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最近は頭の調子が良くないので、読みにくい日本語の使い方だったり、誤字脱字等あるかもしれませんが、ブログを書くのは私の脳トレと症状や体調などの記録的要素もあるため、お目汚し失礼しますがよろしくお願いしますお願い

Rewrite記事です


1度目の車椅子生活




私は最近になり、やっと病名が付いて積極的な治療やリハビリを受けられるようになりました。


それまではずっと原因不明や病気ではない、ストレスや精神的なもの、酷い時には仮病や詐病と言われ続けていました。


この病名がない間は、医療や福祉の隙間に落ちたような感じでした。




突然の対麻痺


歩けなくなるまで、自分はごく一般的な生徒だったと思う。


いわゆるスクールカースト(言葉は好きでは無いけど!)では真ん中くらい、体調に異変を感じるまではそれなりの成績だった。

今でもだけど社会が好きだった。

だけどほかの成績を見ると理系だったと思う。

将来の夢は獣医さん犬猫ハムスターヒヨコうさぎ


犬を飼い始めたばかりだったという単純な理由であしあと笑い


弱小運動部に所属し、毎日放課後練習してましたよ。


仲良かった友達が近所に引っ越してきて、部活も同じで毎日楽しくおしゃべりしながら下校していましたラブラブ


そんな学園系アニメにもならない、ごくごく普通の学生ライフを満喫していたある日のこと……。


授業中に突然立てなくなりました!!


確か授業の始まりの時に、当番が起立の掛け声をかけたときでした。


私は足に力が入らず、立つことが出来ませんでした。

先生は、「ちゃんと起立しなさい!」と言ったと思いますが、本当に立てないので「脚に力が入らず立てません」と伝えました。


最初はふざけていると思われて、先生も怪訝な顔をしていました。

しかし、私のところまで確認に来た時、足が突っ張ったまま硬直しているような感じになっていたので、只事ではないと思ったようです。


すぐさま保健室に担架か体育会系教師のおんぶで運ばれました笑


保健室での出来事は覚えてないです。


でもすぐに家に連絡が行き、母が迎えに来てくれて、そのまま当時のかかりつけ医に行きました。

ずっと両足は突っ張ったまま、診察で膝を曲げようとされましたが曲がりませんでした。


田舎のクリニックですし、そんな症例は当たり前のように見たことないとのこと。

すぐに大学病院の紹介状を書かれて、そのまま緊急入院になりました。


家に荷物を取りに行くまもなく、診察室から入院病棟直結でしたアセアセ




入院生活


まだ子どもなので入院先は小児科になります。

今まで健康優良児だった私には、小児科は自分の知らない世界でした……


大人の診療科では細かく別れていますけど、小児科って色んな症状の子がいます。


今はもう少し部屋も分けられているかもしれません。

でも当時はカーテンもなく、個人情報とは??という感じでしたね(笑)


そんな自分よりも重症な人達ばかりいる所に放り込まれて、「自分はここにいて良いのだろうか?」と子どもながら日々悩んでいました。


元気な子達とは色々お話しました

その時に、「ここの食事毎食1000円もするらしいよ!」という噂を本気で信じてしまいまして(笑)


親に申し訳ない気持ちになりましたねw


(本当は病院の食事代って決まっているからそんな値段のわけがありませんw知るはずもないけど!子供だしw)


当時色んな検査をしたと思います。

昔のことなのでよく覚えていませんが、MRIが狭くてうるさくて嫌だったことは覚えています。


当時最新の機械と言われたことも。。


しかし、当時は異常が見つからず、「思春期特有の悩みとかストレスが身体に現れている」と言われ、リハビリ等も無く車椅子のまま退院することになりました。


当時特に悩み事も無かったし、むしろ毎日楽しいと思っていましたけど、自分で悩みに気づいていないだけって言われました。


でも、思春期の悩みやストレスと言われたのに、精神科の紹介を受けなかったことに子どもながら違和感を感じていた記憶があります。

何故なら同室にいた摂食障害のお姉さんは、精神科も受診していたからです。


学校はバリアフリーでは無いのでしばらく休みました。勉強が遅れないように、進研ゼミや家庭教師などをやらせてもらいました。









退院後


しばらくしたら痙性麻痺も落ち着いてきました。動かしにくさはあったけれど。


親は親なりに色々と考えてくれて、近くのリハビリに通ったり、鍼灸に連れて行ってくれたり、その他今考えたら怪しそうなものもとにかく色々試してくれました。藁にもすがる思いだったのでしょう……。


何が効いたのかどうかは分かりませんけど、徐々に日常生活が送れるようになっていきました。

私はリハビリと思っていますが。


治りかけ位の時に一度ガクンと落ちましたけどね。

首も座らないし口も閉じられない状態に……


今考えたら何故緊急で病院行かないのかと思いましたけど、病院行ってもいわゆる心因性なので、親も連れていこうとも思わなかったのでしょう。


回復にはリハビリが一番きいたとは思いますが、私は覚えていないけどリハビリに通っていた病院でも対応は冷ややかやったようです。


まあ思春期の心因性疾患なのでね。。


でもリハビリメニューは頑張ってこなしていたと記憶しています。

今受けているようなリハビリからしたら、リハビリと言えるのか疑問だらけの事をやっていた気もしますけど……(笑)


治りかけと思われる時の様々な特有の動きは、当時ありえないと言われまくりました。なんせ心因性ですからスター(しつこいw)


でもね、最近SNSで見つけてしまったんです。

類似疾患の人が似たような動きをupしているものをびっくりマーク


今になっては当時の疾患と今の関連性を調べる術はないですけど。


しかし、よー分からんけど一応日常生活を送れるくらいには回復したわけです。おそらく。。

ストレス言われていましたから、自分でも気付かない悩みが解決して復活したんかなー?とか軽く考えてました。


でも、実際は学校に復帰してからの方が大変でしたよ。


クラス替えからグループが出来上がる時期に学校休んでいた訳ですから、馴染むのに苦労しましたから。




当時から感じていた矛盾


何故当時の診断に子どもながらに疑問に思っていたのか。

それは精神症状と認めたくなかったと言うよりも、医師の説明の仕方だったと思います。


これは再発後でも同じなのですが、精神的言われる理由は検査結果に異常がないからの一点のみ。

精神的なものといいつつ、精神的なアプローチは一切してこなかったんですね。


また、親が突っ込んだ質問をするとキレて逃げる医師でしてね……


もし本当に精神的な理由を疑っているのなら精神科を紹介するものだと思います。


それもされずに気の所為とか甘えだから放っておけば大丈夫みたいな感じでほぼ放置。


まあ当時は回復した(?)ように見えたんで良かったですが。


因みに当時はほぼ両下肢のみの症状でした。

一時的に発作で全身に症状が出ることはありましたが。


なので今よりは大分動けていましたが、身体に慣れてないし昔だしで、今よりQOLはめちゃくちゃ低かったですねw


当時はそんなこと1ミリも考えていませんでしたけどね!


ただストレスでもなんでも良いから以前の身体を取り戻させてくれ!


そう思っていました。

これは今でも思いますけどねー!


無理だとわかっていても、この思いを消すことはなかなか難しいですよねえ泣き笑い








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