【自分では何もできないということ/管理隷属社会の到来】

 

ずっと懸念していた通り、いよいよ現代、

指示・命令・管理されないと何もできないという人が、社会のなかでかなりの数を占めるようになってきた。

 


教えられることも学ぶこともできないから、たちが悪い。

 

特徴は、何事においても、他の誰かのせいにするということだろう。

 

 

教育現場で見てもこのことはよくわかる。

 

 

自分が勉強できないのは、先生が宿題や課題を出してくれないせい。

やることを指示してくれないせい。

いい問題集を選んでくれないせい、テキストを買ってくれないせい。

プリントを出してくれないせい。

勉強のやり方を教えてくれないせい。

ノートの取り方を教えてくれないせい。

わかるように教えてくれないせい。

・・・

挙げればキリがない。

 

 

その教育現場の姿のまま、

大人になった人たちが、社会に出た時、どんなことになるか、想像するのは簡単なのだ。

   


わかり切ったことがどんどん進んでしまう。

 

 

失われた主体性。

 

ことは深刻である。

 

 

 

今回は、以下に、2007年に書いたある記事を転載しておく。

 

17年が経つ。

 

すでに兆候は見えていて、現代はくるべくして来ていることがわかる。

 

当時、このことに気付いていた人は日本でもほとんどいなかっただろう。

いち早く気付いていた僕が、子どもたちに何が必要だろうと、授業について思案している様子がよくわかる記事になっている。

(それだけ早く気付いて取り組んで来て、仮説検証を繰り返しながら、手法・スキル・思考を磨いてきた。現代の子たちにカスタマイズしてきたのだ。圧倒的なリードがあることがおわかりいただけるだろう)

 

 

 

以下。

 

 

2007.11

『2つのポイント』

 

考えている。

 

コミュニケーションを軸に進める授業は変わりないが少し強めたいポイントがある。

「能動的な学び」と「受け取る力」の2つだ。

 

この2つの面がずいぶん育っていないというのが

子ども達を教えていて感じることだ。

 

「能動的な学び」

 

当たり前の話になるが、学びとは本来自らの意思を伴うものであり、学び手が能動的に、つまり意識的に「学ぼう」と努める必要がある。

 

現状、子ども達はこのポイントが相当に弱い。

 

学びの主役が子どもである以上、学ぼうとする姿勢とその意識がとても大切になる。

 

大事というよりも必要なのだ。

 

だが、過保護主義の影響であろうか、個の尊重の取り間違いであろうか、

子ども達は自分の食卓にお皿が出されるのをじっと待っているだけになっている。

 

そういう子が何とも多いのだ。

 

出されたものを学ぶ、出してくれたら学ぶ、出されないから学ばない、

そういう意識が強すぎるのだ。

 

つまり夕食の際に、食卓にお皿が並べられないと食べることができないのだ。

 

悲しいかなこれはすでに習慣のようなものとして出来上がっている。

 

今この瞬間に養われたものではない。13歳なら13年間かけて作られてしまっている。

 

学習という場面のみならず、普段の生活の中でもこのような姿勢・意識は培われてきたはずだ。

学びというのはそれほどにあらゆる場所に転がっている。

 

学びとは本来能動的に行われるものであり、それでこそ学びと呼べる。

 

食卓にお皿が並ぶのを待っていることではない。

 

このままでは社会に出てから困る子ども達が増え続けていくだろう。

社会は、子ども達が今いる学校のように狭い世界ではない。

限りなく広がる世界が世の中であり社会であり、そこで出会える選択肢はまさに無限に近いだろう。

多くの選択肢の中から自分の必要な学びを選びだすところからがスタートになる。

社会に出て、誰かが自分に必要なものを選んでくれることなどあるはずがない。

 

夕食にたとえるなら、どのような食材があり、どのような調理法があり、どのような料理を作るのか?・・・そこからのスタートなのだ。

そういう選択のところから要求されるのである。

 

子ども達は選択そのものを要求されるわけでないが、

能動的に学習しようとする姿勢や意識は、学びの効果を考えると必要不可欠なものなのだ。

 

 

子ども達と過ごしともに学んでいく中で、「能動的に学ぶこと」を問い続けたいと思う。

 

それは学ぼうという姿勢なのか?それともお皿を待っているだけなのか?

 

それを考えられるよう普段の一つ一つの取り組み中で問い続けたいと思う。

 

またそういう風に導いていきたい。

 

 

能動的に学ぶことは、子ども達自身が学びにおいて主体的存在であるということを明らかにするものだ。

これが失われないよう取り組んでいきたい。

 

 

「受け取る力」

 

これは能動的な学びと共通する部分も多い。

能動的でないから受け取る力が弱いという悪循環だ。

 

これについては、授業においての「適切な質問」を大事にしながら進めていきたい。

 

 

適切な質問とは、”考える””これまでの学んだものと結びつける””ふりかえる””推測する”といったことを強化させる質問である。

 

新しい学習の場面で、常にそのような習慣をつけることが子ども達の「受け取る力」を伸ばすことにつながればと思う。

 

 

 

「能動的な学び」「受け取る力」

これらがコミュニケーションを主体とする参加型授業のもとで、

伸ばせていけるよう努めたい。

 

(おわり)

 

 

 

まなラボスクール(小中高対象/進学塾)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おすすめ本