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ライク・ア・ライター

「心に、小さな火を着けたい。」
映画の感想や日記を通して文章力の向上を目指すブログ。

 

音楽は出会いだ。

 

 

 

車でラジオを流しているとき。

 

 

 

ラーメン屋で新聞を読んでいるとき。

 

 

 

ブックオフで立ち読みしているとき。

 

 

 

フェスの移動中。

 

 

友達の鼻歌。

 

 

youtubeのごり押し。

 

 

 

 

きっかけは様々。

 

好きになる時期も様々。

 

 

音楽は、そんな不思議な力を秘めている。

 

 

 

 

 

 

でも、いきなり出会い頭にライブに行くのは、もうほとんど交通事故だ。

 

 

 

仲よくしてもらっている友達の誘い(チケット余り)だから断れないのだ。

 

 

 

そんな、ダイナミックな事故のお話だ。

 

 

 

 

 

 

 

1月27日 クリープハイプ「今からすごく話をしよう、懐かしい曲も歌うから」 仙台公演。

 

 

in東京エレクトロンホール宮城。

東京か宮城かどっちかにせえ。

 

 

 

まずはセットリストのご紹介。

 

 

 

1曲目 聴いたこと無い。

 

 

2曲目 わからない。

 

 

3曲目 知らない。

 

 

4曲目 小麦粉か何かだ

 

 

5曲目 I don't know. 

 

 

6曲目 存じ上げない。

 

 

7曲目 あれ、さっきの曲と何がちがうん・・・?

 

 

 

そしてこのあたりで、俺はダウンした。

 

 

 

 

 

音が爆音すぎるのだ。

 

 

 

 

いや、映画でも「爆音上映」ってのがあるくらいだし、

 

 

音楽でもメタルとか重厚感のある音楽なら、音量はあってしかるべきだ。

 

 

 

でも君たちは。。。。音、大きいだけじゃない!?

 

 

 

 

数えていないが、7、8曲目くらいでダウン。

 

 

 

とどめはポリゴンフラッシュだ。

 

 

 

 

 

いやこのライブ、もうテロでしょ。

 

 

 

ファンの体どうなってんの?ゴーストタイプなの?

 

 

 

 

 

 

一応自慢ですが高校時代は国体やインターハイに出場するなど、体力には自身があるんですが。

 

 

 

 

座りました。

 

たぶん会場にそんなやつ3人くらいしかいない。

 

 

 

 

 

そのくらい、周りとぼくの温度差がすごかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セックスしよう!」じゃねーよ。

 

 

それ言わせてーだけだろ。

 

 

 

 

 

 

そういえばこの尾崎世界観とかいうサブカル女ホイホイのボーカルの声、これがまた耳に合わないのだ。

 

 

 

 

となりの何故か歌クソ上手いベースをメインにしてくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論

 

 

 

 

・いくら有名でも、知らないアーティストのライブには行くもんじゃない。

 

 

 

・ライブには耳栓を持って行け。

 

 

 

・クリープハイプ、それでもかっこいい。

 

 

 

 

ボロクソいってるけど、なんだかんだかっこよかったんだぜ。

 

悔しいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあと車が見知らぬ地、宮城のぬかるみにハマって超大変でした。

 

 

買い物。

 

 

天気予報。

 

 

読書。

 

 

音楽鑑賞。

 

 

ゲーム。

 

 

カメラ。

 

 

レコーダー。

 

 

時計。

 

 

メール。

 

 

電話。

 

 

その他。

 

 

もろもろ。

 

 

 

 

 

これだけの仕事をこなす文明の利器。

 

 

これが図らずも3日間封印された生活。

 

 

めちゃくちゃ不便だが、1年に一回ぐらいなら、あってもいいかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

金曜日 いつものバーに携帯を忘れる。

 

 

 

 

土曜日 いつものアラームが鳴らず、見事に寝坊する。

 

 

今日のライブの会場がわからない。

 

 

分かっても行き方がわからない。

 

 

天気の情報がわからないから猛吹雪の視界不良の中車移動。

 

 

 

到着しても仲間と連絡が取れない。

 

