教え方2.0連動記事 007

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失われていく3つの力について書いている。

 

この問題は複合的要因によって生み出されていて、かなり根深い問いであるといえよう。

 

ここでは、

すでに取り上げている2つの力「目標設定力」「現状把握力」について、

別のアプローチから記述しておきたい。

 

目標をセットしました、現状を把握しました。

ところが、それでもなお、おそらく簡単には事が好転しない。

 

目標もあるし、自分の力もある程度わかっているし、という人が、

それでもなお壁を越えていかないのはなぜか?

 

この問いに対しては、

「学び」と「目標達成」とはどういう行為か?ということを考える必要がある。

 

 

あなたがある高校に合格したいとする。

高校の予想合格ラインが、8割得点だとする。

100点満点のテストなら、80点越えを目指すことになる。

 

今あなたの実力で取れる得点が60点だとしてみよう。

 

このとき必要なのは、あなたがこの先学びを得て、さらに追加で20点以上を取ることだけだ。

 

あなたは、今の実力以上のあなたになり、未来のもっと高得点を取れるあなたになる。

合格に必要なのは、これだけだ。

 

おわかりだろうか。

 

目標点80点は、「あなたから近づいていく」ものであって、

「テストの方から近づいてくれるものではない」。

 

当たり前のことに思うだろうか?

 

今一度書く。

 

テストが今のあなたの実力にあわせて80点取れるテストに成り代わってくれるのではなく、

あなたが合格点である80点を取るあなたになる、そういうことだ。

 

ここで強調したいのは、

あなたは「今の60点のあなた」ではなく、「未来に80点のあなた」になる必要がある。

 

しかし、である。

 

今の子どもたちの多くは、このことを見誤ってしまう。

 

特にこれには、消費という行為そのもの影響と、

消費が共同体参加への最初の行為となっていることからの影響が大きい。

(詳しくは動画に譲る)

 

消費という行為は、「自身の成長という変化をしながら歩み寄る」動作を必要としない。

 

消費というのはまったく正反対の行為だ。

消費という取引においては、変化しない消費者が望まれるからだ。

お金の支払いや取引の間に、別人になられてはたまらない。お互いに。

必要な量のお金を持っていれば、売り手は当然商品を売ってくれるのであるから、

消費者が自分を変えながら合わせていく、なんてことは起こりようもない。

 

消費から共同体パーソンとして参加する子どもたちは、消費が行動の基準となっていく。

 

 

 

翻って。

目標を達成するという行為は、自分を変化させ、目標の側に、自分をあわせていく行為である。

これはまさに、学びという行為であるとも言える。

学びとは「変わること」。

学びを繰り返しながら、自分を目標にあわせていくのである。

 

現代の子どもたちは、これを無意識には行うことができない。

常に消費の習慣が邪魔をするのである。

 

今の60点の自分。そこから変わることを恐れず、80点の自分に変わっていく。

目標の側に、自分をあわせていく。

 

変わり続ける自分を許容することも必要となるであろうし、

他者からの教えや、問題集やテキストからの教えを「受け入れる」必要もある。

 

 

こどもたちの思考や振る舞いは大きな変革の時を迎えている。

 

目標に自分をあわせていく行為ひとつとっても例外ではない。

過去の当たり前は今の当たり前ではない。

 

 

それらを適切に考慮しながら、

必要な力をつけていかねばなるまい。

 

 

 

(つづく)

 

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教え方2.0連動記事 006

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「現状把握力」

 

子どもたちの現状を把握する力が落ちている。

 

「今、自分はどのくらい知識があり、どのくらい技術が磨かれているか」

これを知ることなしに、目標に向かうことは難しい。

 

地図で言えば、現在地である。

自分の位置がわかっていないまま、ゴールになど到達できるはずもない。

 

壮大な迷宮での迷子状態。

 

 

何をどれほどトレーニングすべきか、

どこに時間をかけるのか、

いわゆる計画を立てることはほぼ不可能であろう。

 

では、現代の子を深い迷宮の奥に貶めている原因は何であろうか?

