泣きましたけど、
なぁ・にぃ・かぁぁぁぁ・・・・・・
ちゃんと授業後に泣いたからまだ頑張った方ですけど?
もう授業の最後の挨拶のときに泣きそうになってたけど、
それはまじであかんやろ・・・と思い、
こらえる。
しっかし、授業が終わってから、担任の先生と話してたら、
こ、こみあげるものが・・・・。
涙・・・・
いや、きっと努力した汗・・・かな。。。苦笑。
自分の論文よりも、
自分の日本語のティーチングよりも
何よりもこの7週間
この実習に全力で取り組みました。
終わってほっとしたのと、やっぱり寂しい思いと、
複雑な気持ちで
涙がでろーんと出た・・・・らしい。
読み書きのレベルがクラスの中でも低い一人の学生が、
かるたをして、一番になって本当に喜んでいて、
最後の発表のときも、すごく満足そうにしていて、
その姿を見るだけで、プラン作りや教材作りがすべて報われた気持ちでした。
でも、最後の授業がうまく言ったのかといったら、
全くそうではなく、
自分の力量の無さと
教育の奥深さを改めて体感させられた思いです。
ただ、いろんなことを考えさせる授業の一つでもありました。
もう一人の読み書きレベルの低い学生が、
紙を切る時、はさみをあまり使ったことがないような様子で、
夢中になって切っている姿を見て、なんだか胸がいっぱいになりました。
今まで、学校に行って、紙を切り貼りしたことがなかったり、
ポスターに絵を描くことがなかったんだろうなと、その姿を見ているだけで分かりました。
これまでの実習でも感じたことですが、
日本やアメリカでは、あたり前にされている教育が、
世界の多くの場所で当たり前にされていない状況があること。
文化の違いとはこういうことかと身をもって感じたこと。
家族もいるし、アメリカは好きだけど、毎日、自国が恋しくてたまらないと
涙を溜めながら、私に話してくれた学生がいたこと。
自分の価値観の無意味さを知り、
自分の視野の狭さを知りました。
貧しくて、辛い人生を歩んできたけど、今ここで、教育を受けるだけでうれしいと感じる彼ら。
豊かで、何でも手に入って、教育も子どもの頃から受けてきて、何にもいいことがないと嘆く私たち。
教師として学んだことはもちろん、人として勉強になったことが多すぎます。
辛い体験を何度となく経験してきた移民、避難民の学生たちは、
あったかくて純真な心を持っていて、
それは、私のように何不自由なく暮らしてきたものにはない
彼ら独特の雰囲気だったように思います。
まだまだ一緒に過ごして、一緒に勉強したかったなと思うのです。
なんだか書いているうちに
実習が終わってほっとしたという気持ちよりも
もっともっと彼らと一緒に勉強したい気持ち、悔しさ、寂しさが
こみ上げてきます。
最後に。
少しでもいい授業ができるようにサポートし続けてくれた教授。
いいところを見つけるのも難しくどうしようもない授業なのに、
寛大な目で見守ってくれた担任の先生。
英語もうまく話せない私の授業を温かく見守ってちゃんとついてきてくれた学生。
ありがとう。
一生忘れたくない思い出を作ることができました。