 

 

 

 

日曜日 携帯を探そうの旅。

 

 

 

金曜日に行った店はどこだっけ。

 

 

今日はやっているのか。

 

 

 

調べられない。

 

 

行くしかない。

 

 

 

 

 

やってない。

 

 

 

 

せっかく来たから別のところで飲んでいこうか。

 

 

 

 

 

 

 

サイゼリアで一人でマグナムを飲み干し、

 

 

 

餃子屋の1000円セットでビール2杯と餃子に奴子。

 

 

焼き鳥屋でDQNと喧嘩しそうになって、

 

 

それを丸く治めてくれた女の子と意気投合・・・するも、連絡先も交換できず。

 

 

 

タクシーも呼べず、歩く真冬の空の下。

 

 

 

 

 

 

月曜日 やはり起きられない。

 

 

 

右耳の聞こえが悪い。

 

 

病院に行きたい。

 

 

 

でも病院を調べられない。

 

 

 

症状についても当然調べられない。

 

 

 

タクシーも呼べないどうしよう。

 

 


 

 

 

職場に休みの連絡も入れられない。

 

 

 

公衆電話に走る雪道。

 

 

 

 

さて、昨日は何円分飲んだんだっけ。

 

 

 

 

家計簿もつけられない

 

 

 

どこにあるのか我が携帯。

 

 

 

そんな戯言を書くこともできない。

 

 

 


AIの波が瀬戸際まで来ている。






将棋ではプロ棋士がAIに次々と破れ、




ひいては、勝利のために対局中にAIでカンニングする者まで現れた。








「ロボットは東大に入れるか」でおなじみ「東ロボくん」は、センター試験で偏差値57.




東大の足切り点にはまだまだ到達しないものの、「人間である」受験者の平均をそこそこに上回る。








「ディープラーニング」、「シンギュラリティ」などという専門用語さえも一般的なものになった昨今、




ぼくたちは、「人間の存在意義とは」というテーマに、真剣に向き合うべきではないだろうか。






だからこそ観ておきたい、そんな映画が押井守監督の『GHOST IN THE SHELL』。














世界観とあらすじ





2029年、人間の「電脳化」と「義体化」が進んだ世界。



「電脳化」・・・いわば脳ミソのIoT化。

脳を電子ネットワークに接続し、記憶を外部に保存したり、脳から直接通信や車の運転などができるようになる。

「義体化」・・・サイボーグ化。血中アルコールを数十秒で分解できるようになる。うらやましい。




そんな世界で起こる電脳犯罪を捜査する、「公安9課」の活躍と、




「電脳化」と「義体化」により「生み出された」主人公、草薙素子の内面を描く。





印象に残ったところ





AIやら「存在意義」やらについて関心を持ったくせに、ぼくがすげーなと感じたのは「絵」。




架空の世界を描いているのに、不思議なリアリティを感じる。


もしあったら面白いよね、すごいよね、が説得力をもって描かれている。




先日企画展で観た山本二三氏の美術と、タッチは違いこそするものの、マインドと腕は共に一流の技を感じる。




↑摩天楼のふもとに東洋感あふれるマーケットが広がっているのは、ブレードランナーへのリスペクトだろうか?





あと、オープニング、エンディング、挿入歌で何度も聞くオリエンタルな曲もメチャクチャ印象的だ。

 

 





