どうして闘病記の執筆が簡単には進まなかったのか。 | やんしんブログ(数学教師@NZ)

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計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
波乱万丈な人生の記録始めました。
#教育 #国際結婚 #数学 #英会話 #教師 #熱血教師 #ニュージーランド #ギランバレー症候群

傷んだイチゴを次女が自分の判断で裏庭に捨てていて、洗濯ものを干すたびに、イチゴのいい香りがどこからか漂って、なんか複雑な気分になっている今日この頃。

6歳の女の子は、賢いのかそうでないのかよくわからない。

 

そんなことは置いておいて、ここのブログで公開したギランバレー症候群の文章を、書籍版にするために、文章を整え、後から思い出したストーリーも組み込み、先週から3年前に書いていたブログのストーリーのその先を書き始めました。

 

34話までブログでは書いていたのですが、その時にすでに7万文字を超えていました。

 

ちょっとずつ、ちょっとずつ、気が向いた時に修正と加筆を繰り返し、8万文字になったところから、このホリデーが始まりました。

 

昨日の地点で、12万2千文字。

 



どうしてこの闘病記をここまで放置してしまったのかにはわけがありまして・・・。

ひとつは、パソコンで書いていたアメブロが、当時自動セーブシステムがなくて、3千文字ぐらい書き上げ、更新ボタンを押したら、なぜか記事が丸々消えてしまう、という出来事が3回起きてしまったからなんです。

 

実は、一日に1万PV以上も記録していた闘病記だったのですが、そのおかげで更新がぱったり止まり、そのうち、ブログの更新すらしなくなりました。

 

それでも、その闘病記を読んで元気づけられていた人も多く、日本に帰国した際には、ギランバレー症候群患者の会の会長さんから直接連絡をいただき、喫茶店でゆっくりお話をさせてもらい、ぜひ完結させてください、と応援のメッセージもいただきました。

 

それなのにかけていなかった理由がもう一つありまして・・・それが、自分が本当にしんどかった、まさに瀕死状態にあった時のことを思い出すのがきつかったから、なんです。

 

一番ひどい時は、顔面も全身も動かない、呼吸もろくにできない、まるで銅像のような状態がしばらく続く生き地獄を味わった。

それを克明に思い出し書き出す作業は、気力と体力と集中力、そして時間を必要としたからなんです。

 

子供が話しかけてこれる環境では、まず文章を書くことができない。

疲れてクタクタな状態でも無理。

なので、学校の仕事があるときは書けなかったんです。

 

でも今は、午前中に子供を見て、午後に嫁さんが子供を面倒見てくれるので、午後2時ぐらいから4~5時間、がっつり執筆活動に充てられています。

なので、筆が進み始めました。

 

でも、今日はなかなか難しかった。

というのも、記憶自体があやふやなところがあり、いちいちネットで調べて「この薬の効き目と副作用は・・・やっぱり、だからこの時にこういう症状が出ていたんだ」みたいに、記憶が正しかったかどうかを医療関係のサイトで確認し書き進めたので、かなり時間がかかった。

 

昨日今日で、看病してくれた家族や友達にも問い合わせて、その時の状況の確認をしたり、なかなか骨の折れる作業。

 

でも、一番重症だった時期を、何とか今日書き終えるところまで来ました。

ここから先は、回復に向かっていくので、ちょっとは楽になりそうです。

 

生みの苦しみって、こういうことを言うのかな、と思いながらパソコンに向かってひたすら書き続けています。

 

書きあがったら、ぜひみなさんに読んでいただきたいです。

僕は、他に本を書いたことがないし、他の人の闘病記の本をたくさん読んだわけではありませんが、この病気の異常さは、他の病気にはない部分が強いし、僕はこの病気の珍しいタイプの症状の出方だったり、国際結婚だったり、他の闘病記にはない部分が多く、読んでよかったと思える本になるのは間違いないと思います。

 

と言うことで、今日もこれから、娘たちを見た後、闘病記の続きを書き続けようと思います!

 

 

では!