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ライク・ア・ライター

「心に、小さな火を着けたい。」
映画の感想や日記を通して文章力の向上を目指すブログ。

魔法が解けるまでわずか2時間。
ホテルにMs.Alexが迎えに来るのが正午。最後の目的地であり、この旅で必ず行こうと思っていた「レニングラード包囲と防衛博物館」の開館が10時。
しかし博物館入口と書かれたドアはまだ9時30分なのに開け放されていて、中を覗くと剥き出しのコンクリートと諸々の建材が無造作に置かれていた。工事中。次。

「レニングラード包囲戦」については少しだけ。
サンクトペテルブルクは何度も名前が変わる都市で、第2次大戦時には「レニングラード」という名を冠していた。独ソ戦ではドイツ軍の包囲により多くの犠牲者が出た。その数は包囲された900日で67万〜100万人に登ると言われる。かなり幅のある数字だが、死体が、積み上げられた高さで数えられるような状態だったそうだから、正確な数字などわかるまい。参考までに、沖縄戦の犠牲者が25万人、広島原爆が16万人、長崎原爆が7万人、東京大空襲が8万人と言われる。

注目すべきはその死因で、死因の大半が餓死、もしくは凍死である。食料供給が断たれ、土までも食されるようになった。焼け落ちた食料庫の下にあった土が、比較的高値で売られたという。
驚くべきは、そんな絶望的な状況下の1942年3月、地元出身の作曲家ショスタコーヴィチが作曲した『交響曲第7番 レニングラード』が初演を迎えたこと、それを聴くために市民がホールに並んだということだ。市民の忍耐力と芸術への愛が伝わるエピソードだ。

目的地変更。ロシア国立図書館に寄り道して現在10時30分前。ラストチャンス。
ドストエフスキーの墓参りに行こう。即断即決、電光石火。

ドストエフスキーの墓はアレクサンドル・ネフスキー大修道院の敷地内にある。と予習していた。『地球の歩き方』で。
しかし修道院内を歩いても歩いても、それは見当たらない。雪で不安定な足元の中、細長く広がり墓地を駆け回る。いま思うと大変罰当たりなことをした。
時刻は11時20分を回っていた。もう帰らなければならない。諦めて、修道院全体的に向かって十字を切った。
ありがとう、ドストエフスキー。あなたに導かれてこの街に来て、体験したこと、考えたこと。感じたことの一斎をぼくは忘れない。

修道院を出て、駅へと抜ける小道を走る。すると、小道の両脇に墓の入口があり、その入口の横には宝くじ売り場のようなチケットセンターが。絶対これだ!修道院の中じゃないじゃん!最後の最後まで、おそロシア。

息を切らしながら、ぎこちなく十字を切った。十字は形だけだが、謝意は深い。ありがとう、文学博物館、行けなくてごめんね。

12時。魔法が解けた。それと同時に到着した。案の定、Ms.Alexは10分後に現れた。君たちロシア人のそういうところ、愛してるぜ。

Ms.Alexの運転は相変わらず荒ぶっていた。ある意味期待通りで安心した。
後部座席のシートベルト?つけようとも思わなかった。ちょっと図太くなったかな?

後悔は喜びより強い思い出を作る。

ジョージアワインを飲めなかったのも、行きたかった博物館に行けなかったのも、きっと旅特有の味わいに変わると信じている。
空港の入口から街のほうを眺め、この街に来る一番の契機となった本のタイトルを借りて、
「『グッバイ、レニングラード』」。
胸の中でこっそり呟いた。

天気は曇り。
飛行機は予定通り出発する。
時差+6時間の未来に向かって。

3/25日、今日の季語は「黄砂」。

 
〈山際で青と灰色こうさする〉
 
かけことばフェチです。
 
俳句、うまくなりたい。

サンクトペテルブルクの歴史はパブロフスク要塞から始まった。今日はここから。

サンクトペテルブルクはピョートル1世がヨーロッパ進出を夢見て泥沼の上に作った人工都市。その開拓は困難を極めた。


繰り返す洪水とフィンランド軍の脅威、数多の犠牲の上にこの街は成立している。
また、パブロフスク"要塞"とはいうものの、監獄としての顔を持った時代があり、ドストエフスキーも、思想犯としてここに囚われた。観光客としては一粒で二度美味しい。