近未来を描いた映像と何故か絶妙にマッチしている。








さて、肝心要は草薙をはじめとする登場人物の内面描写だ。






 「人間が人間である為の部品は決して少なくない様に、


自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。


他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、


幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。


私の電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てが私の一部であり、


私という意識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける」





これがこの作品のキーというか、コアとなる草薙のセリフだ。




記憶や意識(「ゴースト/魂」)だけでも、肉体だけでも、他者との関係性だけでも、「自己」という単一のものを定義することができない。





作中、実在しない家族の記憶を記憶を植えつけられた清掃員が、その事実を突きつけられ、絶望するシーンがある。





このシーンは「記憶(意識)」が自己同一性の確立のために強く作用していることを示す重要なシーンだ。




清掃員は、自分の中の家族が虚構であることに絶望したのは当然だが、それと同じくらい、「自己」を見失ってしまったこと
それ自体に絶望したのではないだろうか。





草薙のセリフに戻ろう。



彼女は記憶やら何やらを集めた集合体が「自分」であると説き、一方で「自分」という意識が「自分」を定義しているあらゆるものの変化(発展)を制約しているとも説いた。





なるほど、サイボーグ化すれば酒飲んでもすぐに車を運転できる。

数十秒でアルコール分解できるから。

これは便利。「進化」と言ってもいい。





電脳化して、情報やら文章を書くスキルやらを脳ミソにインストールすれば、もっともっと面白いブログがかけるかもしれない。




でもそれは果たして「自分」なのだろうか。




浴びるほど酒を飲んで昼まで惰眠を貪り、駄文をネットに晒す。




それこそが紛れも無い「自分」ではなかろうか。





この葛藤に身を置き、それでも生きていくため、彼女は機械の体にはいわば禁忌であるダイビングに心のよりどころを求める。



水面から出たときに、新しい自分に生まれ変わることを望みながら。








ちなみに、これはぼくの話。



ぼくなら全身改造しきってでも「進化」したい。




そのほうが便利だし、そもそも「自分」への執着がない。



国籍でも名前でも性格でもなんでも変えていただいて結構だ。



逆に、仮にそんなものを変えられたくらいで、「自己」という認識が変わるとは思えない。



哲学の世界でどう論じられているかは知ったこっちゃないが、



ぼくにとっては昨日のぼくも1年前のぼくも、



顔が変わっても首から下全部他人と入れ替えても、



なにも「変わらず」に、ぼくは自分を同一の自分だと認識できる。



はず。







さて本作の終盤では、人工知能がもつかもしれない面白い意識についても描かれている。





草薙と並び立つ「人物」として描かれる「人形使い」。



世界中の「人間」をハッキングして操るハッカー。



作中で公安6課と9課が追いかけるターゲットである。




正体はプロジェクト5201によって作られた人工的な人格プログラム。

(この表現は公式のものではない)




あくまでもプログラムであるから、「器」となる体が存在しなくても「生きて」いられる。





だから、他の依り代に自らをインストールして公安9課に回収させ、草薙との接触を試みた。




以前から草薙に興味があったらしく、外部との接触を断った2人だけの通信回路で







「君と融合したい」







変態である。



だれかこのドスケベ野郎をデリートしろ。





終盤の息も詰まるシリアスシーンでふざけたことを言うので、思わず笑いながら引いた。






しかし、この変態発言にも意図があり、それこそが面白い意識によるものだった。







その意識とは「繁殖の欲求」だ。





コピーではだめなのだ。


固体としての多様性が生じないためだ。


それは「種の保存」のための合理的な意味合いのためらしいが、


しかしまあ、そんなことを意識できる人工知能である。



仮に多様性をもって繁殖したあかつきには、

他者との有意差に価値を見出すために、

高い車やバッグを買いたいとか、

代官山に住みたいとかいう誇示的な消費をしたがるやつとか、

サブカルバンドにはまったり、地下アイドル追っかけたりと、

記号的消費(ボードリヤールで検索)に命張るやつも出てくるんだろうな。




あれ、もうそれ人間じゃね?











みなさんの考える「人間」の定義とは?

その存在意義とは?




「自分なら電脳化・義体化したいか」



なんて考えながら観てみると面白いかもしれない、そんな一作でございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日のつづきを

 

作中の数々の生死を分けた戦い。

 

 

 

 

極限の真っ只中にいる兵士たちがした行動は何か。

 

 

 

 

それは「祈り」だった。

 

 

 

神に祈るもの、家族に祈るもの、自分に祈るもの。

 

 

もはやそれは「生きることへの祈り」ではなく、ただただ、心の平安を求める悲痛にも近い祈り。

 

 

 

「懇願」と言ったほうが正しいのかもしれない。

 

 

冒頭の苛烈な犬死シーンが20分にも及んだのは、唯一つ、この「祈り」を描きたかったというのが理由のひとつだと思う。

 

