「巫女」 | 〜ある夫婦の物語〜О夫妻に問いたいこと

〜ある夫婦の物語〜О夫妻に問いたいこと

夫さんは、もう居ません。
妻と息子二人が残されました。
夫の死後、10日余りでブログを引き継いだ妻。
夫の思いを繋ぐブログにしたい。初めはそうだったのかも知れません。
でも、違ったのです。

ブログをずっと書かずにいて、申し訳ありません。

毎日相変わらずの暑さでしたが、体調を悪くしたとかではなく、単に書く気になれずにいました。

もっとはっきり言えば、大島奈保美という人物について、何一つ考えたく無いし、何か文章を書く気が起こらなかったのです。

言い訳です、すみません。


それならそれで「しばらくブログを休みます」と、ここにハッキリ書けばいいのに、簡単な事なのに、したくありませんでした。

私の怠慢のせいで、「ブログをやめた」と某所で誤解させてしまったので、今更ですが「そうでは無い」と分かっていただくべく、今こうして書いています。


本当に、心配をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。

いただいたコメントには、これから返信させていただきますので、もう少し時間をいただければ幸いです。

(先に返信すべきですが、ご迷惑にならないように、明日の日中までにはさせていただく予定です)



ずっとブログを放置していて、いきなり「アニメ」の話で恐縮ですが、皆さんは「アニメ」の登場人物の言った事で、忘れられないもの、「名言だな」と思うもの、何かございますか?

私は「犬夜叉」の楓婆ちゃんの言葉が、ずっと気になっていました。

(声優の京田尚子さんが好きなので、余計にそうなのかも知れません)

ストーリーには触れませんが、楓婆ちゃん、主人公の犬夜叉に、こう言っています。(大体の内容です)


お前は、墓という物をどう考える

墓とは、単に遺体や遺骨を納めるだけの場所ではない

本当に墓を必要とするのは、残された者たちの心なのだ

        (中略)

しかし人とは、か弱き者

困難や不安なる心に、たやすく押しつぶされる

面影を慕いたいのだ

その心の拠り所だったのだ、あの墓は


これだけでは、見ていない人は「何のこっちゃ?」

ですよね…😓

楓婆ちゃんは「巫女さん」です。

すみません、このまま進めます。

「犬夜叉」の放送当時、私は父母の住む実家から、クルマで2時間程の場所で、親子三人で暮らしており、お墓とは、「お盆に帰省して参る場所」でした。

父と母が鬼籍に入って、何年も経って初めて「墓とは何ぞや?」と、ポンコツの頭で少しだけ考えるようになったのです。

(勿論、京田さんの声で脳内に再生されました😁)

それまで、お墓とは「亡くなった人の為の場所」と思っていたのが、父母という大切な存在(の肉体)がこの世から消えてしまった事で、私にとっての「心の拠り所」になっていったのだと思います。


すぐにでは無く、時間をかけて、「そうだ、もういないんだ…、」と、実家に帰る度に、遺影を見る度に、月命日・祥月命日の度に、少しずつ受け入れられるようになっていったかと…。

ちなみに、父は西城秀樹さんと同じ日付けで、母は私の〇十回目の誕生日の朝に他界しています。

二歳年上の姉は「郷ひろみさん」のファン、私は西城秀樹さんのファンだったので、「馬鹿な娘が命日を忘れないようにしてくれたんだね」と、冗談を言えるようになったのは、亡くなって十年以上経ってからの話です。


母が亡くなってからは、自分の「誕生日」というよりは、当たり前ですが「母の命日」なので、「誕生日」をあまり意識しないようになりました。

毎年一つずつ年齢を重ねて来たのが、母の他界により「誕生日」が来ないような感覚になった事を、そう悪くないかな?と思えるようになったのは、本当につい最近の話です。

一緒に住んでいたのに死に目に会えなかった事を、姉は酷く悔やんでいて、二人で母の話をすると、まだ涙を止める事が出来ずにいます。


                      

