ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第4番ト長調作品56
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
小沢征爾 指揮/ボストン交響楽団
(1981,TELARC)
今月号の「音楽の友」の特集は、「追悼・小澤征爾」だった。表紙の写真も素晴らしかったので、本屋で見た時にすぐに購入した。
「『無』あるいは、『龍』」という片山杜秀氏の寄稿文を読んで、まったくその通りであると共感した。3月1日に、僕は偶然にも、小澤逝去の思いと絡めて、同じような趣旨の「卒業生に送る文章」を書いていた。
2月に亡くなった小澤征爾の、教養をひけらかすなことのなかった「すっとぼけた無」を、僕は究極の「謙虚」と解釈して、卒業生へのメッセージに込めたのだった。
同誌の記事では、特に各音楽家・関係者からのコメントが目を惹いた。「小澤征爾の名録音」「世界のOZAWAを知る珠玉の20作品」もこれからの役に立ちそうだ。
本来は小澤特集とは関係のない、小林愛美と山田和樹の連載にもマエストロへの謝意と冥福の念が語られていた。
家ではゼルキンとのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番のレコードを聴いた。
片山杜秀の文章を読みながら聴いた。(まったくそのとおり)
それにしても、あの宇野功芳は、なぜに小澤の《アルプス交響曲》(ウィーン・フィル)だけを、あんなに絶賛したんだろう。そんなに他のCDと大差ないのではないかと思うのだけれど、宇野功芳のツボだったんだろうか、あの演奏は。
(2023.3.21追記)
「龍」といえば、昔、誰かかから「日本列島は龍の形をしている」と聞いた。とすれば、小澤征爾は日本そのものだったんじゃないか。そんなことを急に思い出したので。