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ライク・ア・ライター

「心に、小さな火を着けたい。」
映画の感想や日記を通して文章力の向上を目指すブログ。

ぼくの地元、福島県の福島市では今、ある美術展が開催されている。

 

それは「山本二三展」

 

山本二三氏は、『未来少年コナン』『天空の城ラピュタ』、『時をかける少女』などのアニメーション美術を手がけた「日本アニメーション美術の創造者」である。

 

たぶんこう説明してもパッとしないと思うので、写真を。

 

 

この人だ。

地元紙の福島民報にしては非常にわかりやすくキャッチーな宣伝をしている。えらいぞ。

 

 

そんな彼の原画展がぼくの地元福島に来るというのだから、これは行かざるを得ない。

 

 

で、本日、その存在を思い出し急遽行ってみることに。

 

 

すると・・・・・

 

 

 

なんと本日はトークショーの開催日!!!!ラッキーすぎる!!!

 

 

到着時間の関係で14時からのトークショーに30分遅れでの参戦。

 

 

内容については、うーん。

まとめたいが、メモセットを忘れてしまったー!

 

 

とりあえず、ぼくが聞けた範囲覚えてる範囲ですごく勉強になったところは以下のとおり。

 

 

1 アニメーション製作現場の苦しさ

アニメーションの世界で良い作品を作るために、クリエイターは比喩ではなく休まず働いている。

体や心が潰えてしまい、描けなくなる絵師を何人も見たし、自分も一度はそうなった。

どれだけやっても、一日12時間を限度にしなければだめだ。

頭がダメになる。

 

2 上達するためには描いて、世に出すしかない

山本氏は最近、葛飾北斎とその娘の「おえい」のドラマを観たそうだ。

その中の印象に残るシーンを一つ挙げてくれた。

 

おえいは北斎と同様に絵師としての道を志していたが、スランプに陥り、自分が描いた絵を世に出すことをためらうようになってしまった。

そこで北斎はおえいにこう言ったそうだ。

 

「絵師は忍んではならない」

 

 

表現者は、一度表現者としての道を選んだからには、自らの作品に対して遠慮や羞恥心を持ってはならないのだ。

 

そして、作品を世に送り出すことによってまた成長を遂げていく。。。

 

 

山本氏が今回の企画展開催にあたって、自らが「見せるのも恥ずかしい」と話す『未来少年コナン』の原画を展示したのは、この言葉を受けてのことだという。

 

山本氏が語る「ドラマ」は調べるかぎり『眩(くらら)~北斎の娘~』と思われる。

 

ぼくは観ていないが、NHKオンデマンドでも視聴可能なようなので、早急にチェックしたいところ。

以下、公式HP↓

http://www.nhk.or.jp/dsp/kurara/

 

 

3 「オリジナリティ」を出すにはどうしたらいいか

 

これは、トークイベントの観客からの質問に対し山本氏が答えたもの。

 

山本氏いわく、「オリジナリティは書き続ける中で生まれてくる(生まれてきてしまう)」とのこと。

 

彼は若手の頃に「バイト」として所属の外の絵をうけもったことがあるらしいが、同僚に一発で見抜かれたらしい。

 

意図せずとも、描き続ければ個性は出てくる

 

絵の上達にしろ、個性の確立にしろ、大事なのは描きつづけること、のようだ。

 

 

トークショーは覚えてる・印象に残るところはそんな感じ。

 

 

 

展示の感想については、次の記事に持ち越すとしよう。

 

では、また。

 

 

ぼくの地元、福島県の福島市では今、ある美術展が開催されている。

 

それは「山本二三展」。

 

山本二三氏は、『未来少年コナン』、『天空の城ラピュタ』、『時をかける少女』などのアニメーション美術を手がけた「日本アニメーション美術の創造者」である。

 

たぶんこう説明してもパッとしないと思うので、写真を。

 

 

この人だ。

地元紙の福島民報にしては非常にわかりやすくキャッチーな宣伝をしている。えらいぞ。

 

 

そんな彼の原画展がぼくの地元福島に来るというのだから、これは行かざるを得ない。

 

 

で、本日、その存在を思い出し急遽行ってみることに。

 

 

すると・・・・・

 

 

 

なんと本日はトークショーの開催日!!!!ラッキーすぎる!!!