 

 

 

 

一方で生命の危機から還ってくると、その心の平生も還ってくる。

 

その内に秘めた悪魔を引き連れて。

 

 

 

 

ある者は恐怖心のあまり、またある者は勝ち誇ったように投降した兵を殺した。

 

(オマハビーチD1ルート解放後の「何言ってるかわからん」、最後の戦いが決したあとのアパム。

 

 

 

 

しかしまあ、滑稽なことにこのテーマを、エマソンを引用してわかりやすく示してくれたのがこの悪魔に打ち勝て無かったアパムなのだが。)

 

 

 

 

 

極限状態における人間性は、主な登場人物、中隊長ミラー大尉以下の8名によく表現されている。

 

 

 

①ミラー大尉

部下を失っていく罪悪感・絶望感との葛藤とそれを克服する強い心

 

 

②マイク

忠誠心・従順さ。悪く言えば思考停止。

 

③ジャクソン

自分の力への信頼。迷わない心。

「信じる」と言う意味でマイクと同質にして逆ベクトル。

 

④ウェイド

恐怖心を拭うための行動群。自己防衛。

 

⑤カパーゾ

愛の尊重。その尊重のために、冷静さや協調性を命と共に失う。

 

 

⑥ライベン

「疑い」の人格。ライアンの救出、機関砲の破壊、捕虜の釈放、全てに懐疑的。

見方によってはウェイド、アパムとは別ベクトルの恐怖心を示しているのかも。

 

 

⑦メリッシュ

「仲間との繋がり」に重きを置く。ヒトラー青年隊のナイフを片手に泣き(メリッシュはユダヤ系。仲間を想っての涙だと想う)、また自らの死に際ではそこにいないライベンの名を叫んだ。

 

⑧アパム

恐怖心を克服できない弱い心。ウェイドと同じ感情のコアを持ちつつも、行動面においてウェイドとは全くの逆ベクトル。

しかし、それはある意味「普通の人」の感覚なのかもしれない。

 

 

 

さて、この8人は、2つに大別できる。

 

 

 

 

「信じる」人間とそうでない人間。

 

 

 

 

まず信じる人間。

ミラー・・・自らの生き様(「信じる」というより「祈る」が正確か)への信頼

マイク・・・上官への信頼

ジャクソン・・・自らの力への信頼

カパーゾ・・・自らの価値(愛)への信頼

メリッシュ・・・仲間への信頼

 

そして、信じられない人間。

ウェイド・・・生命、またはその維持に対する信頼がほとんど無い。

ライベン・・・基本的に「疑い」をもつスタンス。ライアン救出というミッション自体にすら不信感。

アパム・・・自らの生命・安全に対する信頼が0。それに伴い他人に対する信頼もなく、戦地で相手を殺せぬほど臆病ながら、戦闘から開放されたのに相手を殺してしまう。

 

 

 

とまあ、1度しかみていないが、大まかにこんな感じか。

 

 

 

 

各登場人物の人間性がその言動の端々にしっかりと描かれている。

圧倒的なカロリーを持つ映像に脚本が負けないのは、ここがしっかりしているからなのだろう。

 

 

 

 

 

プライベートライアン、本当によく出来ていると思う。

 

 

 

 

ゴッドファーザー並みに長い映画だが、何度でも観たい、そんな映画だ。

 

 

 

 

まだまだこの映画については語りつくせない。

 

 

 

 

 

また機会をみて記事にさせていただければ。

 

 

 

 

 

 

 

余談だが、プライベートライアンについては、たった3人で1000人分のエキストラを演じるなど、完全再現をしてしまった人がいるので、一応みていてほしい。すごい。

 

 

 

ブログ書こうと思って早く帰ったのにこの時間。

 
 
何も話すことなく、とりあえず酒の怖さを知るおやすみ。
 
 
 
 
 
 
ーーーーーーーー2・26追記ーーーーーーーー
 
 
 
 
あれ、この記事書いたの覚えてない・・・何これこわ。
 
 
酒の怖さを知るおやすみ。
 
 
 
※ネタバレしかありません
 
 
 
