痛い。
アルミホイル噛んだときくらい痛い。
ささくれくらい痛い。
便秘からの下痢くらい痛い。
財布落とすくらい痛い。
冬の水たまりくらい痛い。
新学期の自己紹介滑ったときくらい痛い。
もう千切ったほうがましなくらい痛い。
割れたスマートフォンの画面のかけらが指にささるくらい痛い。
原因不明の歯痛くらい痛い。
小学5年生の金的くらい痛い。
世界の衝撃映像の事故ぐらい痛い。
広辞苑の言葉では例えられないくらい痛い。
鼻のニキビくらい痛い。
学生時代バーテンのバイトしてたのドヤるくらい痛い。
蚊に刺された第2関節くらい痛い。
0の数間違えた計算ミスくらい痛い。
好きな人が親友と付き合うくらい痛い。痛い?
突き指くらい痛い。
車に「YAZAWA」って貼るくらい痛い。
今10万円もらっても喜ぶ余裕がないくらい痛い。
乗れなかった電車の次が1時間後くらい痛い。
乗り過ごしたあと戻る電車が1時間後くらい痛い。
終電で寝過ごすくらい痛い。
静電気くらい痛い。
「itai」が英語になるくらいitai。
柔道部の握手くらい痛い。
無駄に強く握手してくる柔道部主将くらい、
そのくらい痛い。
歯医者に行った。勝者になるために。
予約は2週間先と言われてたのに5分ほどでターンがきた。ドストエフスキー読ませろや。
久しぶりに乗る診察台の滑りやすさに困惑した。体幹に力を入れ、歯痛を忘れるほど耐えた。
問診、視診、触診、レントゲン。
虫歯だと思っていたのに、そうでも無いらしい。
歯肉の炎症も特に見られない。なんでしょうね。
なんでしょうねじゃない。治せ。google検索で星4つなんだから。
ぼくとしてはとりあえず神経をぶっこ抜いて欲しかった。
神経なけりゃ痛まねーだろ。
どうせ歯に困る頃には人工神経とかできてるさ。
そんなことよりボーイングだ。来週は15時間のフライト。絶対痛い。行きたくもないし、帰ってもこれない。
しかし治療方針は、
「とりあえず歯石を除去して経過をみる。」
嘘だ。そんなの治るわけ無い。
いいから神経ぶっこぬけよ。
遠回しにお願いしたけれど、ベテラン歯科医は耳を貸すように無視した。きっとそういう輩を何度も治してきたんだろう。
若気の至り。短い気で、短絡的な神経で、一生モノを切り捨てる怖さ。それを知っている。そんな余裕。
気に食わないところがあるからすぐに切り捨てるとか、諦めるとか、そういうのは一時の気休めにはなるだろう。
でも長い目で見ればきっとそんなもんじゃないんだ。
捨てるのはいつでもできる。
残せるのは恵まれたこと。
そんな示唆に富んだ保存療法。
痛みの原因すら不明なのに、こころなしか、痛みが和らいだ気がする。
歯痛が地蔵のように居座っている。
激しさは無いが、何かに耐えるように、じっと。
中国には奇妙な拷問がある。ただ水滴を顔面に落とし続ける。一滴ずつ。ただそれだけ。
一滴ごとに落ちる雫が、石を穿つ雨だれのように、精神を侵食するらしい。
その拷問の苦痛は想像もできないが、ちょうど、そういう感覚。
それでも忍耐力を振り絞り、造り上げた穏やかな顔で日常業務に取り組んだ。
仏の顔も3時までだった。
耐えられず頭痛薬を飲んだ。10年以上ぶりに飲んだ。
薬は効いた。効いたが、地蔵はそこを動かなかった。
薬の効きは歯髄には届かず、闇雲に脳内を漂った。
5時。会議が始まった。
薬剤で満たされた脳には、情報が入ってこない。
視線が一点に定まらない。資料に目を落としているふりをして、落ち着きのない我が目線を追いかけた。
最悪なのは発言の機会だった。
不必要な唾液が口腔内を流れ続ける。唇は震えた。話すたびぶつかる歯の衝撃を受け入れられず、しどろもどろだった。
おぼつかない目線、唾液をこぼしながら話す様、回らない舌。
疑って見れば、いけない方の薬を使った男にしか見えなかったろう。
あまりにも恥ずかしい姿を見せたと思う。
笠あったら、被りたい。
