ギランバレー症候群⑩ | やんしんブログ(数学教師@NZ)

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計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
波乱万丈な人生の記録始めました。
#教育 #国際結婚 #数学 #英会話 #教師 #熱血教師 #ニュージーランド #ギランバレー症候群

闘病記の前に現在の日常も少し照れ

日記で出てくる0歳の娘も今ではもう8歳。

 

この年齢の成長スピードは半端ない。

7歳の時は、ろくに泳げなかったのに、今はスイスイ泳ぐ。

日本語も、聞き取りはできたけど、しゃべることはできなかったのに、今は結構ペラペラしゃべる。

7歳のころは自転車にも乗れなかったのに、今ではスイスイ。

 

長女は僕と同じで、体を動かさないとイライラするタイプなので、土曜日に運動不足と感じた僕と娘で、一緒に外に出た。

娘はサイクリング、僕はランニング。

 

子育てを楽しみながらランニングなんて、最高✨

 

 

しかし娘よ。

 

この父についてこれるかな?グラサン

 

僕、小学校から高校まで、ずっとリレーの選手だったんです。

 

そして、いつもは娘にはデレデレの親父ですが、

 

スポーツのことになると割と厳しめ真顔

 

半べそかくなよ、娘よ!グラサン

 

 

 

と、張り切って4kmのコースを走って帰宅。

 

 

 

 

 

 

いや・・・チャリ本当に速い

子供舐めてた。

久々に吐きそうになりました・・・。

 

 

 

お陰様で、私は元気です。

 

 

 

 

ギランバレー症候群⑨の続きです。

初めての方はギランバレー症候群①からどうぞ(^^)

 

5月26日(木)

朝を迎える。

お医者さんの卵の先生が、M先生と一緒に僕の部屋を訪れる。

M先生からいろいろ学んでいるようだ。

 

紙に書かれたチェックリストの順に、僕の身体測定が始まる。

体温や脈拍の数値をメモした後に、僕に手足を動かすよう指示をする。

目がちゃんと動いているかもチェック。

 

ギランバレー症候群を患うと、目の焦点を操る神経もやられることが多い。

僕の友達は、初期症状として、人がぼやけたり、二重になって見えたりしたといっていた。

 

僕の体のいろんな部分を触って、感触を試す。

 

これ、必要な検査だと思うのですが、患者には酷なんです。

昨日動いていたところが、動かなくなっていることを、朝一で確認してしまうので、さわやかな朝が、一瞬で憂鬱な朝に変わるんです。

わかってます。

これをやらないと、患者の命は守れない。

それはわかっていますが、この検査の度に言い知れないストレスを抱えたんですよね。

 

この日は「いや、昨日と大して変わってない」と思い込もうと思えば思い込めた程度ではあった。

ただ、足はさらに言うことを聞かなくなっていた。

まず、つま先が上がりにくくなっていることに気づいたのが、確かこの日だったと思う。

 

しかし、M先生の判断だと思うが、この日、個室から8人部屋に移された。

まだまだちょっとずつしか悪くなってないし。

 

自分は『もしかしたら、もう峠を越えたのかな?』と思っていた。

 

特に何も言われていないけど、個室から大部屋に移されたということは、ネガティブな移動ではないはず。

ただ、念のため、いろんなセンサーが体に取り付けられたままの移動。

心拍を図るためのコードをシールで体にくっつけるわけなんですが、これがむれてかゆくなるんですよねえーん

 

看護師さんから

「やんしんさーん!今日、お昼から食事の許可が出ましたよ!」

と笑顔で言われた。

 

「な・・・なんだって!?ポーン

 

嬉しすぎる笑い泣き

 

冗談抜きで涙があふれた。

 

三日間の絶食は、想像をはるかに超える辛さだった。

 

3日ぶりの飯!!!

 

もう昼ご飯はパーティにしよう!

 

宴だ宴!

