三国志のあと、どうやって隋・唐になっていったのか?少年時代(三国志は卑弥呼に関連して概略にふれたのみでした...というか、それが三国志だとわかったのも中高生ぐらいになってからのこと)の私の素朴な疑問でした。
大人になって調べてみて愕然!三国志と隋の間は、とんでもない乱世だったのです。その名も「五胡十六国時代」。
そう、「五胡十六国の日」に紹介すべきと感じたことです。
その乱世のはじめの方に登場するのが、今夜紹介する「劉淵」。
劉禅の子ではありません(「三国志平話」では、劉禅の子設定ですけれど)。なんとびっくり、冒頓単于の子孫、匈奴の首長です。
なのになぜ劉姓なのか?はい、劉邦が冒頓単于に負けたあと、劉氏から匈奴単于家に姫を何度も輿入れさせた歴史があるからです。
「俺だって劉邦の子孫だ」というわけで、匈奴の首長が劉姓を名乗ることになったんですね。
彼の一族の興す国の名は「漢」。このあといろいろあって「趙」に改名、司馬懿の一族が興した西晋を亡ぼすのですが、その後主に騎馬遊牧民のいろんなグループの国が勃興しては滅び...を繰り返すことになります。
このあと、拓跋元氏の「北魏」が華北を統一するまで続く乱世、それが五胡十六国時代なんですね。
劉淵亡き後が乱世の本番、中国史上屈指の暴君が次から次へと登場する展開が続きます。彼らもまた別の機会に紹介したいですね。
またこの時代は日本史の「空白の四世紀」にかかっています。その意味で関係でも目の離せない時代です。
今夜は早く寝ます。
最終確認してます。
本日はネタ切れのため、更新をお休みいたします。
五代十国時代。唐が滅び、宋が興るまでの約50年間の乱世です。日本史でいうと、だいたい菅原道真が配流先の大宰府で亡くなるあたりから、藤原道長の父・兼家が台頭してくる時代、すなわち摂関家全盛時代ちょい前までですね。
この時代にも「李姓を名乗るトルコ人(といって中らずと雖も遠からず)皇帝(しかも戦争は激強)」とか、「明の洪武帝・朱元璋とよく名前を間違えられる裏切りに生きた男」などなど、面白君主が多数出てきます。が、この時代には「仕える殿を次々と変えてなお、庶民のための政治を生涯貫いた大政治家」が最も輝いたのではないでしょうか。彼の名は馮道(ふうどう)。
とにかく「あまりにも多くの殿に仕えた」ために乱臣賊子とみられることもある馮道ですが、私にとっては中国史の中では好きな人物の一人です。「政治」とは何なのかを考えさせられる馮道の生きざまをつづった、Youtube界No.1(少なくとも私の中では)中国史解説者・鳥人間さん渾身の動画、ご覧いただきたいです。
さて、来る「五胡十六国の日」には、誰の動画を推そうかな?
どんな動画かは日曜日をお楽しみに。
本日はネタ切れのため、更新をお休みいたします。
ちょっと疲れましたが、楽しかったです。今夜は早く寝ます。