岩だらけの平原と大河を眺めて、現在のような街並みを作る決心をしたピョートル大帝の慧眼と決断力はすさまじい。今のぼくに必要な力だ。
そしてその無茶振りに命がけで応え、実現させてきた人々のタフネスも。彼らのタフネスが、DNAとしてか、神話としてか、今日までのロシア人の"おそロシアの精神"に繋がっているのかもしれない。

大帝がそうしたように、要塞からネヴァ川を眺め、験担ぎ。凍ったネヴァ川は巨大な鏡となり、ぼくの全身に光を浴びせた。

要塞から橋を渡って帰ってくると、そこにはピョートル大帝の銅像、「青銅の騎士」が待っていた。この像がある広場が、デカブリスト広場だ。


ペテルブルクの街は、皇帝の専制からの解放を目指すデカブリストの乱に加え、第一革命の契機となる血の日曜日事件など、国のあり方を変える数々の重要な事件を見届けてきた。農奴制の廃止など大改革を行なったアレクサンドル2世ですら、改革が不十分だとして急進派の手にかかってしまう。


歴史を物語る街並みとは裏腹に、この街には変化に対する底知れぬエネルギーが秘められている。
この街の絶えず変化していこうとするエネルギーが、ぼくの成長への欲求を掻き立てていることは確かだった。

改革、変化、成長というのは、観念上の死と表裏一体だと思う。古い自己を破壊して、あるいは破壊されて、そこからの復活の過程で別の形を作り上げる。一番身近なのが、おふざけじゃなく筋トレだと思う。筋トレは観念上の自殺だ。

破壊のあとには再生が必然で、この街でその再生の力を漂わせている施設のひとつが、血の上の救世主教会だ。改革者アレクサンドル2世の慰霊のための教会である。

内壁の殆どがモザイク画で彩られたこの教会だがそのモザイク画の多くが「復活」にまつわる宗教画となっている。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが、心を許した娼婦ソーニャに「ラザロの復活」を読み聞かせるように言った名シーンがあるが、この「ラザロの復活」もそのモザイク画の1つとなっている。


血の上の救世主教会がエルミタージュ美術館と並ぶ街の顔となっているのきっと偶然ではなく、「再生(復活)」がこの街のテーマの1つだからだと思える。

トライ&エラー。スクラップ&ビルド。時には自己破壊を伴う死と再生を繰り返し、この街は、この国は強くなっていったのか。そしてそれを可能にしているいわば源泉こそが、信仰と、勇気ある先人たちが紡いできた歴史と言えるのではないだろうか。


夜の帰り道、凍った運河を歩いて渡ってみた。『罪と罰』で絶望した娼婦たちが身を投じた運河。


一歩目が一番恐ろしかった。二歩目からは踏みしめる度に恐怖が遠のいた。川の中央まで来た時には、寝そべる余裕まであった。この時見上げた雲一面の夜空と背中から伝わる滑らかな冷気は、一生忘れない。ようにしたい。


川を渡りきった。これをキリストの水上歩行みたいなどと口を滑らせたら、過激派に本当に三途の川案件にされてしまうだろうか。

渡りきった今ここがふりだし。いや、既に一歩を踏み出している。ここでもう一度サイコロを振る。

最終日の午前中を最後の観光にあてるため、荷づくりを進める。お土産の隙間に、大切な経験と学びを税関に引っかかるギリギリまで詰め込んでいく。

積極的な優しさ。
動じない心。
軽薄な言動を慎むこと。
決断力。
貫徹力。
変化と再生の追求。

来る時には極寒の地へ赴くとは思えないほど密度の低いスーツケースだった。今度はそうじゃない。目一杯買ったウォッカのせいもあるけど。

次に開けるのが楽しみだ。
どうか、ロストバゲッジだけはしませんように。

きっと無愛想も仕事のうちなのだろう。寒さで顔は凍りつき、態度も冷たくなるのか。お釣りやチケットはだいたいノールックで投げて渡してくる。本当は優しいと思うんだけどな、ロシア人。