 
 
スピルバーグ監督作品『プライベートライアン』を視聴。
 
 
 
 
 
この映画を観たものは言及せず
にはいられないであろう冒頭の20分間。
 
 
 
1944年6月6日。
 
第二次世界大戦の転換点
 
「ノルマンディー上陸作戦」
 
 
 
その中でも最も熾烈を極めたという「オマハビーチの戦い」。
 
 
 
 
 
画面は真っ赤に、画面の前のぼくの顔は真っ青に。
 
 
それでも画面から目が離せない、一切デフォルメのない圧倒的な犬死戦闘シーン。
 
 
最近図らずも人がバッタバッタくたばっていく映画を観ていたが、この戦闘シーンはあまりにも毛色が違いすぎていた。
 
 
 
 
 
このシーンが20分。
 
 
約3時間にも及んだこの超大作の上映時間の理由の一つは間違いなくこの一切妥協のない戦闘描写だが、そこに少しでもカットしようかという余地が思い浮かばない。
 
 
 
このシークエンスは、視覚的にも、作品のテーマを炙り出すためにも、それだけ重要なシーンだったのだ。
 
 
 
 
 
この20分間で映し出されたもの、あるいはその後度々巻き起こる激しく生々しく、一見冗長にさえ見える戦闘シーンは「極限状態」だ。
 
 
 
 
登場人物たちはこの極限状態でどう生きるか。
 
 
 
この極限状態を乗り越えて、どう生きるか、それがこの映画の全てだと思う。
 
 
 
 
 
詳しくは次回に解説?していきたい。

 

東京では今日大雪が降っている。

 

 

電車は止まり、ホームも車内も人で溢れる。

 

 

渋谷やら新橋やらの駅前が映される。


 

 

積雪情報が出る。

 

 

 

甲信越40cm。

 

 

東北30cm。

 

 

 

関東、20cm。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ!?

 

 

なぜこんなことが許される?

 

 

 

なぜこれを全国のテレビを占拠して報道できる!?

 

 

 

 

 

ゆりかもめが止まった。

 

 

 

 

だからどうした!?

 

 

レインボーブリッジが封鎖された。

 

 

 

だれか死んだのか!?

 

 

 

 

 

よく考えてみろ。

 

 

 

 

 

「福島市で積雪により渋滞発生。

10kmにわたり車が立ち往生。」

 

 

 

 

 

 

そんなニュースが全国に流れるか!?

 

 

 

 

 

「東北本線が停車した。」

 

 

 

 

そのあとのニュースはどうなるか。

 

 

 

 

「さて、次は大相撲初場所です。」

 

 

 

 

 

 

 

ふざけたおせ。

 

 

 

 

雪だけじゃない。

 

 

 

報道に熱が入るのは、史上最強台風よりも東京を直撃する台風だ。

 

 

 

そんな東京直撃台風も、喉元を、埼玉を過ぎれば熱さを忘れる。

 

 

まるで何も無かったかのように、台風一過の清清しい晴天が画面に写し出される。

 

 

 

福島で樹木が凶風に倒されようとも。

 

 

 

 

 

 

福島の海上汚染は話題にならないのに、

 

 

築地の土が汚れえているだとか、その市場を建替えるだとか、ローカルニュースを全局あげて報じていたときには寒気すらした。

 

 

 

 

 

もし仮に、こんな仮にはあり得ないのだが、

 

 

 

 

あの3.11の震災の舞台が「東京」だったなら。

 

 

 

 

今もまだ空間線量が十分に下がらず、除染が続いているとしたら。

 

 

もちろんそんな仮にを望んでいるわけではない。

 

 

 

 

それでも、それでもその「被害者」が東京の人々であったなら、

 

 

 

 

今もまだ、日本を賑わす議論は「復興」だったんじゃないのか。

 

 

 

 

「がんばろう、日本」

 

 

 

その言葉は、体育の祭典ではなく今もまだ、、身近な生活を取り戻すために謳われていたのではなかろうか。

 

 

 

人々の命と健康を守るために、叫ばれていたのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

インターネット全盛の今でも、情報の中心は間違いなく「都会」にある。

 

