こんにちは。
カウンセラー修行中のれいこです。
本日もお読み頂きありがとうございます。




当事者のことも、支援者のこともまずは


認めることから始めよう。


先日お伝えさせていただきました。


では次に支援者が持つ目的は何かですが、


「責めない、咎めない、やめなさい」などの


注意の意識を緩めることですね。



依存症外来や家族会へ行ったことがある方は


「やめなさい」は言わない方がいい、

物質を取り上げない方がいいと、


聞いたことがあると思います。


why…?


「やめなさい」と制限を掛けると


当事者が逆にそこへ意識が向くからです。


•飲んでないでしょうね?

•やってないでしょうね?


などの確認も同じことが言えます。




誰でもそうですよね、


「そこの横断歩道、危ないから渡るの

やめなさいよ!」と言われたら、


そこに意識が向きませんか?


そして、気を付けよう!

ドキドキするけど渡ってみたい!など


認識するのと原理は同じですね。


それで気を付けられれば良いですが、


当事者は今、


気を付けられないから依存している、

依存してるから気を付けられない、状態。


なら、そこに自分が意識を向けない、


制限を掛けないこと、有効なのです。


制限を掛ければ掛けるほど注目して、


執着しやすくなるんですね。




そして、責める、咎める、やめさせるを


していると、当事者は無意識で罪悪感


持つようになります。


夫も言っていました。


「ママに注意される度に、困らせてるな、

迷惑掛けてるな、ダメだなって思ってた。

でも、やめられなかった。」


夫のような態度ではなく怒りを露わにする


方もいらっしゃると思いますが、無意識化


では感じているんです、罪悪感を。


責められたくないから、怒りで防御している


状態なだけなのです。


私が夫を責め、注意をすることで夫は益々


アルコールへ意識が向き、罪悪感を持ち


アルコールから抜け出せなかった。


私が夫へ逆に意識付けさせ執着させていた。



やりたいことに制限をかけられると、


逆にそれ以外に意識が行きづらくなる。


トイレを我慢している時にトイレのことしか


考えないですよね、そしてトイレの話しを


されると余計行きたくなるみたいなね。


だったら、トイレの話しをしない。


トイレの話しだと、とってもシンプルに


考えられる、でも…?


でも依存症や自傷行為も同じなのです。


子どものゲームもそう、夫婦関係もそう、


当事者、相手へ罪悪感を持たせない、


自分も罪悪感を持たない、


当事者が意識していること(物質、行動)を


支援者の自分が意識を外す、トイレのお水を


ジャーっと流すようにね。


自分が当事者へ意識を向けている限り、


当事者もまた意識してしまうのです。