市民とは違い、ペテルブルクの街はさまざまな顔をもつ。
古都としての顔。
革命の発信地としての顔。
数々の戦争での激戦地の顔。
そして芸術の街としての顔。
玉虫色の表情で、訪れる人々を次々と虜にする魔都、それがサンクトペテルブルク。

そんなこの都市を代表する、まさしく顔といえる観光地が世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館だ。ペテルブルクに旅行に来てエルミタージュ美術館に行かない人はいるんだろうか。いたとしたら、親の顔が見てみたい。

エルミタージュ美術館自体も幾多の顔を持つ。
そもそもが女帝エカテリーナ2世の宮殿で、同時に彼女のコレクション私設でもあり、二月革命後には臨時政府の本拠地の顔、第二次大戦時には野戦病院としての顔を持った。
元が宮殿なだけに、美術館内部は細かい部屋が数え切れないほどあるが、一つとして同じ設えが見当たらない。建築様式やら柱の材質やら化粧の手法などにより、全て異なる表情を見せる。

音声ガイドをもとに300万点の美術品を順番に味わっていく。
肖像画、肖像画、風景画、肖像画、彫刻、肖像画、肖像画、肖像画、肖像画、風景画、肖像画、肖像画、静物画、彫刻、貴金属、宗教画、彫刻、肖像画、彫刻、宗教画、彫刻、陶磁器、武具、風景画、彫刻、宗教画、肖像画、彫刻、風景画、肖像画、宗教画、彫刻、肖像画、宗教画、家具、肖像画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、宗教画、肖像画、宗教画、彫刻、彫刻、彫刻...ミイラ。

序盤の肖像画ラッシュが凄まじく、兵馬俑じゃないが、一つくらい自分の顔があったんじゃないかと思う。それらをまともに一つ一つ鑑賞しようとして、あっという間に脳が限界を迎えた。飽きたとかじゃなく、過剰摂取。急性エルミタージュ中毒。

まず頭が情報を受け付けられなくなった。後半は絵から遠ざかろうとさえした。ダヴィンチは眺めるのが精一杯だった。ラファエロは見ていないかもしれない。全く覚えていない。
最後のほうにエジプトのミイラがあったが、こっちが死人みたいな顔してかすめ見るのがやっとだった。頭おかしいと思うだろうけど、本当におかしくなっていたと思う。

ちゃんと見られなかった作品が多すぎたので、図録を購入した。ここではもう簡単な英単語も想起できない。店員さんに「どこから来たの?」と聞かれて「アイムフロム.........ジャパン!」。郷ひろみの間だ。顔から火が出る。燃えてるんだろうか。逃げるようにして美術館をあとにした。

外は夜になっていた。本日の両A面のもう1つ、マリインスキー劇場でのオペラ鑑賞へ足早に向う。
バスでも行けそうだが、『地球の歩き方』をなくしたぼくはバスのシステムがわからないので、地球を歩くことにした。今は亡き『地球の歩き方』よ、君の「必需品:髭剃り(いっそ伸ばしてみるのもあり)」の教えのお陰で立派な無精髭が顔を覆ってるよ。

オペラの演目は『La forza del destino(運命の力)』。ここマリインスキー劇場で世界で初めて演じられた演目だという。
交差する異性愛、兄弟愛、肉親の敵討ちの果てに、主要な登場人物が全員命を落とす凄惨な悲劇。イタリア語もロシア語字幕(オペラって字幕出るんだね!)もわからないが、予習の甲斐もあり、ついていけた。5時間にも及ぶ演目で、台詞の一つもわからない人間を飽きさせないプロの技に、芸術のパワーに、恐れ入った。
芸術のパワーは実に強大だ。
鉄壁のロシア人たちの顔は、およそ悲劇を鑑賞した者のそれとは想像もつかないほど晴れやかだった。なんだ、やっぱり無表情は「仕事」だったんだ。5段重ねのハンバーガーみたいな客席が、一本の串で貫かれたように1つになった。またしても禁バーガーを破ってしまった。

頭も体も疲れきった帰り道、久々におそロシアに出くわす。客引き。目が合ってしまった。断ってもついてくる巨漢。お前は優しい熊じゃない。ただの人喰い熊だ。目線を逸らさないよう、後ずさりのようにして逃げる。
今日は逃げてばかり。5マス戻る。

晴れながら雨が降り、雪に混じりながら花粉が飛ぶ季節。みなさん、お元気でお過ごしですか?

