どうやって先生になったのか(中編) | やんしんブログ(数学教師@NZ)

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計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
波乱万丈な人生の記録始めました。
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前回どうやって先生になったのか(前編)の続き。

 

前回は前後編でという話だったが、語りきれないので三部構成にする。

 

親と話したら、嬉しそうな顔で「行っておいで!」って言ってくれた。当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。親はプー太郎の俺を心配していたし。

 

すぐに県教委に電話をして、お仕事の依頼をお受けしました。

 

と言うわけで、教育委員会の方から送られてきた物件を、現地にいる彼女に外観からチェックしてもらって、住む家決定。2DKにでかい脱衣場、風呂トイレ別の観音寺駅から歩いて10分のところに住むことが決定。

 

 

いざ引っ越しだが、なんせ距離が距離。

 

普通の引っ越しをしたら、運ぶものの価値の倍ぐらい運賃がかかっちゃう(笑)

なので、普通の引っ越しは無理。

当時流行っていた一畳引っ越しってやつで、詰められるだけの荷物を詰めて送った。

 

そこから今度は持っていた100ccの原付きをどう運ぶか。いろいろ調べたが、自分でバイクを乗って香川までいくか、それともフェリーで行くか。

 

 

フェリーで行けば、自分が香川に行く料金も含まれた計算になるので、圧倒的に安上がり。

 

と言うことで、フェリーで。

 

こんな試行錯誤して体を酷使しながらの貧乏旅行が楽しい年頃だった(笑)

 

当日は、道に明るい高校時代の水泳部の仲間が車で港まで先導してくれた。でっかい荷物を2つ担いで、その友達にお礼を言って、船に乗り込む。

 

確か26時間ぐらいの船の旅。

 

荷物を置いて甲板に出て海の遠くを眺める。

 

 

ワクワクが止まらなかったのを今でも覚えてる。

 

海を眺められる風呂があったり、自動販売機で食品が買えたり、船の中は完全に非日常だった。

 

一眠りしたらまた甲板へ。

 

徳島が遠くに見えてきた。

 

僕の四国での教員人生は、まるで「坊っちゃん」のように始まった。

 

 

ここからまた長いエピソードがあるので、今回はここまでで。

 

 

後編に続く。