17歳。

 

最も多感で、子供であって大人であったあのとき、僕たちは確かに、この二人が醸す音楽の前で、雷に打たれたのだ。小澤征爾とシャルル・デュトワと。

 

両者とも同年代で、フランスものとロシアものを得意とし、北米のオケのシェフであった。

 

 

 

しかし、僕はこの二人の指揮者の関係や結びつきについて、いままで、いや正確には、2021年にセイジ・オザワ・フェスティバル松本にデュトワが招聘されるまで、まったく考えたことがなかったのだ。

 

おそらく、それは、「二人が似かよい過ぎていた」からだ。そして、二人の間には、悪しき「ライバル意識」という壁のようなものが存在しているのではないか、と勝手に邪推していた。

 

しかし、2021年の松本での無観客コンサート以降、二人の「友情」の一端が、我々にも見えるようになってきた。

 

そして、令和6年3月20日(デジタル版:22日)の「朝日新聞」の記事である。

 

僕はこれを読んで本当に共感したし、デュトワの小澤へのリスペクトに感動した。それにしても、小澤征爾追憶の記事の筆頭・第1回のインタビューに、シャルル・デュトワを持ってくるあたり、「なかなかやるなあ」と、企画者氏を讃えたい気分である。(ちなみに聞き手は、編集委員の吉田純子氏)

 

 

「エレガンスと透明感」と、自分と小澤の音楽を評したデュトワ。自評がこれほどまでに「言い得て妙」と思えるコメントも珍しい。

 

ただ、同じ「透明感」であっても、僕が思うには、デュトワの作るサウンドは、紗(うすぎぬ)のような透明感で、小澤のは、一つ一つの音のブロックの塊を正確に積み上げていくような透明感だ。

 

同記事の中で、デュトワは言う。

 

 セイジと私のエレガンスは本質的に異なるものです。私は欧州に生まれたので、欧州の音楽家の伝統を自然と受け継ぐ形になりました。ミュンシュ以上に影響を受けたのは、私と同じスイス出身のエルネスト・アンセルメで、彼を通じてストラビンスキー、ディアギレフ、ラベル、バルトークといった芸術家の系譜におのずと連なることができました。いわば故郷で仕事をしているようなものです。
 しかし、セイジは違います。彼は日本で育ち、異邦人として欧州に出会いました。セイジのエレガンスは、まぎれもなく日本という国の精神性によって育てられたものです。セイジの演奏のすべてに、明瞭に「日本」が刻印されています。

 

 私自身、陶磁器や浮世絵を愛する大の日本びいきですが、ずっと変わらず感じ続けているのが日本人の生き方の奥底にある繊細さです。人と人との美しいやりとり、礼儀、相手に対するリスペクト。日常にみられるこうした繊細さこそが日本の文化の本質であり、それがおのずと日本特有のエレガンスを生み出している。それを凝縮し、世界に示したのがセイジだったと私は思います。

 

そして、そんな「日本の美学」を背負ったセイジのキャラクターが、世界へ羽ばたく際の独自性として機能した。

 

 彼のチャーミングな人間性がカラヤンやバーンスタインらとの出会いを引き寄せた。欧州におけるどのキャリアの段階においても、セイジの音楽はいつも日本人としての特質を携えていた。日本人である自分をいつも基点としつつ、世界中の文化をおおらかに受け入れ、全てをブレンドさせたかつてない繊細さで世界を魅了したのです。

 

全くその通りなんじゃないかと僕は思う。そして、そんなことを言えちゃうデュトワさんも、もうほとんど日本人の感性を共有できているんじゃなかろうか。

 

 最後にセイジに会ったのは2022年、長野県でのセイジ・オザワ松本フェスティバルでした。ストラビンスキーの「春の祭典」を指揮したあと、セイジを舞台に招き入れると、お孫さんと一緒に舞台に姿を見せてくれた。前の年に会った時よりも、具合が良いように感じられました。「タングルウッドで聴いたベルリオーズの『ベアトリスとベネディクト』は本当にすばらしかった。よく覚えているよ」と話しかけたら大きく目を見開いて、強く反応してくれました。

 今、私だけではなく世界中が彼の不在を寂しく思っています。でも、彼の88年の人生は、とても良いものだったと私は思います。亡くなったことは、決して悲劇ではない。ただ、時が来たのです。病と闘う姿をずっと見てきたので、少しほっとしたという気持ちもなくはありません。音楽家として、ひとりの人間として、大いなる友情を今こそ彼に捧げたいと思います。

(朝日新聞デジタル連載『音楽を生きた人 小澤征爾さんを悼む』第1回「セイジの演奏に刻まれた日本・盟友デュトワが語る小澤征爾さんの本質」による)

 

「決して悲劇ではない、ただ時が来たのです」…。

 

なんて素敵なことばなのだろう。デュトワさんは、この6月にまた新日本フィルを指揮するために来日する。平日のサントリーホールにはまだ残席があるようだ。

 

行っちゃおうかな…。