こんにちは。
カウンセラー修行中のれいこです。
本日もお読み頂きありがとうございます。



アルコールへ依存を高める夫に対して


厳しく注意していると思っていたことは、


逆に夫を甘えさせることになっていたのです。


そして、


「責める、咎める、やめさせる」は当事者、


相手の責任を持ち過ぎていたことにも


当時は気付かなかったのです。


どうにかさせよう、どうにかしようとする


ことで支援者の自分を無意識で活躍させよう


としていることでもあります。




相手もまた、


「何かあったら支援者である親がパートナー

が助けてくれるだろう。どうにかしてくれる

だろう」


責任を持ってもらってると当事者へも無意識


に感じさせてもいます。




隣りのご主人やお子さんが何かに依存してい


たら何か言いますか?言いませんよね?


隣りのご主人には責任はないですから。


家族なので何かあったら、我々家族がと


思われるのも、とてもよく分かります。


私もそうでした。


そして、何か言うというのは特に問題ではな


く意識の問題です。


当事者を不安、心配の意識で見て、


何かあったら親の私が、パートナーの私が


責任を負わなくてはなどという意識で、


声掛けをするということです。


でもね、起こる問題は本人の問題です。


本人が自分で乗り越える課題です。


勿論、当事者へサポートは必要ですが、


そこへ責任を持ち過ぎないことはとても


大切です。


責任を奪う、課題を奪うことで、


他者との境界線が薄くなり、共依存関係に


ならないこと。


いつまでも注意してくれるお母さん、


いつまでも責めてくるパートナー、


無意識で相手の課題を奪っていることを


支援者が自覚することがとても大切です。


見守る方は辛いことや怒りを感じることも


あるけど、そこは見守る覚悟を決める。


それに尽きると思います。



一気に手放すことは不安や怖さがあると


思いますが、少しずつ責任を手放すこと。


見守れる自分になること、


覚悟を決められる自分になること、


当事者をどうにかする前に、支援者が


自分のことを自分でどうにかできる自分に


なることです。


当事者への制限、執着を支援者が先に手放す


ことで、当事者も自分事として感じられて


行くのだと思います。