ただのスノーボーダーが遭難者になった瞬間だった。
リフト券、携帯電話、車の鍵、現金。同時に全てを失った。
空は眩しく、美しい。
輝く雪原で、影の黒さだけが際立っていた。
ぼくは山に呪われている。
大学時代、身延山で「散策コース45分」の看板に騙され日の暮れる山道を2時間半彷徨った。
昨年は出羽三山登山にて、「湯殿山まであと1.6km」に騙され干からびかけた。マイルドな滑落も経験した。
満を持していよいよ山に葬られる時が来たのだ。心当たりはないが、山の怒りを買ってしまったのだろう。
日本人は、大昔から山を畏れ、山に祈った。だが近年は、みな畏れも祈りも忘れている。怒るのも至極当然のことか。
山は容赦ないが、人はそうではない。
事情を理解したスタッフの方が、帰るために必要なリフトに券なしで乗せてくれた。
そういうスタッフもいた。そうでない人も、いた。
スキーセンターに到着した。
おぞましい歯痛を除いては、健康体だった。
これだけ健康体であっても、家に帰りようがないこの状況は、死に似ている。
人があふれる建物の中で、誰にもそうとは気づかれぬまま遭難している、半死人。
できることは2つだけ。
1つは祈ること。山にではなく、人の優しさに。
もう1つは歯痛を紛らわすこと。苦しい思い出を再生すると、なぜか痛みが消えた。ちょうど油汚れが油に溶けるように、あるいはダイアモンドがダイアモンドで削られるように、同質の感情が調和をもたらした。
「言いたいことは目を見てちゃんと言え!」
リフレインで脳を麻痺させた。
遭難はわずか1時間で終わった。
遺失物は全て無事に返ってきた。祈りが通じたか。そういうことにしておくか。
看板に騙されても、他人にひどい態度をとられても、少し寛大に見てやろう。
まだ信じてやろう。いつかまたそれで痛い目に合うとしても。
それでもぼくは呪われている。
スマートフォンの画面が割れるのは、これで8度目だ。
ミスチルのチケット取れたときくらいテンション上がる。
チキンマックナゲット15ピース390円くらいテンション上がる。
失くしたフリクションボールが見つかったときくらいテンション上がる。
彼女のポニーテールくらいテンション上がる。
オフサイドぎりっぎりのスルーパスくらいテンション上がる。
センスのあるナンセンスを書きたい、という記事を書いた。
こだわりは強いほうだと思う。
メイドイン・チャイナの服は買わない。
安けりゃ別だが、ブランドの中国製よりマイナーなイタリア製だ。
SUVは嫌い。
重心が高いだけの車の何がいい。
視界は悪い。不安定。高コスト。
あれをかっこいいと思っていると思われたくない。締りが悪い。美的感覚を疑う。
スーツはオーダー。裏地はキュプラ。
午前10時にクッキー一枚。
ご飯少なめ、味薄め。
洋画は字幕派。
スコッチ党。
リベラル。
無宗教。
でもそれを人前で主張するかは別。
チンケなこだわりで友達を減らしたくはない。人類みな兄弟。
こだわりの強さは、人間の弱さを形成すると思っていた。
力学的エネルギー保存の法則。
何かに力を注げば何かがおそろかになる。
「友達は作らない。人間強度が下がるから。」
言い得て妙だと思っていた。
ここ数日の発見は、それが覆されたことだ。
何かにこだわる人は、強い。
全力の出し方が体に染み付いている。
そして何より、人間として面白い。
「情熱大陸」や「プロフェッショナル」が面白いように、こだわる人間は深みがある。
こだわり人間は強い。
ぼくだって強くなれる。
こだわることを恐れてはいけない。
自分を出すのだ。
こんな意識高い文章はさすがにリア友には見せたくない。
別の意味で「おもしろ人間」になってしまう。
つら。
「趣味は何?」という質問、「経験人数」並に答えづらい思う。
まだ「何フェチ?」のほうがマシだ。 声フェチだ。
言いづらい趣味ってのもある。
「ブログです」とはリアルでは言いづらい。
「小説書いてます」、無理。下痢になる。
