話題のOfficial髭男dismのライブに行った。
今年髭男を聞き始め、僅かな期間でどっぷりハマってしまった典型的なニワカファン。ライブというのは概して新参者には厳しいものだが、福島の持つ土地柄か、それとも音楽性のためか、単にニワカの同士たちの体温のせいか、ホールの雰囲気が特筆して和やかで、安心した。
17:00開演。和やかな雰囲気を緊張感に収束させたのは『イエスタディ』。
1曲目から耳馴染みの曲を振る舞う気前の良さ。和んでいた開演前の感覚から一転、何故か聴いているだけのぼくが緊張してきた。
その後もポップなナンバー、R&B、ジャズ、ときにはハードロック調のアレンジで様々なジャンルの曲が続いた。
CD等の音源で聞き馴染んだはずの曲なのに、彼らはあらゆる曲調の演奏で興奮と感動の渦を呼び起こし、聞くものをソフトに圧倒していく。なんだこの幸せバラマキサイボーグ。耳から幸福感を押し込んできやがって。
ライブが終わったとき、身体が浮き上がるような感覚を覚えた。その理由はきっと長時間大音量大反響の中に晒されたからというだけではなく、幸福感で体内が満たされ、膨張したためだろう。建物の外で冷気に身を貫かれるまで、地に足を付ける感覚を忘れた。
久方ぶりの幸福シャワーを浴びて、非日常の幸福の中に身を投じることの大切さを知る。単に自分のメンタルヘルスのためだけではなく、自分の存在価値を一つメタな視点で観察する貴重な機会になるから。
「ぼくは人を幸せにできているだろうか。どうしたら、人を幸せにできるだろうか。」
この自省はときに苦痛を伴う。自分の存在などあまりにも矮小で、つまらないものに思える。というか、きっとそうなんだろう。ステージの上の存在が眩しすぎるのだ。
ぼくたち一般人がホールいっぱいの人間を幸せにするような日はきっと来ない。周囲の数えるほどの人を幸せにできる人間すら、本当は稀なんじゃないか。
それどころか、不快感や不幸を意識下無意識下を問わず周囲に撒き散らすのが人間のデフォルトだ。
そんな不幸"生産"機のひとりとしてできることを模索する。 不幸な人の不幸を代弁できたら、不幸を"精算"できたら、少しは世界をマシにできるんだろうか。 毒をもって毒を制す。どうせ幸せアレルギーをこじらせるなら、せめて不幸のトークンでいさせてくれ。