 

朝の面会に娘と来た嫁さんもそれを聞いて、涙目になって喜んでくれた。

 

嬉しさのあまり、嫁さんが「やんしんがご飯食べれるようになったよ!」ってニュージーランドの家族とかに家に帰って報告したみたい照れ

 

「もう治ってきたってことかなぁ?」

 

「そうとは言われていないけど、そうなんじゃないかな?」

 

で、面会時間が終わり、嫁さんたちは帰り、実際昼ごはんになった。

 

食事が送られてくる台車の音がガラガラガラ・・・

 

よっしゃ!3日ぶりの食事だ!ラブ

 

しかし、待てど暮らせど僕のところに食事は届けられない・・・。

 

朝の看護師さんとは違う看護師さんに「あの・・・僕のお昼ご飯はどうなってます?」と聞いたら

 

看護婦さんが「ちょっとリスト確認してみます。」と。

 

しばらくたってから

「やんしんさん、お食事は夜からみたいです。」

 

マジかよ・・・3日間絶食状態を我慢して、昼から食べれるって言ったじゃないかよ・・・。

 

「・・・そうですか。わかりました。ありがとうございます。」

 

口ではお礼を言ったが

 

笑顔など作れるわけがない。

 

嘘丸出しの作り笑顔すら作れないほど心は沈む。

 

そのままベッドに倒れこむ。

 

看護師さんがいなくなった瞬間に、涙があふれ出る。

 

ただでさえ、体が動かなくなる恐怖と戦っていて、心のエネルギーが枯渇している時に、この出来事はあまりにも厳しかった。

 

 

そんな時に、カーテン越しに隣の人の独り言が聞こえる。

 

「不味い。なんて不味いんだ、この飯は・・・。」

 

何とも言えない怒りが腹の底から湧き上がってくるのを感じた。

そりゃレストランのようにおいしいことはないと思うけどさ。

その人が悪いわけじゃないんだけどさ。

 

この日は午後面会にも嫁さんが母と一緒に来た。

 

「How was your lunch?(ランチはどうだった?)」と聞かれた。

 

母に娘を預けて「ちょっと歩いてきて」って頼んだ。

 

「I didn't have lunch... my name wasn't on the list, but a nurse told me I am difinetely on the list for dinner.」

(昼は食べなかったよ。僕の名前がランチのリストになかったんだ。でも、看護師さんが夕飯は間違いないよって言ってくれた。)

 

嫁さんは絶句だった。

僕と一緒に涙を浮かべていた。

 

「でさ、隣の人、飯食いながら『不味い、不味い』って言ってるのがきつくてさ・・・3日何も食ってないんだぜ。しかも、昼飯あるって聞いたのに・・・」って英語で、涙声で訴えた。

 

何も言えずに二人でしばらく下を向いていた。

 

きっと聞こえていたんだろう。

気を使って隣の人はそこから不味いとは一言も言わなくなった。

 

その人が悪いわけではないんだが、タイミングがきつかった。

 

「今夜は夕飯が来ると信じて我慢するしかないよね。」

 

と言い聞かせて、今日は耐え忍ぶことにした。

僕たち家族には、こういった種類の試練に立ち向かえるだけの経験が不足していた。

 

手元の携帯が鳴った。

 

Facebook上で嫁の友達から「久々の食事はどうだった?」ってメッセージが入った。
 

返信できる余力など、どこにもなかった。


家族が去った後、絶望の淵にいた僕を救ってくれたのは、

ここから何度も僕を支え続けてくれた看護師さんたちだった。

 

 

ギランバレー症候群⑪に続く。

 

 

毎度のことですが、このシリーズの記事は、辛い思いをしている方、していた方、また、これからギランバレー等の難病と立ち向かう可能性がありそうな方など、そういった方向けに書いているブログです。

今、ギランバレー症候群でお悩みの方は、このサイトをご覧ください。

「ギランバレー症候群 患者の会」

患者の会の発足は、私がニュージーランドに移り住んでからなので、実は私は一度も参加したことがないのですが、ホームページ等を拝見して『僕が患った時、リハビリで必死だった時期に、こんな会があったらよかったのに・・・。』っていつも思っていました。

患者さんでも、患者さんのご家族でも、今ギランバレーで辛い思いをされている方は、ぜひ患者の会に参加(無料)されることをお勧めします。

患者さんにしかわからない辛さ、ご家族にしかわからない辛さが共有できると、心の重荷が下せます照れ

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