 

 

到着時間の関係で14時からのトークショーに30分遅れでの参戦。

 

 

内容については、うーん。

まとめたいが、メモセットを忘れてしまったー!

 

 

とりあえず、ぼくが聞けた範囲覚えてる範囲ですごく勉強になったところは以下のとおり。

 

 

1 アニメーション製作現場の苦しさ

アニメーションの世界で良い作品を作るために、クリエイターは比喩ではなく休まず働いている。

体や心が潰えてしまい、描けなくなる絵師を何人も見たし、自分も一度はそうなった。

どれだけやっても、一日12時間を限度にしなければだめだ。

頭がダメになる。

 

2 上達するためには描いて、世に出すしかない

山本氏は最近、葛飾北斎とその娘の「おえい」のドラマを観たそうだ。

その中の印象に残るシーンを一つ挙げてくれた。

 

おえいは北斎と同様に絵師としての道を志していたが、スランプに陥り、自分が描いた絵を世に出すことをためらうようになってしまった。

そこで北斎はおえいにこう言ったそうだ。

 

「絵師は忍んではならない」

 

 

表現者は、一度表現者としての道を選んだからには、自らの作品に対して遠慮や羞恥心を持ってはならないのだ。

 

そして、作品を世に送り出すことによってまた成長を遂げていく。。。

 

 

山本氏が今回の企画展開催にあたって、自らが「見せるのも恥ずかしい」と話す『未来少年コナン』の原画を展示したのは、この言葉を受けてのことだという。

 

山本氏が語る「ドラマ」は調べるかぎり『眩(くらら)~北斎の娘~』と思われる。

 

ぼくは観ていないが、NHKオンデマンドでも視聴可能なようなので、早急にチェックしたいところ。

以下、公式HP↓

http://www.nhk.or.jp/dsp/kurara/

 

 

3 「オリジナリティ」を出すにはどうしたらいいか

 

これは、トークイベントの観客からの質問に対し山本氏が答えたもの。

 

山本氏いわく、「オリジナリティは書き続ける中で生まれてくる(生まれてきてしまう)」とのこと。

 

山本氏は若手の頃に「バイト」として所属の外の絵をうけもったことがあるらしいが、同僚に一発で見抜かれたらしい。

 

意図せずとも、描き続ければ個性は出てくる。

 

絵の上達にしろ、個性の確立にしろ、大事なのは描きつづけること、のようだ。

 

 

トークショーは覚えてる・印象に残るところはそんな感じ。

 

 

 

展示の感想については、次の記事に持ち越すとしよう。

 

では、

 

 

※『座頭市』(北野武)のネタバレ記事です。

 

「斬る」とはいったものの、切れ味はすこぶる悪く、モンスターハンターのハンターカリンガ改くらいのもの。

『座頭市』(2003年) 「北野武」監督作品。

実は観たことが無く、内心バカにしていたのだが・・・・・・

まさにそんなぼくの心を一刀両断した。

 

まるで盲目の侠客、居合の達人「座頭市」のようにぼくの心を見透かす北野。

 

リアル座頭市かよ。

 

 

まずストーリー

 

欲にまみれたクソどもが女・子どもだろうがお構いなく殺害。強奪。暴力のデパート。

 

そこに現れる凄腕の剣豪。

 

鮮やかな殺陣で観る者を圧倒し、悪漢を成敗していく。

 

 

うん。なんて王道すぎる時代劇。

 

 

だがそれはおそらく北野の狙いそのものだ。

 

 

この作品を作った北野は、明らかに世界を見ている。。。

 

 

これはほぼ確信しているのだが、時代劇を観ようとしている外国人は小難しい人間社会のしがらみとか、登場人物の心の機微とか、

 

そんなものは毛ほども観る気はない。

 

ヤツらが見たいのは、

 

極悪人を次々と切り捨てていくカッケー侍アクション。

もしくはニンジャ。(「忍者」ではない。)

これだけ。マジで。

 

 

『座頭市』はそこから1ミリも外れずド王道を突き進んでしまっている。

 

大半のジャパニーズからしたら3年に1回くらい見れればスカッと、あるいは安心するかな、という超定番の時代劇のストーリー。

 