最近ようやく「新聞への投書」というスポンジのような着地点を発見した。
他人と差別化をはかりつつ、知的さを出しつつ、年寄りウケもいい。イケるぞ。
昨年から手を出し始め、月1本くらい地元紙に投稿している。
若者から投稿は珍しいからか、採用率100%。図書カードおいしいです。
地元福島は地元紙が2つ競合する珍しい県だ。
昨年まではY社のやっかいになっていたが、今年からはP社に変更。
2年ごとに読む新聞を変えるという伊勢神宮みたいな祖父に合わせた。
P社への投稿は少し面倒だ。
メールで投稿できるが、件名から個人情報から、全てメール本文で伝えなければならない。宛先もコピペ不可。
投稿フォームで文字数判定までしてくれるY社とは2馬身は離されてる。
投稿から数日、見知らぬ電話番号から着信があった。
番号は、市外局番こそ福島市だが、ググっても誰かまではわからない。
おそるおそる折り返すと、そこはP社だった。 なんでググっても出ないんだよ。 Y社とはまた1馬身離された。
どもり気味の担当者さんが、ぼくの投稿についてたどたどしく質問してくれた。
「この文章の主題は、ゲノム編集への疑問視ではなく、生まれてくる子への差別に対する警鐘ですね?」
「タイトルを7文字でつけたいのですが、〇〇でいいですか?」
「ありきたりなご意見ではなく、とても斬新な視点でした。他にも今後書きたいテーマはありますか?」
最新技術による情報交換は便利でありがたい。
でも旧式の意思疎通もまた、人間味があって悪くない。
ナンセンス。
間違われがちな言葉。
30代のイキった男が使っていたら十中八九意味を間違えている。
「センスがない」ではない。
「意味がない」、である。
ぼくは無事に高校で学習した。恥ずかしかった。
やたら詩的でかっこいい修辞がある。
かっこよすぎて疑うこともある。
UNISON SQUARE GARDENの歌詞はその一つだ。
リプレイ、まだ平気かい?止まれはしないんだよ
無我夢中に理由は毛頭無い
今日じゃ足りないなら また持ち越さなくちゃね
ねえ アンバランス? 容易にわかられなくたって
ずっと気づかないまま 重ねたため息は消して
つまりイミテーションに焦って 誰かの正義とぶつかっても
大丈夫だよ 僕は僕であれ
一人きりでもリニアブルーを聴きながら
その果てであなたが待っている事を信じたいんだよ絶対にね諦めちゃったら届かない 史上最重要な
明日がきっとあるから 今日を行け、何度でも、メロディ
(『リニアブルーを聴きながら』唄:UNISON SQUARE GARDEN 作詞作曲:田淵智也)
なんだこの何も言ってない歌詞は。
何も言ってないのに妙に熱っぽく、かつ爽やかな歌詞は。
作詞作曲演奏している本人たちも「意味は特にない」みたいなことを言っていた。
意味なくこれだけ意味ありげな歌詞をひねり出すなんて逆に高度じゃないか。
実際、詩人ってそんなもんなんじゃないかと思っている。
詩人と対極の「文章家」が得意とする論理的に構築された文章表現は、読みやすく、わかりやすく、美しい。
だがそれは、案外、努力と情熱でなんとかなりそうな部分はある。
時間と金と気力を割けさえすれば(それこそが最も過酷なのだが)誰にでもできてしまう。
逆に「自分でも意味のわからないこと」を書くというのは高い次元の感性が求められる。乾いた雑巾をどんなに大きな力で絞っても水滴一つ垂れやしない。それといっしょ。 ましてそこに読み手・聞き手に一定の心地よさを感じさせるとなると、ほとんど天性に近い。
文章を書くことを趣味とする人間としては、是非この感性を鍛え、自らの修辞により流麗な華を添えたいものだ。
「センスあるナンセンス」。
これはシリーズ化しようと思う。
これは、まず創刊号を出すのが、たいそう骨の折れる仕事である。
大変だが、いつか絞った雑巾から幾分かの水が出るよう、少しは汗をかきたいところだ。