 

 

しかしながら、それにかこつけた「都会」の圧倒的な情報量の前に、ぼくたちの生きる世界が埋もれてしまうことに、途方も無い寂しさを覚える。

 

あるいは情報が「多数決」の原理のみによって不当に重み付けられていることに、激しい違和感と憤りを覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日、ぼくの、私の車は動けるのか。

 

 

それだけがぼくたちの関心なのに、画面には見知らぬ街でノーマルタイヤのまま雪に埋もれた愚かな都会人の営みだけが、繰り返し映し出されていく。

 

 

「趣味は映画鑑賞です。」

 

 

と言うと必ず

 

 

「おすすめは?」

 

 

と聞かれる。

 

 

いや、むしろぼくもよく相手に聞く。

 

 

 

 

そのとき自称映画通の答えは一つ。

そう、『ゴッドファーザー』だ。

 

 

とりあえずこれをベタ褒めしておけば何の問題も無く通ぶれる。

 

 

 

 

しかしながら、それだけ汎用性が高いだけに、

 

 

「話が合うね!ぼくもバルジーニが階段から転げ落ちるシーンが好きでね!」

 

 

などとなってしまう可能性が高く、非常に危険だ。

 

 

苦し紛れに

「そうですね、あのカメラワークが印象的でした!」

などと知ったかぶりコメントをするのも忍びないどころか地雷でしかない。

 

 

 

 

そこで、まだまだ映画好き3級くらいの自分だが、

 

他の映画クラスタさんとの親交を深めるためにも、教養としての『ゴッドファーザー』を視聴したわけだ。

 

 

 

 

〈あれ、ストーリーが頭に入ってこない〉

 

気合を入れて視聴を開始するも、ストーリーが全く頭に入ってこない。

 

 

 

なんせ映るものすべてが素敵過ぎる。

 

 

 

キャデラックやリンカーンの名車たち。

 

 

重厚感と余裕を感じさせるスーツの着こなし。

 

 

ピッチャーで飲むワイン。

 

 

 

これらが巧みに彩られた映像美で映し出される。

 

 

これはもう画面から目が離せない。

 

 

冒頭の結婚式のシーンとかね、

 

 

 

もうルノワールの絵じゃん。

 

 

 

 

この結婚式のキャプチャだけで2時間は観ていられる。

 

 

一方で、画面の端から端まで注意が行ってしまうからなかなかストーリーが頭に入ってこない。

突然セックスしはじめたお前は誰なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

〈長い〉

 

 

 

普通映画って100分から120分くらいが相場だと思うんだよ。

 

 

 

なんだ180分って。

 

おしっこ2回行ったわ。

 

 

 

 

物語後半、ストーリーの行く末よりもシークバーが気になって仕方が無い。

 

これ、劇場での上映当時は映画館のスタッフも涙目だったろうに。

 

 

 

よく、おもしろい映画はあっという間に終わってしまう、見たいなことを言われると思う。

 

 

 

誤解を招かないよう言っておくと、『ゴッドファーザー』はネタにするのもおこがましいスーパー名作だ。

 

なかなか頭に入ってこないストーリーもウィキペディア片手に繰り返し観る事でその完成度に気づかされる。

 

 

 

しかし、それにしても長い。

 

 

この映画を楽しむためには、間違ってもビールを飲んではいけない。

 

 

自分の膀胱ではなくしっかり映像に、音に、そのうつくしい脚本と演技と向き合うべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

〈「不朽の名作」ながら好みは分かれるだろう〉

 

総合的に、ゴッドファーザーは観るよかったと思う。

 

 

ただ、好みではない。

 

 

ぼくは映画鑑賞3級なので派手なアクションや、度肝を抜かれる音響や演出がないと退屈してしまう。

 

 

 

そういう人間には、向いていない映画だ。

 

 

間違っても誰にでもオススメできるような映画ではない。

 

 

 

テーマは暗く、重く、カタルシスにも乏しい。

 

 

 

しかし、この映画を観ることによって明らかに映画鑑賞IQが上がるはず。

 