それが、海外ではウケるのだ。

 

さすがは世界の北野。ガイジンの心も読みきるリアル座頭市っぷり。

 

 

とはいえ、そんなものを今更作品化するのも相当な勇気が必要だ。

 

レッドオーシャンに手漕ぎボートで乗り出す覚悟が必要だ。

 

このあたりも北野の世界スケールなところか。

 

 

 

そして極めつけは、お笑いの人間「ビートたけし」の片鱗をチラチラ覗かせる、洗練されたエンターテイメント性

 

目でも耳でも楽しませてくれる120分を作り上げてしまった。

 

これが国内外を問わず、世間を熱狂させてしまった魔法のスパイスなのだ。

 

何が手漕ぎボートだ。ジェットエンジン5機くらい積んでんじゃねーか。

 

 

わずか120分で圧倒的な引き出しの多さを見せ付けてくれた北野監督。

 

しかし、この一本に限らずどんどん世に作品を生み出している。

 

その一つが件の『アウトレイジ』シリーズになるわけだが、残念ながらぼくはまだ視聴できていない。

 

4月の『最終章』DVD・Bluray発売にむけて、今後も作品を追いかけていきたいところ。

 

つぎはどんな懐の深さを見せ付けてくれるのか。

 

期待は高まるばかりである。

※ネタバレ注意

 

本日も映画ネタで1記事書きますよ。

 

お題はジュラシックパーク。1993年6月公開。

 

 

ぼくの生まれが1993年3月なので、ぼくが生後3ヶ月のときの作品。

 

世の中のニュースでいうと衆議院が嘘つき解散し、新党さきがけ、新生党が発足したあたりの時期らしい。知らね

(勝手に出典:10000年カレンダーさん 

http://www5a.biglobe.ne.jp/accent/kazeno/calendar/dekigoto/1993.htm)

 

ついでに言うと、ぼくが生後3ヶ月にして青森に引越しを余儀なくされたときですね。

 

悲劇かよ

 

 

冗談はさておき、まずはあらすじの紹介。

 

 

 

主人公は子どもとコンピューターが苦手の恐竜学者(?)のアラン。

 

そしてその恋人らしき古植物学者エリー。

 

アランの子ども嫌いはなかなかのもので、冒頭のシーンで、

 

 

ガキ「ヴェラキラプトルの化石?でかい七面鳥みたいだな、HAHAHA」

 

アラン「ヴェラキラプトルと目が合ったらお前瞬時に挟み撃ちされて生きたまま腹かっ裂かれて食われるぞ」

 

 

などと大人げの無さ過ぎる子ども嫌いっぷりと、ヴェラキラプトルのラスボス示唆を同時に行う高等テクニックを披露

 

 

そんな2人は3年分の研究費に釣られ、設定的に都合のいいほどの金持ち、ハモンドが建設を目論む『ジュラシックパーク』の危険性調査に駆り出される・・・・・

 

 

 

 

ではいきなり気づいた点感想のまとめ。

 

作品のテーマとして描かれていたのは、

 

生命の壮大さ」と「生命工学」の対立、そしてその倫理について

 

これは誰が見ても明らか。

 

「対立」と表現はしたが、無論、「生命の壮大さ」の優位性を示している。

 

ゆえに、生命の可能性を踏みにじり、人間の傲慢さを見せた人間から順番にちゃんと死ぬ。

例外なく死ぬ。そうでなくても死ぬ。

 

 

また、アランは釣り橋効果とも言うべきか、作品を通して子ども嫌いから、子どもを愛することが出来る人間へと成長していくわけだが、これもまた「生命(=子どもの命)の壮大さ」を再確認することの象徴といえるだろう。

 

 

パニック映画だけあり、画のつくりは常に「襲われる者の視点」が強調されている。

 

脚本はもちろんだが、視覚的な演出によって、常に視聴者に危機感を与える工夫が散りばめられていた。

 

 

総合的にみて、かなり興奮できる一作。

 

スピルバーグ監督も狙い通りの反応を観客に与えることが出来たのではなかろうか。

 

 

続編を観るかはまだ決めかねているが、今年7月13日公開の新作『ジュラシック・ワールド 炎の王国』には是非期待したいところ。

 

