闘病記の前に現在の日常も少し
日記で出てくる0歳の娘も今ではもう8歳。
この年齢の成長スピードは半端ない。
7歳の時は、ろくに泳げなかったのに、今はスイスイ泳ぐ。
日本語も、聞き取りはできたけど、しゃべることはできなかったのに、今は結構ペラペラしゃべる。
7歳のころは自転車にも乗れなかったのに、今ではスイスイ。
長女は僕と同じで、体を動かさないとイライラするタイプなので、土曜日に運動不足と感じた僕と娘で、一緒に外に出た。
娘はサイクリング、僕はランニング。
子育てを楽しみながらランニングなんて、最高✨
しかし娘よ。
この父についてこれるかな?
僕、小学校から高校まで、ずっとリレーの選手だったんです。
そして、いつもは娘にはデレデレの親父ですが、
スポーツのことになると割と厳しめ
半べそかくなよ、娘よ!
と、張り切って4kmのコースを走って帰宅。
いや・・・チャリ本当に速い!
子供舐めてた。
久々に吐きそうになりました・・・。
お陰様で、私は元気です。
ギランバレー症候群⑨の続きです。
初めての方はギランバレー症候群①からどうぞ(^^)
5月26日(木)
朝を迎える。
お医者さんの卵の先生が、M先生と一緒に僕の部屋を訪れる。
M先生からいろいろ学んでいるようだ。
紙に書かれたチェックリストの順に、僕の身体測定が始まる。
体温や脈拍の数値をメモした後に、僕に手足を動かすよう指示をする。
目がちゃんと動いているかもチェック。
ギランバレー症候群を患うと、目の焦点を操る神経もやられることが多い。
僕の友達は、初期症状として、人がぼやけたり、二重になって見えたりしたといっていた。
僕の体のいろんな部分を触って、感触を試す。
これ、必要な検査だと思うのですが、患者には酷なんです。
昨日動いていたところが、動かなくなっていることを、朝一で確認してしまうので、さわやかな朝が、一瞬で憂鬱な朝に変わるんです。
わかってます。
これをやらないと、患者の命は守れない。
それはわかっていますが、この検査の度に言い知れないストレスを抱えたんですよね。
この日は「いや、昨日と大して変わってない」と思い込もうと思えば思い込めた程度ではあった。
ただ、足はさらに言うことを聞かなくなっていた。
まず、つま先が上がりにくくなっていることに気づいたのが、確かこの日だったと思う。
しかし、M先生の判断だと思うが、この日、個室から8人部屋に移された。
まだまだちょっとずつしか悪くなってないし。
自分は『もしかしたら、もう峠を越えたのかな?』と思っていた。
特に何も言われていないけど、個室から大部屋に移されたということは、ネガティブな移動ではないはず。
ただ、念のため、いろんなセンサーが体に取り付けられたままの移動。
心拍を図るためのコードをシールで体にくっつけるわけなんですが、これがむれてかゆくなるんですよね
看護師さんから
「やんしんさーん!今日、お昼から食事の許可が出ましたよ!」
と笑顔で言われた。
「な・・・なんだって!?」
嬉しすぎる
冗談抜きで涙があふれた。
三日間の絶食は、想像をはるかに超える辛さだった。
3日ぶりの飯!!!
もう昼ご飯はパーティにしよう!
宴だ宴!
朝の面会に娘と来た嫁さんもそれを聞いて、涙目になって喜んでくれた。
嬉しさのあまり、嫁さんが「やんしんがご飯食べれるようになったよ!」ってニュージーランドの家族とかに家に帰って報告したみたい
嫁「もう治ってきたってことかなぁ?」
僕「そうとは言われていないけど、そうなんじゃないかな?」
で、面会時間が終わり、嫁さんたちは帰り、実際昼ごはんになった。
食事が送られてくる台車の音がガラガラガラ・・・
よっしゃ!3日ぶりの食事だ!
しかし、待てど暮らせど僕のところに食事は届けられない・・・。
朝の看護師さんとは違う看護師さんに「あの・・・僕のお昼ご飯はどうなってます?」と聞いたら
看護婦さんが「ちょっとリスト確認してみます。」と。
しばらくたってから
「やんしんさん、お食事は夜からみたいです。」
マジかよ・・・3日間絶食状態を我慢して、昼から食べれるって言ったじゃないかよ・・・。
僕「・・・そうですか。わかりました。ありがとうございます。」
口ではお礼を言ったが
笑顔など作れるわけがない。
嘘丸出しの作り笑顔すら作れないほど心は沈む。
そのままベッドに倒れこむ。
看護師さんがいなくなった瞬間に、涙があふれ出る。
ただでさえ、体が動かなくなる恐怖と戦っていて、心のエネルギーが枯渇している時に、この出来事はあまりにも厳しかった。
そんな時に、カーテン越しに隣の人の独り言が聞こえる。
「不味い。なんて不味いんだ、この飯は・・・。」
何とも言えない怒りが腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
そりゃレストランのようにおいしいことはないと思うけどさ。
その人が悪いわけじゃないんだけどさ。
この日は午後面会にも嫁さんが母と一緒に来た。
「How was your lunch?(ランチはどうだった?)」と聞かれた。
母に娘を預けて「ちょっと歩いてきて」って頼んだ。
「I didn't have lunch... my name wasn't on the list, but a nurse told me I am difinetely on the list for dinner.」
(昼は食べなかったよ。僕の名前がランチのリストになかったんだ。でも、看護師さんが夕飯は間違いないよって言ってくれた。)
嫁さんは絶句だった。
僕と一緒に涙を浮かべていた。
「でさ、隣の人、飯食いながら『不味い、不味い』って言ってるのがきつくてさ・・・3日何も食ってないんだぜ。しかも、昼飯あるって聞いたのに・・・」って英語で、涙声で訴えた。
何も言えずに二人でしばらく下を向いていた。
きっと聞こえていたんだろう。
気を使って隣の人はそこから不味いとは一言も言わなくなった。
その人が悪いわけではないんだが、タイミングがきつかった。
「今夜は夕飯が来ると信じて我慢するしかないよね。」
と言い聞かせて、今日は耐え忍ぶことにした。
僕たち家族には、こういった種類の試練に立ち向かえるだけの経験が不足していた。
手元の携帯が鳴った。
Facebook上で嫁の友達から「久々の食事はどうだった?」ってメッセージが入った。
返信できる余力など、どこにもなかった。
家族が去った後、絶望の淵にいた僕を救ってくれたのは、
ここから何度も僕を支え続けてくれた看護師さんたちだった。
ギランバレー症候群⑪に続く。
毎度のことですが、このシリーズの記事は、辛い思いをしている方、していた方、また、これからギランバレー等の難病と立ち向かう可能性がありそうな方など、そういった方向けに書いているブログです。
今、ギランバレー症候群でお悩みの方は、このサイトをご覧ください。
患者の会の発足は、私がニュージーランドに移り住んでからなので、実は私は一度も参加したことがないのですが、ホームページ等を拝見して『僕が患った時、リハビリで必死だった時期に、こんな会があったらよかったのに・・・。』っていつも思っていました。
患者さんでも、患者さんのご家族でも、今ギランバレーで辛い思いをされている方は、ぜひ患者の会に参加(無料)されることをお勧めします。
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