、ムッとする自分に対して、
もう一人の自分が必死に彼女のフォローをしていたのですが、
ムッとしても良いんじゃないか?と思いました。
嫌だと思った自分の気持ちを大切にしたいな、と思いました。
生きている時間のほうが長い
どんなに短い人生だったとしても
生きていた時間のほうが長い(P74)
ズルい人、 というのは、少しずつそうなっていくのだろうか?(P109)
→先日、前職の社長と話した内容を思い出しました。
人はおそらく誰でもズルをしたい、楽して得をしたいという邪な気持ちを持っていて、それを制止するルールや監視の目があるかないかの違いではないか。
ルールや監視の目というのは、本人の教訓や性格、会社の規則や法律など、人それぞれだと思うが、恒常的に監視の目をくぐり抜けられる環境の場合、邪な気持ちが勝ってしまうのではないかと。
いかなる状況でも自分を律することのできる人も山ほどいると思うので当てはまらない場合もあるとは思いますが、電車のホームでの順番を抜かすはわかりやすい例だと思います。
列んでいる人はほぼ赤の他人で、抜かしたとしてもその場で少し愚痴られるだけ。(デメリットが少ない)
法的に罰されるわけでもない。(ルールや監視の目が甘い)
自分の楽して得したい気持ちが勝ち、結果順番を抜かす(ズルをする)のかなと。
そういう意味では、少しずつズルになるというよりは、初めにズルした瞬間に判断の目盛りは邪なほうに振り切れて、尚且つズルをしたときに痛い目を見なかった。ズルしてもいけるじゃん!と知ってしまったことで、目盛りがずっと邪なままになっているんじゃないかなと思います。
あとは、ズルをしたことで負う最悪のリスクを具体的に想像できるかできないかも関係しているのかなと。
そして、その最悪のリスクと、楽して得るメリットを比べたときに、メリットのほうがその本人の中で勝つ場合に邪な方に動いてしまうのなと。
ルールや監視の目も甘く、
順番を抜かしてちょっと愚痴られるのと、抜かしたことで座席に座れることを天秤にかけて
本人の中で後者の方が勝ってしまった場合、
人はズルをしてしまうのかな~。
痛い目…ルールや監視の目がきちんとあることを再確認できる機会がない限り、邪な目盛りから戻ることはないのではないだろうか。。
二度とあんなふうにバカにされたくないから、
がんばって英語を勉強しよう!!
と考えてはいけないのです
言葉を学ぶのは、誰かと話してみたい、というところから湧き出るのであって
バカにされたくないからというのは、わたしには違うように思えたのでした
だって、そうでしょう
バカにされたくないと何かを修得したとき、
人は、修得していない人を、見下すようになるのではないか?(P131-132)
→これ、言語だけじゃないですよね。
仕事でも何でも通じることだと思います。
詳しいから偉いわけじゃない。
マイナスな気持ちではなく、プラスな気持ちで成長できたらいいですよね。
知っていることがわたし自身の助けになった
そういうものが、数多くあればあるほど
それらが支えとなり 倒れずに済んでいるということもあるのだと思ったのでした(中略)
映画や、音楽や芝居や
そして、本を読むことは 自分の世界に「手すり」をつけている そういうことなのかもしれません(P153-154)
→こうやってたくさん読書をしていることで、私のなかにも手すりがたくさんできているのかな。躓きそうになった時、パッとつかむことのできる手すりが。
博物館にエゾシカの剥製があったのですが、
まるで家族のように展示されていた三頭は
たぶん存命中は他人だったんだと思います(P175)
→にやっとしてしまいました。たしかに赤の他人だったでしょうね。
そこには、母の暮らしがありました
暮らし それは、人生
わたしは、この人の人生を おそらく見届けることになるのでしょう(P201)
→オトーさんの人生を見届けた益田さん。私もきっと、父と母の人生を見届けることになります。
父の人生、母の人生、見届ける前にいろんなことを聞いておきたいなと思いました。
益田ミリさんの「ミリ」は、お友達から付けられたあだ名ということは知っていたのですが、この作品を読んで、手塚治虫の「ジェッターマルス」の「ミリ」からきていることを初めて知りました
かわいい。
↓ジェッターマルスの、ミリ(画像はこちらからお借りしました。)
益田さんがカフェから出ると、ちょうど箱根駅伝のコースが目の前で、ある大学の学生たちが応援している付近だったので一緒に応援をしたというエピソードが書かれているのですが、
書かれている大学が私の母校だったので、なんとなく嬉しくなりました
恐らくあの頃は母校が1位2位とか、上位争いしていた頃だろうな~
2020年10月に「今日の人生2 世界がどんなに変わっても」も発売されているようなので、こちらも読んでみたいなと思いました