ラッセルの幸福論について書いていると、youtubeで「尾崎の独り言」を見つけました。
無期限活動停止をした後、ニューヨークに行っている間、独り言を録音したものです。
一人異国の地に渡って寂しくてホームシック状態だったのかもしれませんが、ほんとに泣きながらの独り言なんです。
今後何を誰の為に歌っていくのか。自分には新しいことをやっていく才能があるのか。
現実を見渡せるようになって、芸能界があまりにもくだらなくて、幻滅している。そして、清らかな愛を求めることにも幻滅している。
方向性を見失って、あらゆることに悩み続ける尾崎。まるでハムレットのようです。
To be or not to be, that is a question.
死の誘惑に駆られるまでになって、「生きよ、生きよ」と自分を励ましている。
ほんとうに幸せになるとはどういうことか、「それは一生懸命生きることでしか、幸せって感じられないんだよ」「生きるっていうのは勝つってこと」と、尾崎は言っています。
尾崎の幸福論は、ほんとにしんどいものになっていたのだなあと思います。
闘うものさえ無くしちまったけど、本当に苦労しているやつもいて、せめてそいつらに歌ってやりたい。そいつらの苦労をわかってやろうという認識が皆ないんじゃないかなぁ。誰かが頭良くやらない限り、他に誰も歌ってやれない。みんなが幸せにならないと。
俺だけかな、そんなつまらないこといつまでもくよくよ悩んで 歌うとかなんかしようとするのも。
俺は別に 利益創ろうと思って働いてきたんじゃないもの。それで、社会があまりにもつまらないものだと気付いて。社会はまったくおかしいよな、そんなことで泣くなんて自分もおかしいよ。誰もわかっちゃくれない。もうだめだもう、ああおっかねえな。
やっぱり、歌うしかないんだよ、俺の表現方法は。ホントに生きるんだったら歌えってことだ、ホントに喉に突き付けられたナイフだよ。
なぜ歌うのかって? みんなが幸せになったらと思っているのだけれど、みんなの求める幸せってつまんなくって愚かで。やってみれば面白いかもしれないけれど、俺の知っている快感とは違う。 だから俺の心の中のマリアは死んだのか?なんて曲が出来るんだよ きっと。
青年の心を持ち続けて、次の人達の為になってきたじゃないか。 頭良くないとダメなんだよ ホントに。でも悲しみの本当の姿なんて、そいつの代わりになってあげられるわけじゃないから、わからないんだよな。だけど、それをうまく慰められたら本当にいいと思うよ、俺は。森田健作とかさ、青春おじさんもいるんだもの。俺、もういやになっちゃうよ、ホントに つまらない。ホントに有りものは つまんないものがあり過ぎて楽しめないよなぁ。
ホントにこの頃は普通の生活に戻って考えると、凄く単純なことがすごく嬉しいって、結局音楽なんてそれだけだし。結局自分の為に生きることしかないのだし。俺一人が悩んでわかるものじゃないんだ。
俺が生きている限り、俺の責任というものがあるんだよ。やっぱり途中で辞めたなんていっちゃあカッコ悪いよ、それが一番。
俺はほんと口下手で、口下手な奴が一生懸命詩を書いているんじゃないの? やっぱり頭悪いのかな。俺、本当は頭悪いのかもしれないよな。でも、俺、考えなくちゃ。本当に幸せになるってどういうことかって。たぶんね、一生懸命生きること以外幸せって感じられないんだよ。一生懸命やるの (そうさ アメリカに生まれたって言ってんだぁ 新人だったってよ、お前いい曲歌いたいよ)
俺もいい曲を歌いたいよ。俺のやっていることって、パンクだものな 何とかせにゃ。 やれるさ、おまえにはその才能がないという風に囁くのは誰だよ。何のために悩んでるんだよ。お前に才能がなかったらどうなの?ひがんでるの?
そうだよな 生きる以外ないんだよ、思いっきり生きる以外。歌うっていうのは、生きることだからな。一所懸命生きよ、生きよ、生きよ、生きよ、生きよ・・・・・。生きるってことは勝つってことだ。格好悪いじゃないか。ほんとに 生きるってことは勝つことだよ。
誰も愛し合えないよ。愛なんてクソくらえだ。でも 心の中には生きているんだよ。現実には俺のマリアは死んでしまった。だけど、心の中には生きているんだ、いつまでも。心の中には、愛の姿や、もう死んでしまった彼のことが思い浮かぶんだ。
面白いな、またこんなところに来ちゃって。一生懸命生きようってだけなのに。