昨日、好き嫌い.comでは、ある方の「お別れ会」の話題が出ていました。

短くまとめると、康徳氏がその方の「お別れ会」に行くつもりでいたら、奈保美氏が酷い頭痛を起こし、病院に付き添った結果時間に遅れ、結局「欠席」した、という話で…。

確かに、身体の弱い「奥様」を心配される気持ちは分かります。

「欠席」する事になったのも、仕方無いと言えば仕方無いんですが…。

康徳氏に遅刻してでもいいから、行って欲しかったしもし私が同じ立場なら、診察が全て終わるまで付いていてもらう事はしません。

「葬儀」では無くて「お別れ会」だとしても、行きたい気持ちがある間柄であったのなら、行かせてあげるべきでした。

ブログで「合掌」では無く、きちんと出席して、最後のお別れをして欲しかったと思います。 


大島康徳氏の死後、「お別れ会」の話が誰からも出ないばかりか、家族だけの「年忌法要」も食事だけで、ご住職に来ていただいた様子はありません。

これは「年忌法要」では無く「偲ぶ会」と呼ばなければなりませんね?

康徳氏の「遺骨」は、愛犬「祭」の遺骨と一緒に自宅に置かれている、間違いありませんか?

(ここを読んでいるはずなので質問してみました)

亡くなって三年ですが、私は「すぐにも納骨すべき」と言いたい訳ではありません。

奈保美氏は、二年前に「ファン」からの質問で、納骨時期について「他者からの意見で無く、自分の心に従う」と答えています。

「だって…ここに居てくれて この手で抱きしめられるのですから… 居て欲しいのです、まだ、ここに。」

記者の方の書き方かも知れませんが、この方に「ファン」がいらしたのですね?

ちっとも存じ上げませんでした。


二年経って、気持ちに「変化」はありましたか?

まだ「抱きしめていたい」のでしょうか?

大島康徳氏は、アナタの夫であると共に、名球会入りを果たしたプロ野球選手で、監督もなさった方…。

「大島家」としてのやり方に、口を挟むつもりは毛頭ございませんが、野球選手としての康徳氏に沢山の「ファン」の方がいた事、闘病を応援していた方も多かった事は、ご存知のはずです。


康徳氏も、「お別れ」と「お礼」を言いたかった、とは思われませんか?

野球関係者の中にも、全て終えてからの「訃報」に、驚いた方が沢山いらした事と思います。

何の連絡ももらえず、見送る事が出来なかった方達の気持ちを、少しでも考えた事がありますか?

もしかしたら、康徳氏の故郷・「大分県中津市」から駆け付けたかった方もいらっしゃるかも知れません。


大島奈保美氏、

もしこれを読んだのなら、今からでも「お別れ会」を考えてはいただけないでしょうか?

生前の康徳氏と交流があった全ての方に、きちんとお別れをする機会を設けて欲しいのです。

どうしても難しいのであれば、せめて「紙製の仮祭壇」では無く、康徳氏に相応しい物を用意して、付けっぱなしの、恐らく「埃だらけ」であろう遺影のリボンを外してあげて下さい。

口で「パパ、パパ…」と言うだけで、なにか「供養」になるのでしょうか?

自分が喉が乾いたのなら、故人にも「飲み物」を用意してお供えする、そういうことが「当たり前」だと思っていました。

たとえ自分が乾いていなくても、朝、炊きたてのご飯やきれいな水、お茶やコーヒー、季節の果物などをお供えする事は、皆さんしていらっしゃいますが、起きる事は出来ませんか?


東京のお盆は「7月」だそうですが、お時間があるのでしたら、このお盆期間中に「ちらし寿司」を手作りして、供えて差し上げたらいかがでしょう?

康徳氏、喜ばれると思います。




「康徳氏」、「奈保美氏」という書き方は、どうしても「さん」付けに違和感があっての事で、特に意味はありません。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

楽しい内容を書いている訳では無いので、無理にお読みにならないで下さい。