27冊目:ときめく妖怪図鑑 | 【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠

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読んだ本の感想とたまーに日常( ᐛ )

ときめく妖怪図鑑

文:門賀 美央子 画:アマヤギ堂 監修:東 雅夫

2021/04/18

 

 

 

★ひとことまとめ★

妖怪のルーツを知ることができますおとめ座

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】

大好評「ときめく図鑑」の新ラインナップ「ときめく図鑑+(プラス)」がスタートします。
テーマは森羅万象。さまざまな対象にときめきます。
そして一冊目の刊行は、『ときめく妖怪図鑑』。かつてない「妖怪本」の誕生です。

眺めて楽しく読んで納得の妖怪カルチャーブックをお楽しみください。

 

 

【感想】

ときめくシリーズです宇宙人音譜

ホラーが好きで、妖怪も結構好きなので読みましたおばけくん

タイムリーなアマビエ(この本が発行されたのは2016年です)や、私の出身大学の創設者であり「妖怪学」を提唱した・井上円了も掲載されています。

 

 

・妖怪はどこから来たのか 妖怪とは何者か(P6-7)

かつては「妖怪」とは、文字通り「あやしい」全般を言い表す言葉だった。

例えば夜、突然部屋の天井から「ピシッ!パシッ!」と原因不明の音が聞こえ、家が振動する現象が起こったとする。

そこには妖怪な現象=コトはあるが、出来事を起こす正体としての妖怪=モノはいない。

ところが快音や振動がしばしば起こると、現象には「家鳴」という名が付けられ、さらに想像力豊かな人が「家鳴を起こしているモノは一体何?」と考えた。

そこで想像されたのが妖怪=自分の知識では原因が分からない謎の出来事を説明するためのモノをキャラクター化したもの。

 

・どこがどうなら「妖怪」なの?(P8)

18世紀フランスのビュフォン伯爵という博物学者がした定義。

ほぼすべての妖怪の姿はこの3つの定義に当てはまる。

1.過剰

(例)体中に目が付いている、異常な数が群れ重なっている

2.欠如

(例)目がひとつしかない

3.誤った配置

(例)手のひらに目がある、人間と鼠の体が混ざり合っている

 

 

・鬼とは異界の住人を指す言葉であった。死者の国である黄泉、人里離れた深山や森はもちろんのこと、自分たちとは異なる文化を持つ人々が住む地域も含め、そこに住まうモノが「鬼」だった。

当然定まった姿形はなく、角さえ生えていないが、異形であることは間違いなかった。(P22)

 

 

・【鬼】津軽の大人(おおひと)/三吉鬼(さんきちおに)(P27)

津軽の岩木山に住む鬼は大人と呼ばれ、人を助け、ともに遊ぶ存在だった。今も農業神として信仰されている。

三吉鬼は秋田県あたりの人里に現れた鬼で、酒さえ飲ませて上げればどんな仕事でも引き受け、一夜で仕上げたといわれる。

→めっちゃいい鬼…。。。三吉鬼、お酒上げるから私の代わりに仕事してほしい。。。

 

 

・【鬼】酒呑童子(しゅてんどうじ)(P30)

八岐大蛇の子とも伝わる恐ろしい鬼、部下を引き連れては都を荒らし、貴族の娘を誘拐して側女にするか、もしくは刀で肉を削いで食べ、血をすすった。若いころは誰もが振り向く美男子だった。

→鬼滅の刃の”童磨”を思い出しました

 

 

・初期(平安時代中期以降)の天狗の正体は糞鳶とされ、のちに嘴のある烏天狗の原型となった。赤ら顔で長い鼻を持つ鼻高天狗が成立するのは13世紀ごろ。イメージの源は修験者や真言師と呼ばれた下級宗教者だったと見られる。(P34)

 

 

・【山の妖怪】ひだる神(ひだるがみ)(P53)

山道を歩いていると突然空腹になり、全身倦怠感に襲われて動けなくなる‥‥こんな症状はひだる神の仕業という。正体は山で横死した人が餓鬼になったもので、少しでも食べ物を口にすると体から離れる。なので、山に入る時には必ず食べ物を持って入り、かつ一度に全て食べてしまわず、一口分でも残しておくとよい。

→なんだか、妖怪という恐ろしい存在を使って山に入る時の教訓を伝えている気がします。「食べ物を持って入り、一口分でも残しておくとよい」とかまさにそうですよね~。遭難等何かトラブルが起こったときの為の非常食ってことですよね。