ぼくはスギは平気だけど、度重なっていく飲み会とクレジットカードの明細の山に涙目の日々です。エポスポイントがエライことになっている。

 

春は変化の季節。

時の流れとともに景色が変わり、人が変わり、目の色を変えて抵抗しようとも色々なものの色は変わっていく。

半クラッチのように緩やかに前進する日々では何もかもが中途半端になりがちで、天上天下、古今東西の老若男女、魑魅魍魎が例外なく、日々選択に迫られる。

 

 

傘持って行こうか、どうか。

 

コートを着て行こうか、どうか。

 

タイヤを履き替えようか、どうか。

 

送迎会の店はイタリアンか、フレンチか、はたまた中華?

 

Brexitリスク。今売るか、あえて買うか。

 

来週は誰と会おうか。何をしようか。

 

この人でいいのかな?いつプロポーズをしよう。どんなプロポーズにしよう。

 

異動。遠い街までとりあえず行くか、いっそ仕事辞めちまうか。

 

 

天上天下、古今東西の老若男女、魑魅魍魎が例外なく、日々選択に迫られている。

無責任に色めく春の風に惑わされて。

 

 

最近観た映画、『ウィンストン・チャーチル』がすごくよかった。

チャーチル夫人のセリフが、迷えるぼく達のなけなしの勇気を掻き立ててくれる。

 

 

「欠点があるから強くなれる。迷いがあるから賢くなれる。」

 

 

迷うことは学ぶこと。

卒業、転勤、結婚、あるいは受験失敗、左遷、失恋。悩みも迷いもちゃんぽんになりがちな3月。

どっちつかずの生温い春風を吸い込んで、くしゃみといっしょに吐き出して、間違った道でもドヤ顔で歩いてみませんか?。

 

 

ぼくは引っ込み思案と優柔不断を卒業します。

 

 

久々のブログなのでポエムポイントもエライことになっている。有効期限前にどんどん使っていかなきゃ。

腹が減っては戦はできぬとは言うものの、言語と文化の壁の前では、食べることもまた戦である。

空腹に耐えかね、旅行中に禁忌としていたハンバーガーをあっさり解禁してしまった。
あえてマクドナルドを利用することで、その違いが見えそうだったから、ということにしておく。

一方でロシア語が話せない状態では、マクドナルドすら鬼門に思われた。しかしこれも杞憂。店員は例に漏れずロシア語だが、多言語&クレジットカード対応の「券売機」がある。マクドナルドではお目にかかったことがなかったが、きっと問題ないだろう、と思っていた。
ところがどっこい、触っても触ってもパネルが反応しない。一回休み。昨日からスマートフォンの操作も調子が悪いだけに原因はぼくにありそうだ。これももしや、おそロシアの魔力なのか。
ぼくの後ろには女性。やむなく先を譲り、別の機械を試すと難なく操作ができた。念のため先ほどの機械を見てみると、やはり女性が困惑していた。なぜか少し悪い気がした。

海外のマックのバーガーはやたらと大きいという偏見もあり、「ビッグマックのスモール」という哲学じみたメニューを選んだ。出てきたビッグマックは日本のものと同じサイズ。スモールなのはセットのポテトだった。偏見は良くない。偏らずちゃんと見よう、メニューを。
ちなみにここまで、一言も話していない。

ビッグマック特有の刻んだレタスと格闘していると、男が近づき、何やら話しかけてきている。ロシア語は当然わからないが、ペットボトルの底を切り取った「賽銭箱」で物乞いをしていることだけはわかった。すぐさま、昨日覚えたロシア語「ニェット(いいえ)」とだけ答えると、彼はすぐに隣のテーブルにターゲットを変えた。テーブルの若者たちはお金こそ出さないが、丁寧にお断りしているように見える。やはりロシア人は基本的に優しいのだと思う。賽銭箱にも、多少入ってるし。

それにしても、店内で物乞いをするとは、この国の人間は貴賎を問わず本当に神経が太い。優しさのことといい、国民性をはっきりと示してくれるのがロシア人。
かと思えば、隣の優しい若者たちは、片付けもせず颯爽と店を出て行った。優しさにも色々な形があるんだなぁ。もしくは、この国ではマックでバッシングをすることはマナーではないのかな?