 

それは、「競争の除外とそれに代わる手法の欠如」だ。

 

近年、教育現場は、競争という概念をできるだけ避けるように振舞ってきた。

教育で競争を推奨しない価値観が叫ばれはじめてから、もう随分と経ったはずだ。

 

現場では、たとえば、

テストでは順位は本人すら知ることができなくなり、

運動会では手をつないでゴールする、

そうしたことが一般化した。

リレーの選手がタイム順で選ばれない、ということすら起こっている。

 

従来の競争の概念は、本人のエフィカシー(自己肯定感)を下げてしまうという点で弊害が目立った。

だから、競争をできるだけ持ち込まない方向性に舵を切った教育は、それ自体は前進であるし、

よい影響も大きいはずだ。

 

しかし、そこに落とし穴があった。

なぜなら、「競争」に代わる概念を入れることができなかったからだ。

 

「競争はやめましょう」、これはこれでよい。

しかし、「では、それに代わる子どもたちの導き方は?」と問われたならば、

そこに答えを出せる先生は限りなく少ない。

 

競争を捨てることでぽっかり空いた穴が、こどもたちの成長を阻んでいる。

 

今失われ、今後、見出されなければならないのは、

 

「客観評価」である。

 

 

多くの場合、「競争」=「相対評価」である。

競争の良し悪しは置いておくとして、競争を排除した際にここにある「評価」も失われる。

こどもたちの教育の現場は、未だその穴を埋められていない。

「評価」を失ったのである。

 

人の知識や技能、学んだものの力を把握するためには、何らかの「評価」を、

その人自身が知ることが必要である。

 

そのことが、適切に、またどのくらいのレベルで身についているのか?

それを把握することなしに、自分の学ぶべき項目は見えてこない。

ところが、今、競争がなくなったことから、評価すら失われ、

学び手本人がそれを把握することができていない。

 

翻って。

現在の学校教育は、しきりに「評価」をつけたがる。

しかし、(これらの詳細は「教え方2.0」動画に譲るが)、

その評価たるや、指導者に対するただの「従順度」「定型度」を図るものにすぎない。

 

授業で手を挙げて発表をすれば通知表の数値が上昇し、

宿題や課題を「綺麗な字で」「綺麗なレイアウトで」「期日までに」提出すれば、評定が上がるのである。

学校一般で広くかつ日常で使われているものが「習熟」「熟達」の度合いではないのが実情だ。

 

つまり、クラス運営が(統制がとれないという意味で)難しくなっている今、

こどもたちに主に与えられている評価は、

「自分の習熟や熟達の具合を知るための指標」ではないのである。

 

 

では、何が必要か?

 

それが、自分自身が習熟や熟達を知るための「客観的評価」である。

 

これは、先生のエゴによる「指示・命令に従った度」ではなく、

客観的な知識や技能の到達具合を知るものである。

 

もちろん、ここでいう評価は、人と比べる、というような、安易なものに成り下がってはならない。

 

学び手本人にとって、客観的な指標が必要なのである。

 

 

 

ここに2つの問題がある。

 

一つは、評価する側の問題、もう一つは学び手側の問題である。

 

評価する側、これはまさに教え手の側を指す。

教えて側が、「自分」を排除し、

「学び手を学びの主体」と捉えることから生じる評価制度を構築する必要がある。

 

 

他方、学び手側も、評価されることを学び手として受け入れる、身体・思考づくりを要求される。

現代の子達は、他者からの何か、を受け入れることを苦手とする傾向が強い。

「個」が叫ばれ続けた時代、「自分なりに」が「わがまま」に転化されてしまいがちだ。

 

現場にいるとわかるが、「正しい漢字」の「指導」ですら受け入れられない子が目立つ。

 

学び手の「我」が立ちすぎてしまうのだ。他者を受け入れられないのだ。

(この点については詳細は動画に譲ることとする)

 

いずれにせよ、学び手側も、学びにおいては自己を客観的に見つめ、

そのための評価を受け入れる必要があるということだ。

 

これら二つの問題点を乗り越えて、

自分の成長のための「客観的評価」を、適時手に入れながら学んでいくことが、

今子どもたちに必要とされている。

 

 

現状を把握する力を身につけたい。

 

今、自分がどこにいるのか?

それを常に把握しながら学んでゆくのだ。

 

(つづく)

 

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「教え方2.0」連動記事005

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続けよう。

 

目標設定の力が失われつつある今、どのようにそれを身につけていけるのか?