監督はフアン・アントニオ・バヨナ。

代表作は『永遠のこどもたち』など。

 

乞うご期待。(誰目線)

 

※ネタバレ注意

 

映画『ランボー』を自宅にて鑑賞しました。

 

 

 

まずはあらすじを要約。

 

 

舞台はベトナム戦争での米軍撤退から約8年後のアメリカ、ワシントン州。

 

戦争の英雄として活躍したランボーだが、戦友はベトナム戦争で使用された化学兵器による癌によりこの世を去り、自身も街を歩くだけで「浮浪罪」として逮捕される。

 

拘留所で取り調べと称した虐待を受けるランボー。

 

虐待により戦争時のトラウマがフラッシュバックしたことをきっかけに暴走・脱走。

 

ランボーは自らを捕らえ、あるいは殺害しようとする警察らを相手に、たった一人の戦争を挑むことを決意する。

 

 

続いて、この映画がもつメッセージについて一考。

 

言うまでも無く、「ベトナム戦争の爪痕」を全世界に、あるいは後世に伝える意義をもつ一作。

 

その「爪痕」とは、化学兵器による汚染、帰還兵の精神疾患(PTSD)、そして帰還兵の冷遇。

 

ランボーはそれらに対する国家や地域社会の無理解・不作為に対する怒りを胸に銃を取ったのだった。

 

 

最後に感想

 

スカッとするアクション映画を期待していただけに、そのメッセージの重さには意表を衝かれた。

 

演出面では、BGMによる臨場感や場面転換の演出が光っている。

 

これにより、2018年現在のような多彩な演出技術はなくとも、押さえるべきところを押さえることが出来れば「巧みな表現」が可能なことを教えてくれる。

 

また、この映画の「語り手」は場面により転換する。

 

主にランボーの視点で物語が進行するが、

 

ランボーを追い詰める際には警察(兵士)たちの緊張感が強調されている。

 

一方で、ラストでのランボーの「語り」は、視聴者に聞かせるため、映像としての「語り手」は第三者的視点となっている。

 

このあたりも約30年前の映画とは思えない良い工夫。

 

総合的に、一生に一度は観て損はない良作いってよいと思います。

 

機会があれば、是非。

 

 

 

次回は『ジュラシックパーク』についてまとめますので、また。

 

 

 

 

標記の件・・・

 

再結成にしろ、復帰にしろ、

 

活動再開する歌手あるある。

 

 

 

 

「再開後の一曲目のタイトルを『restart』とかにしがち」

 

 

 

これ、世界の真理よ。

 

 

今日はそんなありがちな再開をしてしまったアーティストたちを紹介していきたい。

 

 

 

1 東方神起

 

 

 

まずはコイツら。

 

変換が一発で出なくてイライラする。

 

 

 

 

 

みんな大好き東方神起。

 

 

 

かっこいいし、ダンスうまいし、たしかにすごいけど、

 

 

彼らにとってもファンにとっても、「歌詞が日本語であるべき理由」って何なんだろうか・・・・

 

 

などの突っ込みはこの場では控えるとして、来ました『Reboot』。

 

「reboot」の意味をweblio先生にきいてみたところ、

 

「再起動」とのこと。

 

さすがweblio先生。

 

マウスコンピューターの広告付きでしっかり教えてくれたぞ。

 

 

それにしても、「再起動」という言葉、

 

 

今まで(兵役義務により)活動してなかった二人に使うのはやや不適なのでは・・・。

 

 

ともあれかっこいい曲なので、余計なツッコミは忘れて是非とも聞いておきたい。

 

 

 

2 Acid Black Cherry

 

 

こちらもまたかっこいい一曲。

 

個人的に、ABCの中では1,2を争う好きさ。

 

四の五の言わずに聞いて欲しい。

 

 

 

 

 

『Re:birth』

 

yasuさんがポリープか何かを切除して復帰したときの曲。

 

「rebirth」の意味についてはまたしてもweblio先生に詳しい。

 

1「再生」 「更生」

2「復活」 「復興」

 

 

うーん意味的には2の「復活」のほうかな。

 

「再生」だとポリープ切除→即ポリープ再生みたいな絶望感あるし、

 

