神戸市兵庫区の近代建築巡り① | 和歩 ~waho~

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地元の神戸や周辺を歩いて回るのが好きで、阪神間モダニズムや古い町並み、四国遍路等の歩き旅、日々徒然をゆるーり書き綴ってます。
旅も日々徒然も和み歩く。

神戸市兵庫区の近代建築を巡りました。
工業地域なので住宅よりも、工場が多いです。
 
 

JR兵庫駅
昭和5年
 
 
 
 
明治7年、大阪~神戸間に鉄道が引かれてその後急ピッチで東海道沿いに鉄道が引かれて明治22年には神戸~東京間に鉄道が結ばれました。
たった15年で関西~関東まで鉄道を開通させたけど神戸から西にはなかなか進まなかったようで、神戸~下関間が開通したのは明治34年。
国の事業ではなくて民間事業だったそうで、その後に山陽本線となったそうです。
JR兵庫駅は昭和5年に建てかられた時のもの。
近代化産業遺産としては関西の鉄道は総延長を考えても規模がとてつもないです。
戦災震災もあったけど鉄道高架は基本当時のままだと思います。
兵庫区の近代建築巡りは兵庫駅から出発走る人
 
 
 

富士通テン本社
 
 

大正末期~昭和初期
 
 
 

川崎重工業兵庫工場
 

煉瓦塀が残っています。
 
 
 
 
鐘紡兵庫工場女子寄宿舎(神戸100年記念病院西病棟)
 
 

1935年
 
 
 
 
三菱神戸病院
 

1935年(一部現存)
 
 
 
 
三菱重工株式会社神戸造船所本館
 

1938年
 
 
 
 
三菱重工株式会社神戸造船所内業G棟
 

1919年
家の母の実家のすぐ近所で幼少の頃、よく三菱重工周辺をウロウロしてましたが、何とも思わなかった建築物に将来興味を持つなんて思っても見なかった(笑)
 
 
 
 

大和田橋
 

大正13年に掛けられた石作りの3連アーチ橋。
神戸空襲の時、辺りは工業地帯。
辺りは建物も殆ど残らない壊滅状態だったけど大和田橋は落ちずに残ったそうです。
その時、水を求めて多くの人が大和田橋へ避難に来て炎に包まれて亡くなられたそうです。
その時の黒く焦げた跡が今でも残されてます。
阪神淡路大震災でも崩れかけました。
戦災震災の生き証人です。
 
 
 
 

旧岡方倶楽部
 

 
昭和2年
旧西国街道沿いにある、兵庫宿の中心街だった場所にあるビル。
大河ドラマ「平清盛」の時、資料館として開放してたそう。
 
 
 
 

石川ビル・旧東京倉庫会社神戸支店
 

1905年
市の景観を維持するための建築物として指定されてます。
もっともっと沢山指定して頂きたい建物はありますよーと言いたい(笑)