芥川賞受賞作品「ハンチバック」



普段は活字を読まないというかほとんど読めないに近いのだけど、今回の芥川賞受賞作品が障害者当事者による障害当事者の話ということで、読んでみることにした。



作品の中でも言及されている、「読書のバリアフリー」。

私も障害当事者なので気軽に本屋に行って、気になる本を手に取って買って、それを家になんの苦労もなく持ち帰り、なんの苦労もなく読みやすい体勢を維持しながらペラペラとページをめくって読むという作業は難しい。

リハビリの訓練で、新聞紙をめくる作業療法がある。それだけ紙をめくる作業というのは、障害がある人にとって難しいものなのだと思う。

実際に新聞紙をめくるリハビリをして、最初は簡単に出来る、自分はもっと高度なリハビリができる!と思ってやってみたら、1枚1枚が張り付きかけている新聞紙をめくるという作業はとても難しいものだと実感した。さらに新聞紙は大きい。めくった後、綺麗に広げる作業が待っている。

書籍でも同じで、1ページずつめくる作業はこの先の展開を考えながらワクワクする作業ではあるが、手に障害があるとその先のワクワク感よりも前に、しっかりめくることができないイライラがやってきてしまう。

そうやって本から遠ざかってしまうのだ。


そうは言っても紙の本でしか味わえないもの、デジタルに置き換えられないものがあるという健常者の言い分も理解できない訳では無いし、実際そういう本も興味に負けて買ったこともある。

まあもちろん読めなくてお蔵入りになってしまってはいるのだが。


因みに失敗したのはこの本。

まず重すぎて持てない。

外装ケースから本を取り出すことも出来ない。

大判なので広げるテーブルがあっても前かがみになれないので上の方は見ることが出来ない。

ただの棚のコレクションの化している。


他にも写真集等、どうしても紙で見たい作品はある。


でもこのような本をデジタル化することは難しい。もしデジタルで見るなら80型くらいの大型モニタでじっくり見たいがそれはそれで結局細かな部分まで自分で見ることは困難だ。見に行く間にモニタに車椅子でぶつかって壊してしまいそうだ。

このような地図や図鑑は大好きなのだが、これらはデジタル化するとなんだが味気なく感じてしまう気持ちもあるが、でも紙だとしっかり読むことが出来ないというジレンマを抱えている。


話が大分逸れてしまった。


そんな訳で紙の本に辿りつくのは難しかったのだが、先日解約を忘れてしまったAudibleの聴き放題タイトルに、既にハンチバックが入っているではないか!





時間も通常の速度で2時間弱、私は大体1.5倍速位で聴くので90分くらい?


本の価格を考えてもAudibleの元が取れるではないか財布


耳からの情報処理は苦手だが、そんなに長くないので聴いてみることにした。


これは私の憶測に過ぎませんが、著者は読書のバリアフリー可の話をされているので、紙の本を手に取りにくい人、目が見えなくてそもそも活字を読めない人にも届くように直ぐに音声化をしてくれたのかもしれないですね。




以下はネタバレ含むかもしれません。









Audibleで聴いていると、最初は間違えて官能小説のタイトルを開いてしまったかと勘違いしてしまった。何度も再生タイトルを確認した。間違いない、芥川賞受賞作品で間違いない。


それでもしばらくはこれは芥川賞受賞作品だよね?と自問自答しながら聴き進めており、このターンで親が自室に何かの拍子で入ってこないことを本気で願っていた。


聴き進めていくとこれも緻密な構成によるものなのだろうなと感じるのだが。


普段活字をほとんど読まない人間が感想文なぞ書いても頓珍漢な文章にしかならないと思うので、障害当事者が読んで見て感じたことを思いつくままに書いてみたいと思う。


読書は得意では無いので、この本で私が感じた2点、障害者が俗世から隔離されている(と感じがち)ということと、障害者の性についてを主に掘り下げてみたいと思っています。


本を聴いてみて、障害の状況も置かれている立場も違うので、全てにおいて共感出来るとはもちろん言えない。

ただ、健常者が読んで感じることとと私が読んで感じることではきっと違うものも多いだろうと感じた。


社会との繋がりに関することであったり、ネットのアンケートなんかにある職業欄でどこにすれば良いか悩むのなんかは、私自身も就職ができるまで毎回悩んでいたし、私も障害発症当時は主人公と同じように「こたつライター」も経験した。というか就職なんて無理だと思い込んでいたし、当初は障害者用の就労支援施設がある事も知らなかったので、それでしか世間と繋がることが出来ないとさえ思っていた。


