子どもたちと過ごす日々。

 

毎日のように、学校の先生の不条理な指導や授業の話を耳にする。

 

教師と呼ばれる立場の人間が、こうも偏りが強いと、

一体、真っ当な教育はどこにあろうのだろうと、疑わざるを得ない。

 

それほどに内容が酷いのだ。

 

 

 

教師が落ちる穴について、たびたび書いてきている。

 

職業病とも呼べるほどに、例外なく、皆が教師特有の「穴」に落ちる。

 

その穴は、周囲が見えなくなる穴。

特定の偏った価値観に陥る穴。

自分が偉くなる穴。王様になる穴、である。

 

ベテランになればなるほど酷くなるのが常である。

 

一般の仕事であれば、上司や先輩に日々多くを教わりながら、周囲から学びながら、その道を歩むはずである。

時には厳しく叱られ、罵倒され、時には優しく諭され、といった具合に。傷つき立ち上がれないこともあるだろうし、悔しくて涙することもあるだろう。

 

ところが、どうも、教師というものはそういうものに立ち合わず、遭遇せずに、歳を重ねたかのような振る舞いをするのである。

 

不条理な指導や偏りの強すぎる授業が、指摘されることもなく、ダメ出しされ修正されることもなく、ただただ続けられるのである。

 

一般の方が見れば、これは一体どういうことなのだろうと首を傾げるだだろう。

 

しかし、それが起こる。

 

 

 

上司や先輩、周囲の誰かに、指摘されたり教えてもらったりすることがなかったのだろうか。

 

もしそうだとしたら、まったくもって成長のない仕事である。

 

学ばない大人が、他者(子ども)に学びを伝授することなど到底不可能な話である。

 

 

 

それにしても偏りが強い。

 

子どもたちにはただの不条理にしか思えない、そんな指導や授業がそこかしこで行われている。

 

教育の場は、学びの場は、一体、どこにあるというのだろう。

 

 

(おわり)

FB投稿より

 

 

 

まなラボスクール(小中高対象)

唯一の学びの場、教育の場へようこそ。

学び続ける大人、プロフェショナルな大人が作る場です。

 

 

 

NPOまなびデザインラボ