スーパーなどで売られているお菓子の大半は添加物が多く含まれています。
裏のラベルを見てみると分かりにくいものがたくさん入っています。
それに対して、自家製のお菓子は素材がシンプルです。
市販のお菓子には長期保存のための保存剤、味を引き立てるための素材、より安価に作るための代替素材、人工着色料、合成の香り付材などを入れて価格を抑えて現代の私たちの味覚に訴える工夫がされています。
ところがそれらの素材の多くは私たちの体にとっては有害です。
少しの量では害はないとされて、厚生労働省の認可を受けています。
けれどもそれを食べ続けた時の被害、いくつかの要素が合わさった時の健康への被害はないがしろにされています。
体が成熟していない子供たちはまたお菓子を食べる機会が多い、という事実も放置されています。
子供たちの訴える、疲労感や学習障害、いじめを行うなどの精神的な脆弱さの隠れた背景になっているのではないかと危惧しています。
子供たちが毎日多くの添加物を口にすることがないように工夫したいと思っています。
お忙しいお母さま方だけに責任があるわけではなく、私たちが大きな力となって製菓業界。公的機関を動かして、日本の子供たちの健康を守るために立ち上がる必要がある、と私は考えています。
必要なのは”人工的な美味しさ優先”ではなく”安心安全が重要”という考え方に慣れていくことです。
そこで、それに先立ち、
皆様が安心安全なおやつのためにどのような工夫をなさっておられるのかを募集しています。
アイデアをお持ちの方は下記ラインにお願いいたします。
後日、特集を組ませていただきます。
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私のストーリー
幼少時代~学生時代
私は1947年生まれです。
戦後2年目の夏です。
幼少時からとっても細くてひ弱でした。
よく蕁麻疹になっていましたし、学校の入学試験の日に風邪を引いて両親が希望する学校に行かれない。など親を困らせていました。
そんなでしたので小学校に入ってもお給食が食べられないでいました。
中学に入って2キロほど離れた学校に自転車で通うようになってからはだいぶ丈夫になりましたが体育の授業はたいていさぼっていました。バレーボールやバスケットなどのボールゲームが大嫌いだったからです。テニスは少ししましたが、全くセンスがないのは明らかでした。
勉強も好きなことしかしなくて、成績のことなどはあまり気になりませんでした。
とても神経質で内向的でかなりわがままな困った子供時代でした。
学校から帰ると音楽を聴いたり本を読んだりしていました。
高校を卒業すると美術史に興味を持つようになり、イタリアに憧れるようになりました。
それで、イギリスかアメリカに留学させたいと思っていた親は猛反対しましたが、結局許してイタリア留学が叶いました。
憧れのイタリアでの生活は想像以上の変化をもたらしてくれました。
第1に変わったのが、神経質で内向的でははいけない、という点です。社交性を身につけなければ誰も相手にしてくれないし、それでは面白くない、ということに気づいた点です。
第2に変わったのは勉強を好きになったことです。新しいことを学ぶのはとっても楽しいし刺激的だということ。それから、多少、いやでも面倒でも学んだことは何かの役に立つ、と分かったことです。
世界各地のお友達が沢山できて楽しかったです。