行ったこともない地域のオススメカフェ20選♡とか、正直食べログ等のグルメサイトを調べる手間の割に手元に入るお金はとてめ少ない。時給換算した瞬間にやる気がゼロになる。手取りの為にadultな分野への進出も本気で考えたこともあるが、その前に私はこたつライターを辞めた。


念の為補足しておくと、こたつライターでもジャンルや発注元をしっかり見極めることができればちゃんと職業として成立する。それだけで食べている人たちも沢山いる。私も一時期は時給換算4桁くらいまではいけたこともある。

しかし、初心者や情弱と言われる人、強みがない人は搾取されてしまう事も確かだと思うし、それで生計を立てようとするにはかなりの努力が必要なことには間違いのない事実である。らくして稼げるものなどはないのだ。


この本の主人公のような人が、アダルト分野の記事を書いていると思うと、つくづくエロはフィクションだと感じた。


私は主人公や作者と違い中途障がい者であるが、障害者になってからの社会との関わりというものは本当に希薄になったと感じる。


障害を持って仕事を辞めた瞬間、関わりが家族と病院のみになってしまった。その後はヘルパーさんや関わる医師の数、訪問看護や相談支援員、理学療法士や作業療法士など人との繋がりは増えていくが、どれも全て障害ありきで関わる人たちである。もしも障害がなければ繋がることのなかった人ばかりだ。

逆に考えると障害故に繋がった縁だと捉えることも出来るのだが。


仕事をしても社会との繋がりの薄さはまだ感じている。

最初は就労継続支援という障害者の雇用の定着の為の施設のようなところで働いたが、健常者との接点は施設のスタッフのみ。さらに田舎にあったので、近くを歩く健常者を見掛けることも全くなく、私は一般世界から完全に隔離されたように感じたのを覚えている。


一般就労しても私の場合在宅での仕事を選んだので、納品物とかメールで健常者との接点を感じることはあるけど一般社会に溶け込めている実感はまだ薄い。これが通勤の仕事を選べば健常者の世界に入り込んでいる実感は沸いたかもしれないが、ここまでの重度の身体になるともしも通勤しても周りに助けて貰っているだけで障害者数カウントのためだけにいる邪魔な存在だと返ってひねくれる可能性も高い。


そして多分この本で大きなテーマだと思うのは障害者と性について。


なんとなく障害者は恋愛や性体験について諦めるものみたいな暗黙の了解が世間にまかり通っているような気はする。そのような空気感は多分なんとなく薄いながらも日常生活に溶け込んでいて、当たり障りのない会話の細かな部分にそれがときどき顔を出してくる。


私の場合は障害者になってから周りから一切結婚は?とか恋人は?という話をふられなくなった。もともとウザいと思っていた話の内容ではあるが、身体がこうなった途端にピタリとやむと逆に聞いてこいよ!と思うから不思議なものである。


少し前までは女性の性についても同じような雰囲気があったかもしれないが、女性用の動画やグッズも登場し、市場も大きくなってきていることを考えると障害者向けのサービスも開発すれば成長の余地はあるのかもしれない。一部の会社では玩具用の自助具の開発などもおこなっているらしいが。


障害向けのサービスが難しいのは、障害の特性によってはフリーにしすぎることで犯罪に繋がってしまうリスクが上がる症状の人もいたり、逆にそういう情報に触れたことでメンタルがやられてしまう人もいる。身体障害のみの人であれば「自助具」等で解決できる問題も多いかもしれないが、精神障害者や知的障害者の場合は「自助具」で解決できるものでは無い。問題も多様性があることと、タブー視されていた時代が長かったからこそなかなか進まない分野なのだろう。


それでも障害の種類や人によっては結婚や子育てをしている人もいるし、それを発信している人もいる。

まだまだレアケースかもしれないけど、時代が進むにつれて障害者でも結婚や子育てを諦めるのがデフォルトではなくなることもあるかもしれない。


障害者用のマッチングアプリや婚活なんかも少しずつ増えてきてるので、今後はもっと当たり前になっていくかもしれない。


そうやって時代は少しずつ進んでいるかもしれないけど進むペースの遅さや、当事者の意識との乖離が大きかったりでなかなか障害者の生活水準の全体的な上昇には繋がっていないと思うし、将来を悲観する障害者も多いのではなかろうか。


この本を読んだだけでは障害者を理解することは不可能だと思うけど、この本を読む事によって、障害者への考え方が変わるひとつのキッカケにはなる本なのではないだろうか。


文才のない当事者として、今後も文章で発信する作者を応援したい。