4月はこの話題が多かったようですね。JALの入社式では、あのお方が映像で流れたとか?

 

小生長い人生で、3度入社(所)式の経験が有る。先日そんな中のひとつから同窓会の誘いがあった。小生が初めて社会人としてスタートした時の仲間だ。当時は皆クリクリ頭の15才、中学校を卒業したばかりで、「青雲の志」を抱いた若者だった。

 

そこは旧国鉄(日本国有鉄道)に属する、大井工場技能者養成所と言う処。

今はJR東日本・東京総合車両センターと言う名前に変わっているが、当時の名残は今も残っており、先日テレビでこの場所が紹介され、懐かしく見せたいただいた。

 

旧国鉄は、大宮・大井・新津・大船と4つの車両工場を抱えていた。大宮はSLを始めとした列者専用の工場、大井は電車専門の車両工場だった。大宮を除く各工場から、毎年中学卒の若者がこの養成所に集められた。ここを卒業すれば、国鉄内では高校卒として採用されるのだ。この間学資金と言う名目で賃金も支払われる、記憶では一万円少々だったかな?
また2年間の寮生活が強いられた。4人部屋で、上級生との共同生活だった。この2年間が小生の人間性を培ったと言っても過言ではない。昨今の宝塚歌劇団のいじめ問題ではないが、同じような事は小生も経験している。

 

2年間の寮生活の後、3年生からは自宅通勤が認められた。卒業後改めて大井工場へ国鉄職員として正式採用された。配属場所は第二電車職場、いわゆ車両の窓を始めとする内装関係を所管する部署で、第一は電気屋さんと呼ばれ、第二は大工さんと呼ばれた職場だ。当時の車両は大半が木製だったのでこの名が付いたらしい。しかし「桜木町事件」における車両全焼事故を切っ掛けに、鉄製・アルミ製へ車体改良が行なわれていった。小生の頃には木製車体は僅かだったがゼロでは無かった。床板の張替えなどを経験した記憶が有る。

 

だが小生、残る40年余りをこの工場で過ごす事には余りに夢が無く感じ、僅か3年余りで国鉄を去った次第だ。これが最初の入所式だった。