グローバルな店でもやはり違う文化に触れられ、考察も捗る。これだから一人旅はやめられない。

朝4時、オレンジをくすませたような、見たことのない色の空に驚き、カメラと三脚を持って部屋を飛び出した。それはロシアの朝焼けだと思った。

 

 

答えはネフスキー通りを一色に染める白熱灯だった。やられた。
せっかく起きたものだから、まだ暗い朝方の街を歩き、ネヴァ川沿いまで行ってみよう。

 

誰もいないネフスキー大通りを通り、ネヴァ川にたどり着いた。
ネヴァ川のほとりには、凍った大河に沿ってライトアップされた歴史的建造物が立ち並んでいる。ネヴァ川は中国語で書くと「涅瓦河」。涅槃の涅は「黒く染める」、瓦はタイルを意味するらしいが、凍った大河は数々の照明を反射して、白いタイル敷きの道のようだ。
充実した朝活だ。人がいないから気兼ねなく三脚撮影ができる。
生来の内股が雪に刻む足跡が、まるで踊っているようにも見えた。

 

 

ネヴァ川の叙情的な風景には人を歩かせる力がある。1人旅でしか成就できない衝動性に身を任せ、約2km先のエルミタージュ美術館まで夜景を撮りにいくことにした。

右側、対岸のペトロパブロフスク要塞を様々な角度から撮影しながら歩いて行くと、時間も距離も忘れ、あっという間に美術館に到着した。

 

エルミタージュ美術館前にはペテルブルクを象徴する淡いエメラルドグリーンの本館と、半円形で淡い黄色の新館に囲まれた広大な広場がある。宮殿広場と呼ばれている。その中央には対ナポレオン勝利を記念するアレクサンドルの円柱が誇らしげにそびえ立つ。建物の色合いは、淡いにも関わらずその存在感を示しつつ、一方で暗い空に伸びていく円柱の神聖さを引き立てた。

東京ドームいくつ分かわからない広さと東京ドームで広さを表すことが憚られるほどの威厳に満ちたこの広場に圧倒されつつ、それを今ほとんど独占できている優越感に浸った。
時刻は朝7時にもなっていた。空はまだ夜のままだ。

 

 

朝が朝らしくなったのは10時前。二度寝から身を起こして今日のメインとなる『罪と罰』聖地巡礼へと向かう。

物語の鍵を握る場所にして、他の巡礼スポットへの起点となるのがセンナヤ広場。この広場にたどり着いた時、つい数時間前に歩いた世界と、自分が今立っている世界の差に絶句した。

 

他所者の僕には、宮殿広場も、センナヤ広場も、同じ広場としてクラスメイトのようなものだと思っていた。しかしわずか数km離れたこの場には、およそ威厳などという言葉はその影すら見当たらない。
ペテルブルクの数々の名所が観光客のためのそれであるならば、この広場の周囲にある空間は生活者にとってのそれだ。日本では歌舞伎町界隈でよく走っている「バニラトラック」にあたる車両が真っ先に視界に入った。「バーニラバニラで高収入」でおなじみのアレ。広場に停まっているトラックは、コンテナにエナメルのカバーをかけただけの質素なものであったが。

 

今まで背負っていたバッグを体の前に持ってきた。当然、警戒してのことだ。Ms.alexの車でシートベルトをつけた時と同じ防衛感覚。
警戒しているのはぼくだけではないのだろう。カメラを構える僕を、ぼくが想像していたロシア人らしい凛々しく鋭い目で牽制しているように見える。

 

壁の代わりに電灯を背にし、タブレットを見る。目的の、主人公ラスコーリニコフの家を確認した。

 

地図に沿って小道へ入り、再び絶句した。あるいは旋律した。暗い冬のペテルブルクでも、この一画は飛び抜けて「沈んで」いた。明け方の絢爛たる夜景で肺を満たした感激が、呼吸するたびに鼻を抜け、冬なのに立ち込める異様な臭気に乱暴に呑まれていった。

 

