目標でした
時は2019年に遡る。
東京オリンピックパラリンピック前、パラスポーツは選手の裾野を広げたり、育成をするためにまあまあ予算を費やしていたようで、各地で体験会などが行われていました。
パラリンピックは競技や障害の程度によっては国内ライバルがいないなんてこともあります。
もちろんライバルがいなければ出場確定!とはならず、基準を突破する必要がありますが、もし穴場のスポーツが自分に適性があったなら、チャンスはあるかもしれないのですよ。
もちろんライバルがいなくても、基準のハードルはそれなりにあるから努力せず掴み取れるものではないけれど。
当時の私。
今より全然身体の状態は良かった。
簡易電動車椅子がないと動けないけど、逆に言えば簡易電動車椅子さえあればそれなりに動くことは出来ていたと思う。
まあ体幹や上肢にも支障は出てきていたけど、体幹はベルトで締め付けて動かないように固定して、上肢はまあジョイスティック操作くらいなら何とかなるし、運転もできたし。(改造車)
何よりも体力が今とは全然違う。
病名も不明で、特に運動制限も言われてなかったしメンタル言われていたので、逆にスポーツでもはじめたらメンタル疑惑解消されるかも?と思い、いくつかの体験会に参加した。
そこでとある競技で、リップサービスというか勧誘文句で「今からならパリ間に合うよ!」と言われて君に決めたー!とその競技に決めたわけです
なんて単細胞
でも練習は楽しかったしマジメにやっていたので、やる程に強くなる実感がありまして。
実感があるから練習も楽しい、めちゃくちゃ良いループでしたね!
実際はじめてすぐに強化選手に任命して頂けましたし…
パラのクラス分けは原因不明が引っかかって国内大会のみ、有効期限付きの判定。
それがきっかけで病院探し再開した経緯があります。
でも一応そのクラス、人数めちゃくちゃ少なかったので頑張れば本当にパリが見えてくるはずだったんですよね……🇫🇷
当時は私の障害は既に固定されていて、これ以上悪くなることはないと思い込んでましたから…
パリがダメでもロスがあるなんて思ってたし…
ただ長くは続かなかった。
障害は固定されてなくて悪化してるから……
しかもまあまあ大きな大会前、追込で練習してもすればする程に弱くなって言った。
弱くなってるけど、一応メダル候補とかで地元新聞の取材とかある訳ですよ……
めちゃくちゃ焦ってるけど、どうにも腕に力が入らない。今までと同じようにできない……
終わったと思ったけど、チームのみんなにも取材にも「メダル目指して頑張ります💪」としか言えない……
こんな時期に病状悪化しましたなんて言ってもタダの言い訳ですからね……
もちろん大会は最悪。
周りからは緊張と思われる。
期待していたのに……
残念……
目線がめちゃくちゃ痛かった。
切り替えるのは難しかったけど、今までと同じように出来ないのであれば、一からフォームを見直そう、まだ間に合う……
そう思っていた。
同時進行でクラス分けの為に病院を探す……
一からやり直そうと気持ちを切りかえたあと検査入院が決まる。
検査入院の結果……
ずっと不明だった正体が判明した。
訳も分からずに車椅子生活を余儀なくされていた身としては、ある意味正体がわかって安心した面はある。
ただ、症状的にスポーツとはとても相性が悪いものだった。
というかおそらく、スポーツをやることで過度に負担をかけたことにより急激な悪化に繋がっていた……
それでも検査入院の頃はまだ趣味程度なら続けられるような話もしていた。
しかしその後ガタガタと状態が悪化し、長期入院今に至る。
短い間だったけど、夢を見れた時間は幸せでした。
まあまだ諦めるつもりはないけど。
形を変えても何か、取り組むことが新たにでも見つかったら嬉しい。