私は、ギャンブル、その中でもパチンコで人生のどん底を経験しました。
これまで、私は自分の過去を誰にも語ったことはありません。
というのも、あまりにも情けなく恥ずかしいことだと思っていたからです。
人生の中で最大の汚点だからです!
まあ、その汚点が実に何十年も続いていたのですが(笑)
そして、このブログをすべてのパチンコをギャンブルをやめたいけどやめられない方々に捧げます。
私が、初めてパチンコというものを知ったのは、小学校の低学年のときです。
親戚のお兄さんに連れられてパチンコ屋に行きました。
あのときの興奮は今でも忘れられません。
そう、これまでの世界とはまるで違った世界でした。
店内には、チン、ジャラジャラという音が鳴り響き、大人たちがタバコを加え、親指でパチンコの玉を一つずつ弾いていく姿は、幼いY少年には、それこそ衝撃的でした。
〝大人の娯楽〟そう、大人の世界は少年の目には実に衝撃的だったのです。
そして、何より嬉しかったのが、出玉に応じて、お菓子やおもちゃが、それこそ山のように手に入るということです。
もちろん、親戚のお兄さんの腕が良かったのですが、パチンコ屋はまるで、幼いY少年にとっては、それこそ、夢と魔法の王国に映ったのです。
さて、時はそれから15年ほど流れ、Y青年も大学に通うようになりました。
やはり、そこは普通の大学生と同じように、麻雀やパチンコとギャンブルをするのに最適な環境が整っていました(笑)
その頃のパチンコといえば、羽物が主流です。
打ち止めも3500発ほどで、当時の換金率は、1玉2円程度でしたから、7千円程度になったと記憶しています。
そして、次に出てきたのが一発台というものでした。
とにかく、真ん中に入れば、打ち止めまでまっしぐら!
打ち止めすると、1万円程度になったと思います。
あれには、結構のめり込みました。
その頃、丸井のカードを作ったのですが、借金までして遊んでいました。
まあ、借金といっても、せいぜい数万円でしたから、まだ可愛いものです。
それでも、学生時代にすでに、借金というものを覚えてしまったのです。
まあ、これが後に人生を左右するものだとは、当時に私は気づくことさえできなかったのです。
さて、それから、10年ほどの月日が流れY青年は、結婚をしていました。
子供も生まれ、すべては順風満帆に行くはずでした・・・
が、しかし、何故かまたまたパチンコ屋に足を運ぶ回数が増えていったのです。
その理由は、色々とありました。
その頃の仕事は営業で、お客さんのところを定期的に回っていたのですが、これが結構時間があいてしまう、そう、最初はそれこそ時間つぶしのつもりでパチンコ屋に行っていたのです。
その時は、まだ今ほどデジタル台などありませんでしたから、結構羽物などを打っては、当時あった中箱を一杯にして、2、3千円手にする程度でした。
でも、なぜか借金は増えていっていました。
それでも、当時はバブルの真っ只中でしたから、ボーナス時に一気に返済してしまうということを数年繰り返していました。
しかし、バブルが弾けた途端に、ボーナスも激減・・・もはや借金をボーナスで返すどころではなくなったのです。
その頃からでしょうか、パチンコの出球に制限がなくなったのは・・・つまり、無制限ですから、一つの台で、何万発も出すことが可能になったのです。
〝これは、借金をパチンコで返せるぞ!〟と、考えたのはほかでもありません。
もちろん、今の私であれば、そんなことができないことは十分すぎるほど理解しています。
しかし、世間知らずのY青年の頭には、そんなことさえ考える余裕を失っていたのです。
それが、まさか自分を破滅に追いやるなんてことは想像もしていませんでした。
まさか、まさかが襲いかかるのです。
そう、恐怖の大王のように(笑)