「更生」はもうダサすぎだろ。

 

むしろ公安に監視されるくらいワルであってほしいところ。

 

 

 

 

3 CHEMISTRY

 

 

 

2017年のうれしいニュースたぶんナンバーワン。

 

CHEMISTRY復活。

 

 

待ってました。

 

で、案の定。

 

 

 

タイトルこそ普通ですが、この素敵なサビの歌詞。

 

 

「もう一度あの場所からはじめよう

 

夢の続き ふたりで見よう」

 

 

すばらしい。美しい。

 

 

そしてこのテの曲に頻出のワード。

これ、テストに出るから赤線な。

 

「あの場所」ってどこなん?

 

 

 

意味深なあの場所。

 

うーんCHEMISTRYの2人にとっての「あの場所」、とっても気になりますね。

 

 

ともあれまた、2人でステージに立つのが見られるのは、幸せの極み。

 

今後もどんどん名曲を響かせて欲しい。

 

 

 

 

 

 

以上、活動再開アーティストあるあるでしたがいかがでしたでしょうか。

 

 

他にも洋楽邦楽問わず、古今東西再結成には付きもののリスタート系ソングが街にあふれているはずなので、暇なときにまたハンティングしたいと思う。

 

 

 

 

そんなことを書きながら、しれっと活動再開する控えめなブログなのでした。

 

 

これからもよろしく。

 

 

文豪、泉鏡花を知っているか。

 

 

 

僕は大して知らない。

 

いや、全然知らない。

 

 

 

 

 

ただ、たまたまその一節を目にした。

 

目にするとほぼ同時に、目から鱗だった。

よく目が泳いでるって言われるから、たぶん目が魚類なんだと思う。

 

 

その文章に僕は目を奪われ続けた。

 

まばたきをする間すら奪われた。

 

目が干物になるくらい。

 

 

 

 

何が僕の目を純情な心ごと奪い去ったのか。

 

はじめに言おう。それは文章の内容ではない。

 

 

文章は正直頭に入ってこない。

文語が多いからか、難しいんだもん。


でも、頭に入ってこないのに、読めてしまう。

読んだときの音の響きとか、リズムとか、視覚的な読みやすさとか、

考えつくされているんだろう。



意味がわかればもっともっとその文章の美しさを味わえるんだろうか。



久々に書く自分の文章と比較して、恐れ多くも恥ずかしくなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

があったら、絶対にこの方法を取るはず。











共通の敵をたたく。









これしかない。








おそらく、各人が持ち合わせている「人と仲良くなるパワー」には限界がある。








それはきっとお金に似ている。











持ち合わせたパワーを誰との関係に注ぐか。











仮に、僕が「人と仲良くなるパワー」を100ポイント持っていたとする。














たかし君、ゆうた君、きょうこちゃんの3人が僕の周りにいるとして、僕が持っているエネルギーをたかし君に100ポイントすべて注いだら、きっとゆうた君やきょうこちゃんとは仲良くなれないだろう。











これは、力学的エネルギー保存の法則にもよく似ている。








実際、日本が世界に誇る社会学者、高田保馬は力学的エネルギー保存の法則にならって、人間の社会的連帯を「結合定量の法則」としてとらえている。









だが、僕があえてエネルギーではなくお金に例えたのは、力学的エネルギーとは違って、「負の数」を扱えると思ったからだ。







すなわち、それは人間関係においては他者へのヘイトであり、

お金においては「借金」を意味する。











「人と仲良くなるパワー」は、共通の敵へのヘイトを担保にして使用量を増幅できる。













ゆうた君を100キライになれば、(たかし君もゆうた君を敵視していれば)たかし君に200ポイントのパワーを注ぐことができるだろう。
そう思うのだ。













このヘイトを担保にした連帯が国家レベルで行われるのが排他的な帝国主義、例えば第二次大戦時のドイツや日本のナショナリズムであり、











政敵を叩いて連帯する野党連合や市民デモであり、









政治家や芸能人のスキャンダルで売上を伸ばすマスメディアであり、













あるいは上司の悪口を魚に酒を飲み交わす同期であり、










男女で仲が分断される中学2年生の合唱コンクールなのである。
ちょっと男子、真面目に歌いなさいよ。



















そんなことがバイト先でしょっちゅう。
誰かが誰かの陰口で他の誰かと和をつくる。












本気で本気の友達を作るなら八方美人じゃダメなのかなぁ、とこれまでの自分を省みつつ、今夜も安い第三のビールがウマい。
大学受験の勉強以来6年ぶりに開くDUO3.0。



