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野菜と花と音楽で楽しく

家の庭ですくすく育った野菜をいただいて
生き生きと育った花をお部屋に飾っています。
ガーデニングのほか、音楽鑑賞、コーラス、ギター演奏も楽しんでいます。

王子様のブログを書いてから5日もたってしまいました。

コメントを下さったのに、返しが遅くなってしまって、すみません。

コーラスの練習や、ボタン鍋大会や同窓会や・・・まあ色々あり過ぎた5日間でした。

 

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うちの近所の山はイノシシさんの棲息地です。

近くのスーパーでは、イノシシ狩りをして、それを裁いて猪肉を売っています。

純粋の猪肉です(>_<)

猪さんには申し訳ないのですが、味噌の味を引き立ててくれてとても美味しいです。

ささがきゴボウを入れるのがコツの一つかな。

それと、銀鮭を一緒に炊きましたが、これも味噌と合って美味しかったです( ^)o(^ )

これからの季節、冷えた体を温めてくれるメニューですね。

 

尾崎豊写真集

須藤さんが「FORGOT ME NOT」なら、写真家の山内順仁さんは「I LOVE YOU」。

尾崎は人によって嫌われることもあったかもしれませんが、

出会った人それぞれに強烈な印象を与えたようですね。

山内さんはデビューライブから東京ドームまでを撮り続けた写真家さんです。

ずっとつかず離れずの関係だったようですが、とても尾崎を愛していたと思います。

10月27日に予約していたこの写真集が配達されてから、毎日必ず本を開いてしばらく見ています。

まず、表紙の尾崎、革ジャンを着て親指を銜えて目を瞑っている横顔にしばらく見とれて・・・・。

表紙を開けると、今度は夢見るような瞳の尾崎。

綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそう。

覚醒剤で捕まって、執行猶予で釈放された翌日に撮ったというから驚いてしまう。

捕まった時、ひどくむくんだ顔をしていたのに、拘留中にダイエットできたのかな?

カメラ目線でも、遠くを見つめているよう。

尾崎の瞳は、現実の向こう側をいつもみていたのかな。

などと、一枚一枚、思いを巡らせながら見るものだから、この一冊は随分見ごたえがあります。

尾崎の顔はとても表情豊かで、えっ?これも尾崎?というのもいくつかありました。

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この顔なんかは、尾崎の写真の中でちょっと見かけたことがありませんでした。

でも、やっぱりカッコいい。

 

須藤晃さんが尾崎に初めて会った時の印象を話しているのをYouTubeで聴きました。

 

「彼がオーディションに応募して、僕が担当ということで会社から命令されて

、彼の所属事務所も決まって会いましょうということになったのですが、最初に会う日に彼が来なくて、僕も若かったですから『こないのだったらいいよ、もう他の仕事に行くよ』と言って、エレベーターに乗ろうと思ったら、パッと扉が開いて中からもう王子様みたいな男の子が出てきたんですよ」

「やっぱり男性から見ても綺麗だったのですか」

「そうですね、彼は青山学院の紺色の制服を着て、前のめりに歩いてさっと通り過ぎようとするから、『尾崎君ですね』と聞くと『そうです』というから、会議室に行って一時間ぐらい話をしました。見た目もきれいで繊細な感じだから、かなり気を付けて話しましたね」

 

やっぱり、王子様みたいだったんだ~~、尾崎は(*^-^*)

 

   

 

17歳の頃、王子様みたいだった尾崎。

生の尾崎に会いたかったな。

 

先日、アメともさんに「私は根がお目出度い人間なのか、長い人生、一度も死にたいと思ったことがない」と話しました。

随分な目にも遭ったのですが、どうしたら生き延びれるか、とか、

どうしたら少しはましな人生を送れるのか、と考えて

ただひたすら生きていきたいと思うばかりで、死にたいと思ったことがありません。

能天気なのかな、なのになぜ尾崎が好き?

やっぱり、王子様だから、というのも絶対にある(*^-^*)

 

尾崎豊は現役の頃、熱烈なファンがいて、ファンというより信者化しているとさえ言われていました。

「尾崎の歌で救われた」という人がいっぱいいて、ライブに来る人たちの尾崎を見つめる目がちょっと怖いと思った、という人もいたという。

 

NHK「で歎異抄」の解説をしているのを聴いて、尾崎が宗教化してしまうのはこういうことなのかと思いました。

親鸞は「阿弥陀様は私だけをお救い下さるためだけにおられる」と述べていて、これこそが宗教の救いの本質なのだ、と解説していました。

それを聞いた伊集院光さんが「若い頃、この音楽は自分のことを歌っている、自分のために作られたみたいだ、この歌が自分を救ってくれた、と思ったことがありますが、それと似ていますね」と語っていました。

まさか、尾崎豊のことかな?わかりませんが。

みんなのために存在するのだけど、一人一人が「自分のためだけにこの歌はあるのだ、この歌は私を救うために作られたのだ」と思えるところが、尾崎の歌の凄さなのかな。宗教化する理由なのかな。

「現代には情報は氾濫しているが、物語がない。物語とはそれに出会った人が、出会う前には戻れない自分になってしまうほどの力をもったものだ」という解説もしていました。

 

尾崎は自分自身の物語を生きて、それに出会った人を変えていく。

亡くなってからは伝説化して、いまだに今を生きる人々に影響を与えています。

「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」

親鸞は宗教家なのに煩悩を克服できずに、どうしょうもない自分と向き合い続けて、この悪人正機説に行きつきます。

いくつかの罪を犯し、自ら苦悩してそれでも前を向いて生きていく。

それなら、悪人の烙印を押されても、往生できない訳ないじゃないか。

それでも神様は見放さずに見守ってくれているよ。君(僕)が苦しみながらも良くなろうと努めているならね。

頭ではなくこの胸にわかるまで。永遠の胸で。

 

この歌の最後で「僕はいつでもここにいるから」というのを聴くと凄く安心します。

私ももはや尾崎教の信者かも?