たらたらと
ここんとこ、いろんな人にアタマを下げ、自分の不能を曝け出す毎日で。
アタマを下げることに慣れてしまうと、それはそれでココロが少し楽になるけれど、それまで気張ってきたことが「バカみたい」に思えてくる・・・という負のサイクルへ突入する。
「ま、いっか」…と暫しの間気分転換(という名の現実逃避)をするのは得意技だけど、
「こんなもんでいっか。」…と、『開き直って当たり前』な人になってしまうのは…さすがに…ちょっと…。
なーんてね。(開き直り寄り)
厄明けと夢と贖罪
厄が明け、綺麗に晴れ渡った週末をいつものように怠惰に過ごす。
そして前々から気になっていたことなどを考えて重い腰を持ち上げた。
ずっと前から行ってみたいと思う場所があるのだ。
ここ最近、夢に良く出てくる風景と人。
現実を知るのが億劫で避けていただけ。
思い出に浸るのから逃げていただけ。
まぁ、そんな大それた話でもないのだが。
暖かいけど夜から雨に…という予報で、しばし上着選びに迷う。
まだ出掛けるのを避けているみたいだ。
もう夕方。
今時はネットで何でも大抵のことは調べられる。
でも自分の目で確かめたい。
そんな言い訳を自分にしながら数年経ってしまった。
学生の頃、本当にお世話になった焼鳥屋の大将。
そして京都弁のママさん。
御二人は田舎出身で餓鬼丸出しの自分を気さくに受け入れてくれ、
そして色々な相談にも親身に乗ってくれた。
数年ぶりに乗車する電車へ乗り換える。
乗換検索をするまでもなく、自然と目的の電車は解る。
店、まだあるのかなぁ…無かったらやだなぁ…という想い。
あえて下調べをしないで出掛けたのだ。
夕暮れの車窓からの眺めは懐かしむまでもない。
駅舎や駅前は様変わりしていても、遠くに望む山や川は記憶にあるものだ。
お店がはねてからよく3人で行ったお好焼屋のオッチャンも元気かなぁ。
娘が嫁入りするのが心配で東京まで付いてきてしまったバリバリ浪花なオッチャン。
こんなノスタルジィに浸るために自分は移動しているのか?
そんな想いとは別に、電車はみるみる郊外へと進み、意外な程早く到着した。
埼玉県郊外。
見たことあるもの、ないもの、入り混じりながら、
そこは初めて来た場所ではなく、明らかに暮らしたことのある土地だった。
記憶のある街並みは、はるばる遠くからこの地へ越してきた当時の、
希望と恐怖心が少し蘇らせる。
無くなったものも多い。
まずいソバ屋。いかがわしい看板。安い定食屋。毎夜賑やかだったフィリピンパブ。
住んでいたボロアパートは当然無い。
あと、この角を曲がれば焼鳥屋の赤提灯が…という時点でその気配はなく、
案の定お店は無くて、違う名前の居酒屋になっていた。
もう少し連絡を取り合っていたら…なんて。
小雨が降り始めたようだ。
もう少し歩いたら帰ろう。
なんだか急に知らない街へ来てしまったような気がした。
帰りの電車。
自分はこれまで本当に人との繋がりを疎かにしてきたのだなぁ…と反省しきり。
帰宅後、改めて調べてみると同名の店が地域を変えて存在しているという。
相変わらず電話をする勇気はないけれど、
帰り道に「ここにはもう来ないだろう」という想いを打ち消すに足る情報だ。
そうだ。
また行けばいいんだ。
輝け
楽になりたいと思うと悪い妄想ばかり。
頑張ろうとすると空回り。
忘れようとすると夢に現れる。
『叶わない夢はない』
『あきらめないで』
などと成功者はいう。
そして思う。
よくいうよ…。
自分を研く手間を惜しんだ果ての負のサイクル。
受皿
むかし「醒めてる」と、ある方面の方たちに云われてました。
今でこそ歳も歳なのでそんな風に人から評されることはなくなったけれども。
自分としては当時から、そしていまだに、その「醒めてる」という評価を受け入れられずにいました。
だって、すごく気分屋だから、すぐ嬉しくなるし、すぐ怒るし、すぐ興奮もするし。たまには涙を流すことだってあります。途方も無い粗忽ものでもあるし。
でも、そこそこの時間が経って、ふと、思い返してみると、あ、なるほど、そういうことか。なんて思えたりして。
自分のことって自分でよく解ってないし、他人(ひと)からいろいろ云われて混乱することもあるけれど、ちゃんと受け止めてこそ気づくことがあるんだね。