これまで英語とは無縁な生活を送ってきたため、案の定かつての蛍雪の功は何処へやら。




でも2回ぐらい例文を音読すると少しだけ思い出す。ボブ、かわいそう。












普段英語を使わない僕が、再び勉強しようと思ったたった一つの理由。







先月行ったロンドン旅行。




店員のいらっしゃいませすら聞き取れず作れなかったオーダースーツ....







ではない。


むしろロンドン旅行の経験から、とりあえず札束握りしめて「チキンプリーズ」って言っていれば死なないので英語なんかいらないんじゃないかとさえ思った時期もあった。











僕が英語を勉強しようと思ったたった一つの理由。



それは、ロンドン旅行の帰りの新幹線のこと。





発車とともにプルタブを開けて間もなく、どう見ても我々大和民族とはルーツを異にする風貌の男が隣の席に座ってきた。


もっと他に空いている席たくさんあるのに.....







香水ではない何か独特の香りがする男は、僕に尋ねた。



「この新幹線は仙台に止まるか?」






止まる。



この路線で仙台に止まらないことなど、まずない。2時間ぐらいおとなしくしておけ。





イギリス帰りの拙いチキンプリーズ語をドヤ顔で披露してやった。





すると彼はとても嬉しそうだった。



日本では英語で会話してくれる人がいなくて大変。英語で会話してくれる日本人がいたということで、安心したんだとか。

お前は何を聞いてる。俺はチキンプリーズ語しかしゃべってないぞ。





まあ彼も、そんな言葉の壁の中で5年も生活してきたようだから若干は日本語もいけるらしい。
まあ、まだまだコーラください語程度だけど。





故に以降の僕たちの会話は、日本語と英語が絶妙なアンバランスを作り出す、ルー大柴応用編みたいな不思議なものになった。


いいんだ。言葉なんてそれなりに伝われば。






家族の話、仕事の話、友達の話。





彼はパキスタン人で、日本で自動車の整備工として働いている。母国の両親と11人の兄弟たちを食わせるためだ。泣ける。





ちなみに僕は現在無職。泣ける。









そんな会話の中で疑問に感じたことがある。疑問に感じてしまったのだ。不覚にも。








パキスタンの人って、何して遊ぶんだろう。







彼が家族と写る写真をどう見ても、プレステは無さそうだし、シダックスもラウンドワンもなさそう。ってかライフライン大丈夫か?




そんな環境だ。
そこで、何をして過ごすのか。
何を感じて大人になるのか。





勇気を出してルー大柴語応用編で聞いてみた。

「ユアカントリーピーポーはホワット"プレイ"?」





すると





「モスリン」






は?







もう一回言って。







「モスリン」









ん?





モスリン、モスリン、



モスリム?









ムスリム?












あ、


あーっ






違う違う!







あの、そっちの「プレイ」じゃない。
祈るな。日本の車内でメッカに土下座すな。みんなビビるから。







その後、間髪入れずに、お前は何の神を信じているのか?、と。






八百万の神、について必死に説明するも、その中のどれか一つに選ぶべきだろう、と。


お前、さっきそんなに流暢に英語しゃべってたか?



たった一つrとlの発音間違えのためにイスラームに改宗?されそうになる恐怖、みんなにわかる?おれはオシッコちびりました。ビール飲むんじゃなかった。




多分まわりの乗客ヒヤヒヤだったな。









この恐怖心が、今の僕の英語学習のモチベーション。もう新幹線でクルアーン読まされるのは勘弁願いたい。







「僕はビールと豚肉食べるために生きてるから、ムスリムにはならないよ。」







いつか、どっかのパキスタンピーポーにあ出会ったら、堂々とそう伝えるようになりたい。

















そんなことを考えながら、やたらコミュ力の高い彼に別れを告げ、最寄駅のホームへ降りた。








プレイにしろ、聴き専にしろ、音楽を趣味にしてきた人との会話って面白い。

 