 

この映画は「教養」だ。

 

 

観ることによって視聴者としての引き出しが増える。

 

 

「教養」であって「強要」ではないのだが、やはり他人と映画について語るなら観ておきたい一作だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「趣味は映画鑑賞です。」

 

 

と言うと必ず

 

 

「おすすめは?」

 

 

と聞かれる。

 

 

 

そのときぼくは、

 

 

『ゴッドファーザー』とウソをつけるようになった。


これで映画鑑賞2級に昇格だ。
 

いつも通っているバーにこの前ワインを忘れてしまい、取りに行くついでに飲みに行った。

 

 

それはそれでよし。

 

しかし、病気なので、どうしても一軒じゃ物足りないのだ。

 

 

だから、行ったことのないバーに突撃ラブハートすることにした。

 

 

 

 

 

「距離感」をウリにしているバーって多いじゃないですか。

 

 

昨日行ったのは、それの代表格みたいなところでした。

 

 

 

入って8秒で店員に職業聞かれました。

 

 

ゴールデンボンバーかよ。

 

 

 

 

そんなゼロ距離でマグナムぶっ放してくるバーなので、来る客来る客みんな常連。

 

 

客同士もみんなファミリー。ウェーイ。

 

 

 

隣に座ったおねえさん(43)も、ぼくに彼女がいないと知るや否や恋愛論を振り回す振り回す。

顔にバチバチあたってるってーの。

 

 

 

「あんたはさぁ、「軽い」んだよ!」

 

 

「あーそれよく言われます!」

 

 

「そーいうとこが軽いんだよ!」

 

 

どーすりゃいんだよ。。。

 

 

 

 

 

もう隣には2人組みの女の子(22)。

 

 

 

コイツがなかなかのクズで、おもろいやつ。

 

 

いきなりポーカーやろうとか言い出すから何かと思って乗ってみたらこれが大失敗。

 

 

負けたら酒を奢る。自分もテキーラを飲む。

何杯奢り倒したことか。100パーイカサマだろ。

 

 

そしてここからが恐ろしいところで、新規の男2人が入ってきた途端にぼくに背を向け男に媚びる媚びる。

 

 

傍目にみたらぼくは落ち込むべきところだが、そんなすがすがしいまでのクズっぷり、

そんな人間の営みが、ぼくは大好きだ。

 

 

 

 

あの店にはまた行こうと思う。

買ったワイン忘れてったし。

 

 

 

 

 

「だめだ!どんな理由があってもお前に行かせる訳にはいかない!

 

 

おまえにはこれからも守り続けなければいけないものがいくらでもあるんだ!」

 

 

「店長。ぼくは還ってきます。こいつを温かいまま届けて、必ず・・・!」

 

 

「待て!これは店長命令だ!」

 

 

「だめなんです。ここで行かなくちゃ。

 

 

すみません店長。今日はじめて、貴方を裏切ります。

 

 

今まで育ててくれて、ありがとうございました!」

 

 

「バイトぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

2018年1月18日、業界最大手の「ドミノ・ピザ」が、20分以内に届かなかったら次回Mサイズが無料になる、その名も『ミッション20ミニッツ』を開始した。

 

 

 

 

一見、お客さんにとってはデメリットの無い最強サービスに、

 

あるいはドミピにとってはバイト殺しの過剰サービスに見える。

 

 

しかし実態は、このサービスを利用するには1回200円をドミノピザに支払う必要がある。

 

 

ある人はそれを「保険」と呼んだ。

 

 

しかしそれは少し違う。

 

 

店側にとってはどう考えても20分以内の配達は無理な状況がある。

 

 

 

例えばちょうど23年前の阪神大震災の直後、食料事情からライフラインまで壊滅していた状況下に20分でピザを配達するなど、コードギアスの「ガニメデ」を使っても不可能だった。

 

 

そういう場合は、店側が断ることが出来る。

 

 

勝機の無い「闘い」からは降りることが出来る。

 

出典:ロケットニュース

 

 

保険も既往歴等によっては加入できない等の「逃げ」はあるが、「ミッション20」のそれは、もっとゲーム性が強い。

 