教え方2.0の連動記事として、教え手の視点から考えてみよう。

 

まず、先述の記事で書いたとおり、目標設定を阻害する力が、

指示命令強制による指導である。

 

だとすれば、その逆を考えなければならない。

 

目標設定力を身につけるための導き

 

・指示命令強制の手法をやめる

・その延長である宿題、課題を「一方的に」「大量に」出すことをやめる

・同様に、こどもたちが黙ってノートをとる「一斉授業」をやめる

 

まず大きな視点ではこれら3点。

 

さらに

・普段から、自ら目標設定をする習慣作りをする

 

より具体的には

・1年、3年、5年スパン程度の目標設定をする習慣をつける

・教科や単元ごとに、「自ら」目標設定をする習慣をつける

・テストごとに「自ら」目標設定をする習慣をつける

・毎学習ごとに自らが目標設定をする習慣をつける

 

ここで強調するのは、

「自らが」という点。

 

教育現場では、誤って、先生がフォーマットを押し付けてしまうことがよく起こる。

これでは本末転倒なのである。

また、その目標に対して、評価を下したり、叱ったり、罰を与えてはならない。

あくまでも、こどもたち自身が自らの頭を使い、感性を使い、目標設定をすることが大事だ。

 

先生、教え手側にこの時できるのは、コーチング的手法を用いることだけと言ってもよい。

目標設定をしづらい(当然、力がないのだからなかなかできないはずの)こどもたちに、

質問や問いかけをすることで、こどもたちの思考を促す。

できないからといって、結局先生が、フォーマットを与えたり、答えを与えてはならない。

不完全なら不完全を許容する。それが大事だ。

 

 

そして、

目標を設定する力が磨かれるためには、さらに他の2つの力「現状把握力」「逆算からの計画力」も同時に伸ばしていく必要がある。3つは相互作用的であり、セットなのだ。

 

次回は、「現状把握力」に迫りたい。

 

 

 

 

(つづく)

 

 

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-ライブ配信「教え方2.0」連動記事004-

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前回記事(003)のつづき。

 

 

今の子達が失っている3つの力(概要については前記事をご参照あれ)を解説していく。

 

 

 

「目標設定力」

 

物事を達成したいと願うとき、まずその「目標地点」を設定することは必須の行為である。

 

ゴールを決めないマラソンで走り出せるランナーはいないし、

ゴールのないサッカーで得点できるFWは存在し得ない。

 

ところが多くの子どもたちに今起こっていることは、

目標の設定もないまま、またはイイカゲンなまま、

目の前のそのことをやる、という行為のみに終始してしまうということ。

 

しかし、大人でもそのように振る舞うことが難しい「ゴールがわかってもいないのにゴールに到達しようとする」その行為を、

なぜ子どもたちはできるのであろうか?

 

 

それが、強制力である。

 

指示命令軍隊式、トップダウンの型の過去の指導形式が一定割合で復活してきており、

子どもたちに大量の指示命令を下す。

一斉授業だけでなく、宿題や課題の形としてそれらは表出しうる。

 

「やらなければ叱られる」「罰を下される」世界にあって、当然、多くの子は仕方なく従うという選択をする。

そう、ここに「目標」は「いらない」。

 

授業では「言われた通り黙って聞いてノートを写す」、

家に帰っても「ただただ宿題をやっては出す」の繰り返し。

 

どこにも目標は見当たらない。

 

 

社会環境の変化から、現代の子が目標設定の力を失いつつあるのだとしたら、

輪をかけて学校教育はそこに加担してしまうこととなる。

 

 

ここで、社会環境の変化にも言及しておこう。

 

社会環境の変化はこどもたちに刹那的行動をとらせる方向に動く。

それは表層だけで完結するような情報、メディアのもたらす力だと言っても良い。

こどもたちは何のあてもなく、ただネットの海をサーフィンできる時代。

スマホがあれば、何の「目標」もなく、ふらふらと、表向きただ面白いだとか興味を引くだとかった情報、たとえばYoutubeの動画、のようなものを見て、波乗りに興じることができる。

目標を設定し、狙いを定めて、というような、より大きなエネルギーを必要とするものを選択する必要はない。

 

わざわざ知りたいことがあれば、図書館にいく、わけでもなく、

わざわざ見たいものがあれば、現地に赴く、わけでもない。

 

たとえ好きなものであっても、それらの表層に惑わされ、

対象物を深めるという行為をしなくなっていることからも、

刹那的行動に偏りやすい現代の傾向が見て取れるのだ。

 

フローの海を泳ぐことのみにとらわれてしまう子どもたち。

 

そうした社会環境の変化は、目標設定に関する力を失わせつつあり、

そこに合わせてしまう形で、指示命令強制の押し付け教育がダメ押しをする。

 

 

物事を達成するために鍵となる3つの力のひとつである「目標設定力」。

 

まずはこれをしっかりと意識にあげて、身につけていく必要があるはずだ。

 

 

 

さて、ではどのように目標を設定する力を伸ばしていけるのか?

 

次回はそれについて考えてみよう。

 

 

(つづく)

 

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