 

そういうのと別世界で生きてきた体育会系とガリ勉?系のなれの果てなので、芸術系への理解は乏しいんですけど、だからこそその世界への興味関心はすごい。

 

だからおもしろい。

どんな音楽が好きか、なんで音楽にハマったのか、いままで聞いてきた音楽のレビュー、機材やソフトの話、音楽を生業にする話・・・あんどそーおん。楽しい。

 

 

 

今なら音楽やら美術やらの成績は、技能・表現でダメでも興味・関心・態度だけで評定5余裕。

サンキュー新学力主義。ゆとりって言うな。

 

 

 

 

①音楽との出会い

 

さて、今まで僕が聴いてきた音楽の話をしよう。

 

 

 

僕が初めて買ったCD、それは

 

 

 

 

 

 

コイツだ。

ゆずえん/ゆず

 

 

 

タイムリーで発売当時に買ったわけではないが、僕がゆずに興味をもったときにたまたま地元田舎のCD屋でお目当ての曲入りだったから買った。あのCD屋、まだあんのかな。

 

 

 

お目当ての曲はみんな大好き『夏色』でも、収録曲の中の人気曲『いつか』でもなく『サヨナラバス』。ラジオで聞いて、すごく好きになったんだよ。当時小4。

 

 

 

 

恋愛したことないし遠足以外でバスなんか乗ったことが無いおれがこの曲にときめいていた過去。

 

 

まさに本能的に音楽を楽しんでいたんだろう、あの頃は。

 

 

このときの経験があるからこそ、「元気の押し売り」と揶揄される現在の彼らさえもそれなりに大好きで、CDを買わずとも、陰ながら応援しているデュオである。

 

 

 

②とにかく流行りものを追いかけるお年頃

 

中学時代は、とにかく流行っているものを追いかけていた。

 

バンプ、オレンジレンジ、湘南乃風、ケツメイシ、アジカン・・・・・

 

 

 

おんなじようなモンだが一番聞いてたのはRIP SLYME。

兄の影響。

 

 

 

 

 

 

あと、このあたりからニコ動を見るようになって、初音ミクを本気で人だと思ってた時期がこの辺だ。

 

 

初音ミクを知ったのはこの曲だな。

 

 

 

 

③人と違うものを追いかける時期

 

 

 

このころか、AKBと嵐がオリコン上位を独占しはじめた。EXILEもまだ今ほどの勢いはない。

 

 

アイドル系特有の同じパートを複数人が違う声で歌うことがめちゃくちゃ不快に感じ始めたのがこの頃。

 

 

特にハマったアーティストもなく、ひたすら懐古と他人との差別化に必死になっていた頃。

 

聞く音楽なさすぎて登校しながらずっと昔のアニソンとヒーロー戦隊主題歌聴いてた。

デカレンジャーいつ聴いてもかっこいい。

 

 

 

 

 

④現在、何聴いていいかわからない時期

 

 

おまたせいたしました。

 

大学入って以来、卒業して、社会人になってもなおこの長いトンネルから抜け出せません。

 

 

大学生になってからは友人とカラオケ歌うことを想定して音楽を予習するようになりました。

 

 

とりあえずミスチル歌っとけばいいだろってことでミスチル聴く。

 

 

一方でそれだけじゃおさまらない。

 

 

 


 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

いやもう、カオス。

 

 

ラーメン屋で「この曲ええな!」っつってshazarmかけてヒットした曲聴く、みたいなそういう毎日。

 

 

かと思ったら「クラシックもええな!」

 

 

つって

 

 

 

 

 

 

こういうのが音楽の原点なのだとしたらこういうのもきいておきたいな、みたいな。

 

 

 

 

あとはプログレとか。

 


 

 


 

 

どういうわけかメタルも。

 

 

 


 

 

 

なんかもうわっけわかんない。

みなさん、好きな音楽、オススメのアーティスト、あったら教えてください。

 

 

ああ、Daft Punkにもはまったっけ。

 

 

 

 

ちなみになりゆきでARABAKI ROCK FEST参加予定だ。

初フェス。大変興奮している。