病歴などといういわば客観的な基準によって実施の可否が決まるものではなく、もっと人間的な「決断」により、「勝負」か「降りる」かを決められるからだ。

 

 

だからこそこのサービスの捉えかたは二分する。

 

 

一つ。ある人は先述のとおり「保険」と呼んだ。

 

 

一つ。またある人それを、200円とプライドをかけた「決闘(デュエル)」と呼んだ。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

〈『・・・こちらHQ。八木田店応答せよ。

繰り返す。八木田店応答せよ。』〉

 

「こちら八木田店。調理場はフル稼働している。

配達員は4名中3名が出動中。オーバー。」

 

 

〈『了解。

八木田店、コードM20.場所は福島市泉。

20分以内の配達は可能か』〉

 

 

「こちら八木田店。20分での配達は難しい。

路面は凍結。この時間の交通状況をみても「降りる」のが・・・・」

 

 

「こちら八木田店!20分以内に必ず配達する!

『ジョーカー』の使用許可を求める!」

 

 

「貴様!正気か!路面を見ろ!

 

お前の眼には磨き上げた球状の21金のように、残酷にも美しく路面に煌く月が映らないのか。

 

こんな夜に『ジョーカー』だと?ふざけるな!

 

勇敢と無謀を履き違えるな!お前には俺たちの「作品」を全世界に届ける使命がある!

 

届け続ける使命があるのだ!

 

それは崇高にして果てる事の無い恒久の使命である!

 

一回の、たった一回の『仕事』のために命を投げ捨てていいのか!?

 

いや、良い訳が無い!

 

瞼を閉じろ!胸に手を当てろ!

 

おまえが為すべきことは目の前の『仕事』か、はたまた恒久の『使命』か。

 

天の視点から見定めるのだ!」

 

 

 

「店長。店長がはじめて『仕事』をしたのは何故ですか。

 

今でも続けているのは?

 

ぼくは、たまたま店長に拾ってもらって、自分の意志とは無縁のままに、初めての『仕事』をしました。

 

 

 

そのとき、配達先に行ったら、ドアの前でその家の子どもが待っててくれたんです。

 

ずっと、凍えるような吹雪の中で。

 

 

寒かっただろうに、ほっぺたを真っ赤にしてね、待っていてくれたんですよ。

 

それが、ぼくが来た途端にパッと晴れ渡るような笑顔になって。

 

 

ぼくはそのときのことを、片時も忘れたことはない。

 

 

今日もぼくたちを待っている人がいる。

 

 

子どもも、大人も。

 

男も、女も。

 

カップルも、独り身も。

 

ぼくたちを待っている。

 

 

たとえそれが寒空の下であっても、例外なく。

 

待っているんです。ぼくたちを。ヒーローを。

 

 

 

そしてヒーローは、逃げちゃダメなんです。

 

この星を守るため、みんなの夢を、笑顔を守るため。

 

闘い続けなきゃ、ダメなんです!

 

 

 

だから、行かせてください。

 

ぼくは今『ジョーカー』で、この『闘い』に挑みます!」

 

 

 

 

「だめだ!どんな理由があってもお前に行かせる訳にはいかない!

 

 

おまえにはこれからも守り続けなければいけないものがいくらでもあるんだ!」

 

 

「店長。ぼくは還ってきます。こいつを温かいまま届けて、必ず・・・!」

 

 

「待て!これは店長命令だ!」

 

 

「だめなんです。ここで行かなくちゃ。

 

 

すみません店長。今日はじめて、貴方を裏切ります。

 

 

今まで育ててくれて、ありがとうございました!」

 

 

「バイトぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ママ!このピザ、さっきたのんだのに、もうきたよ!」

 

 

「すごいわね!魔法使いさんがもってきてくれたのかな?」

 

 

「ママ、ちがうよ!ヒーローがもってきてくれたんだよ!」

 

 

 

 

 

 

温かい団欒の横。サイディングの外壁一枚を隔てた寒空の下には、おびただしい傷を負ったスズキの隼が、まだ熱を帯びながら、どこか満足げに横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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