ドストエフスキーが、『罪と罰』の季節設定を7月にしたのは実に巧妙だと思う。ラスコーリニコフの周囲の陰惨な空気を演出するには、暗い空から振り注ぐ漠然とした不安感ではなく、この通りの地面から滲み立ち込める、より具体的で不衛生なオーラが適当に思われた。それはきっと、美しい白夜とも華麗に相対化される。

 

いかがわしい店が立ち並び、歩道には白墨で四角くレタリングされた数々の文字列。この白墨は、風俗嬢の連絡先なのだそうだ。交差点に必ずといっていい頻度で塗られている。

 

一眼カメラをバッグに厳重にしまった。この空間で、芸術的な写真を撮るほどの腕と度胸など持ち合わせていなかった。ただの記録用の写真として、携帯電話で足下の白墨と、黒ずんだアパートを収めていく。

 

 

いったい、この街に神などいるのだろうか。昨日カザン聖堂で味わった高揚や、ロシア人の精神性についての浅薄な考察は瞬時に否定された。この一画では、雪さえも茶色く、路上の白墨と融雪剤だけが浮き上がって見えた。

 

期待通りに『罪と罰』の世界に入り込むことができたぼくは、禁止されているはずの路上飲酒の残骸と横たわる吐瀉物の横で、おもむろに観光地図を開く。

おそロシアの洗礼はすぐに始まった。

 

 

空港からホテルへの送迎人が来ない。
送迎人はみな、芸術の街らしい華美なウェルカムボードを無愛想に持っているが、ぼくの名前は見当たらない。
明らかに戸惑うぼくに手を差し伸べるのは、巨躯を揺らして歩み寄るタクシードライバーだけ。

 

送迎の予約票を確認する。
Ms.Alexというenglish speakingの方らしい。名前から推察される欧米系の女性はやはりそこにはいない。

怪しく絶え間ないタクシーの勧誘を振り切りながら待つこと数分、ガラが悪い、今までで1番の巨漢が接近してきた。ぼくの名前を丸っこく、マッキーの細い方で書いたような、(たぶん目の錯覚で)小さなペラ紙1枚を持って。

 

送迎は彼の私有車と思しき、10年くらい前の年式のスカイライン。やるじゃん、NISSAN。
「いい車だね!日本車好きなの?」
中1の英語で問いかけてみた。
彼はギャングの鉄砲玉のような風貌を持て余す可愛げな愛想笑い以外には特に何も反応しなかった。お前、さてはenglish speakingじゃねーな?

 

1つ騙されると普通、人間はその相手のことを何も信用できなくなる。こいつは本当にぼくの依頼した相手なのか?

恥と同じように、恐怖心も上塗りできることを知った。
彼はロシアの雪原を、クラクションの波をかき分けるように爆走し始めた。
車間距離という概念はない。法定速度も当然守っていないだろう、ウィンカーにいたっては付いていないんじゃないだろうか。なにより、バックミラーから見える目が「殺る」目をしている。

初めて後部座席のシートベルトを自主的に装着した。

 

 

この国ではいろいろな小トラブルが、というかツッコミどころが息継ぎの暇なく押し寄せる。まるですごろくをやっているみたいだ。

到着したホテルの正面玄関は電子錠でロックされていた。ホテルというよりドミトリーに近いのだろうが、セキュリティがしっかりしていて安心した。

 

フロントは一階上。エレベーターは…ない。
スーツケースを抱えてフロントにたどり着くと、「あなたの部屋は4階よ」。

綺麗なお顔立ちでえげつないことを言ってる。
スーツケースを抱えて4階へ上がる。1マス戻る。

 

 

部屋に入る前にはまたもや電子錠が。エレベーター<電子錠。

クレジットカードに10パーセント近くの手数料が乗ってくることからも、うかつに「信用」しない国民性がうかがえる。繰り返す被侵略や社会主義の歴史の名残なのだろうか。

 

 

部屋でシャワーと着替えを済ませたら、早速外出。
目的は道を覚えることと夕食の調達。
と思いきや、部屋から出られない!鍵が開かない!2回休み。

 

押したり、引いたり、傾けたり。
空き巣さながらの解鍵術でなんとか脱出成功。建設業界での経験がこれまでで最も活きた。

 

 

