こんにちは。
本日もお読み頂きありがとうございます



中学2年生の時の英語の先生がよく


『マイペンライ!』


と授業中に言っていました




マイペンライとはタイ語で



「大丈夫」

「なんとかなるさ」の意味で



おおらかなタイの国民性を象徴した言葉


英語の授業で先生がよく言っていたのは


先生がタイが好きだからとの理由で


英語とは関係はなかったのですが、


私は今でもこの言葉をよく思い出します




先日、


カウンセリングを受けてくださったTさん

↓コチラ



娘さんが病院にかかる中で


何度か自閉症があるかも?と診断があった


そうです


しかし、最後の病院で医師から


「愛着障がいではないのかな?」


と伝えられたそうです




私もそう感じます(お医者さんじゃあないけども)


私自身も息子の問題行動が出始めたころ


発達関係かな?と考えたことはあります


だけど、


今感じることはそこは大きな問題ではないと


いうことです




発達障がいがあろうがなかろうが


要はそこをお母さんが問題と感じているのか


いないのか?


問題と感じて心配だ、不安だという意識で


お子さんを見ているのか、いないのか?




お子さんを思う母心ではありますが


心配や不安はマイナスのフィルターを通り


そのままのとしてお子さんには伝わらず


お母さんとお子さんの愛着関係が育み


づらくなるのです




おそらく、


私と息子の愛着関係が結べていなかった


その二次的障がいで問題と感じる行動として


表れていたのだと感じます




愛着関係が結べていないということは


愛情欠乏を起こし、心に欠乏感があり


ここを行動や物質で補ってる状態です





では、なぜ?


息子と愛着関係が健全に結べていなかった


のかと言ったら


私が自分の母や父と愛着関係を結べて


いなかったからです




だから、


お子さんの発達が特性がを見ていても


同じ所を堂々巡りなのです


見るところはそこではない。




発達にADHD、ASD、ADD、LDなどが


あったとしても


みんながみんな生きづらかったり


親が将来を心配していたりしないのです

(もちろん本人が大変だなと感じることはあるでしょう)




かくいう私の父も


他人の気持ちが読みづらかったりASDの特性


はありそうですし


兄は統合失調症(寛解)ですが、


父も兄もそれぞれの人生を謳歌しています




私自身もあれだけ(どれだけ?)


父のことを母をイジメる人


兄のことは母を困らせる人


と捉えていましたが


コチラ、メンタルブロックによる


全て私の捉え方、思い込みだったのです




UMIの中で思い込みを解き


潜在意識から変えていく




父も兄も、そして母も


私が感じていた人とは全く違っていたことを


体感しました




本来は出来事も人もそこにあるだけです


そこを自分のメンタルブロックから


好きなように好きな角度で自分が意味付けし


解釈しています




そして


加害者と被害者を創り出してエネルギーを


引っ張り合う


お互いのエネルギーを引っ張りあって


ガス欠を起こし動けなくなる




エネルギーは自分へ注ぐものです


注げないのはマイナスに傾いている


メンタルブロックがあるからです





自分の中の思い込みを解き、


メンタルブロックを緩めていくと…


まぁ不思議、あら不思議


被害者も加害者もいない世界へようこそ!




ナウシカも言いましたでしょ


サムネイル

世界を敵と味方だけに分けたら
すべてを焼き尽くすことに
なっちゃうの




決して不快な事が起きないわけではないです


でも、必ずそれは自分に必要なことで


自分からの大切なメッセージです





自分には必要なことしか起きない


だから、

どんな自分であっても

『マイペンライ』なのですよ。





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