 

 

・【水辺の妖怪】蜃気楼(しんきろう)(P59)

日本では、中国の歴史書『史記』にある「蜃(大蛤)の吐き出す気によって形作られる」という説が信じられていた。

→蜃気楼の”蜃”という漢字に注目したことがなかったのですが、大蛤(巨大な二枚貝)という意味だったんですね!いまでは蜃気楼の原理が分かっていますが、昔の人からすると海上に突如見知らぬ景色が現れたら妖怪の仕業と思うのも仕方ないかもしれないですキョロキョロ

 

 

・【狐狸】赤殿中(あかでんちゅう)(P69)

夜になると赤い殿中羽織(袖なしの羽織)を着た子供に化けて、未知で出会った人におぶってくれとせがむ狸。言うとおりにしてやると、まるで幼児のように足をばたばたさせながらキャッキャッと笑い、喜ぶ。

→ただただかわいい狸…いくらでもおんぶしてあげる…ラブ

 

 

・【人里の妖怪】鵺(ぬえ)(P71)

頭は猿、手足は虎、体は狸、尾は蛇。鳥のヌエ(トラツグミ)に似ていたため、鵺と呼ばれるようになった。鵺の死体を船に乗せ、川に流したが、流れ着く先々で祟りをなしたといい、今も大阪市都島区や兵庫県芦屋市に鵺塚がある。

→すごい容姿ですよね。妖怪の定義のうち、”誤った配置”にもろ当てはまる妖怪です。

 

 

・【人里の妖怪】犬神(いぬがみ)(P72)

人が使役する憑き物、体は小さく鼠か鼬くらいだが、呪力は強く、憑いた相手の心身を病ませ、苦しめる。犬神を落とすには呪術者に頼るしかない。

→妖怪というよりは、人間が故意に生み出した”呪い”ですね。呪力、呪術者と聞くと呪術廻戦を思い出します。

また、”犬”がつくとなんとなくかわいい風貌を想像してしまうのですが、Wikipediaに記載されている犬神についての内容はかなり凄惨です。

「 飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う方法が知られる。」

「犬を頭部のみを出して生き埋めにし、または支柱につなぎ、その前に食物を見せて置き、餓死しようとするときにその頸を切ると、頭部は飛んで食物に食いつき、これを焼いて骨とし、器に入れて祀る。すると永久にその人に憑き、願望を成就させる。」

そりゃこんな仕打ちをされたら、犬だって呪いたくもなります。人間の私利私欲のために利用されるわんちゃんがかわいそうです…ハートブレイク

 

 

・【人里の妖怪】件/アマビエ(くだん/あまびえ)(P74)

件は人面牛身の妖物、生れ落ちてすぐ一言だけ予言し、死んでしまうといわれている。

アマビエは肥後の海に出現し、豊作や疫病の流行を予言して立ち去る。その際、「流行病が出たら自分の姿を描いた絵を人々に見せよ」と言い残した。

→両者とも江戸時代に出現したようですが、その当時もきっと感染症が流行っていたんですね。

江戸時代も今も、藁をもすがるような気持ちで妖怪に助けを求めているというのがわかります。特に、現代ほど医療技術もない江戸時代は、それこそもう神頼み(妖怪頼み)しか方法がすがるものがなかったんでしょうね…

 

 

・【人里の妖怪】豆腐小僧(とうふこぞう)(P81)

盆に乗せた紅葉豆腐を手に持ち、大きな笠を被った子供の妖怪。豆腐を持って佇むだけ。江戸時代中期以降に創作された妖怪であるらしく、草双紙(絵入りの娯楽本)や子供の玩具のキャラクターとして大変持て囃された。鬼太郎やジバニャンの大先輩といったところ。

→なぜ豆腐を持っているのかは謎です。。昔も鬼太郎ポジションのキャラクターがいたんですね~

 

 

妖怪は、人々を怖がらせる存在というだけではなく、宗教を布教するための手段としても利用されていたというのは初めて知りました。人々の興味を引くために妖怪を用いた因縁話をしたり、権威付けのために妖怪を使っていたり…。

 

妖怪の登場する本、恒川光太郎さんの『夜市』、京極夏彦さんの『妖怪えほん』シリーズも読んでみたいな~と思いましたニコニコ