外へ出ると、思いの外寒くない外気と、みぞれ。ロシアの冬に一瞬油断した。
しばらく歩みを進めるとそのみぞれが急に強くなった。こっちが真の恐ろしさ。思わず次の一歩にたじろぐ。

 

ところが現地人はものともしない。整った顔立ちを歪めることなく、水溜まりも車の通行もお構いなしに直進していく。おそロシアの真髄をみた気がする。きっと彼らはサイコロを一度に何個も振ってしまうような図太い神経を持っている。休みになっても振り出しにに戻っても、前進していける。

 

強まっていくみぞれと、下がっていく気温と、街の賑わいと、長旅の疲れにまいってしまったぼくの前には突如カザン聖堂が。
『地球の歩き方』の向こう側の世界がこんなにあっけなく登場していいのか。
あれ、そういえば『地球の歩き方』、どっかに置いてきてしまった!ふりだしに戻る。

 

 

カザン聖堂は観光地であると同時に、現役で市民の祈りの場になっている。
巨大な建造物に、金をモチーフにした豪華絢爛な装飾。この街のとりあえずデカく豪華にしておけの精神は見ていて心地が良い。

中へ入り豪奢な空間に囲まれながら教徒たちのゴスペルを聴いていると、信仰のないぼくでさえ、次第に気分が高揚してくる。これがおそロシアの図太い神経の源泉か。

 

 

初日から発見の多い旅だ。
この街に流れる重厚感のある空気を軽薄なぼくにたっぷり詰め込んで、動じない心を学んでいこう。

 

疲れと不安が和らいだ。3マス進む。

ロシアのことわざに「優しい熊」というのがあるらしい。

主人の顔に止まった蚊を、主人の顔諸共叩き潰してくれる飼い熊。日本語でいうところの「ありがた迷惑」だ。
今日はありがた迷惑を推奨するお話。

 

 

子ども用のバギーを飛行機に持ち込むためには、指定のカバーをかける必要があるようだ。
乗り換えの際、搭乗口の前で、シングルマザーと思しき美女がカバーをしはじめた。

その時一瞬、強い風が吹いた。カバーが不用意にたなびき、女性の手からカバーが離れそうになる。


それを見たロシア感強めの男性が素早く駆け寄る。彼の助けのおかげでカバーは守られ、その後の作業もすぐに終わった。

 

 

優しい。
きっとロシア人は優しい。
今日から本格化するロシアでの活動を前に、少し肩の力が抜けた。

 

 

思い返せば、紳士の国イギリスでも、男性の行動は噂に違わぬエスコートぶりであった。彼らの場合には、純粋な優しさというより、「たしなみ」であり、「余裕」からの「施し」という感じではあったが。

 

 

日本人も、多分ぼくも、一定水準で優しいと思う。おもてなしの心とか譲り合いの精神とかは持っている。
でももしかして、優しさって心いきだけでは足りないのでは?もしくは受け身の行動だけでは足りないのでは?

 

 

今自分に必要なのは、女性を救った彼のようなアグレッシブな優しさなのかもしれない。
少し迷惑ぐらいが、きっと人間らしく、男らしい。

 

サンクトペテルブルクと日本との時差は6時間。
日本から見て目的地は「過去」である。

スパッと消し去られる思い出ではない。でも区切りはつけないといけない。だからせめて「過去」へと向かう機内でだけは、カッコ悪く後悔させていただきたい。それで終わり。

機内食のメインはタラのグリルだった。肉料理の「ヤキトリ」とやらも気になったが、品切れらしい。トルコの独特の風味を醸すビールとともにやや薄味の食事を堪能する。

「性格の不一致」。その言葉を硬いパンといっしょに口に含め、味がなくなるまで咀嚼した。
自分が何を噛んでいるかもわからなくなってきてようやく、初めは分からなかったその言葉の意味が、じんわり口の中に広がってきた。

ようやく納得できた。
まとわりつく重い鱗もこれで脱ぎ捨てられる。

思い出すのはこれが最後。
水族館が好きな人だった。

いつか逃した魚として、でっかくなって、分厚いアクリルの水槽を隔てた向こう側で力強く泳ぎたい。

経由地のイスタンブールについた。時差はサンクトペテルブルクと同じく6時間。
もう時間は戻らない。
さあ、乗り換えだ。