マイ・ファンタジー/小泉今日子

(1982,ビクター音楽産業)

 

 

小泉今日子のデビュー・シングル《私の16才》が好きだった。(短調の歌謡曲、万歳)

 

1982年(昭和57年)、お小遣いが1,000円/月。

 

「FMレコパル」の購読費で、220円×2=440円が1か月分の出費として飛ぶ。残る560円は、生テープ(TDK AD)を買う。それが1,000円の使い途だった。

 

しかし、埼玉や川崎などから親戚の伯父さん(叔父さん)が我が家を訪ねてきたりすると、嬉しい「臨時収入」があったりする。当時の親戚は、いつだって子供たちにお小遣いをくれた。お年玉以外にも。(昭和末期は景気がいいね)

 

そこで、伊藤博文を握りしめて、駅前の「レコードショップじゅん」に意気揚々と向かう。

 

FMで聴いて好きになった《私の16才》を買う目的でショップに行く。しかし、いざ、買う段になると、他にもっと「買わなくてはならないレコード」があるような気がして、なかなか《私の16才》をレジまで持っていけない。

 

結局、違うレコード、例えば、松本伊代のニュー・シングルとか、水谷豊のテレビ主題歌などを買ってしまって、《私の16才》は、とうとう僕のものにはならなかった。

 

あれから42年たって、ようやく上記のレコードを買うことができた。しかもシングル盤ではなく「LP」である。

 

 

500円だった。今なら叔父さんが訪ねてこなくたって、余裕で買える。

 

《私の16才》は、おそらく40年ぶりぐらいに聞いた。ストリングスのアレンジと女声コーラスが懐かしい。

 

B面を再生し始めて、昭和57年の夏ごろの記憶がさらに甦ってきた。

 

《素敵なラブリーボーイ》。

 

この曲を歌う小泉今日子の生の歌声を、僕は、初めて行ったNHKホールで聴いたことを思い出した。

 

友だちが応募したNHK「レッツゴーヤング」の観覧希望はがきが当選し、一葉のはがきで3名まで入場できたので、友だち3人で電車に乗って(おそらく部活をサボって)観にいったのだ。

 

たしか坂上とし恵もいたと思うが、その他の出演者は忘れてしまった。太川陽介が司会だったのだろうか。

 

自分が観覧したテレビ番組を、後日、自宅のブラウン管で視た時の、あの言いようのない違和感を、このときに初めて体験したのだった。

 

松本伊代も小泉今日子も、まだ芸能界で現役である。しかもその界隈の末席どころか、けっこうなド真ん中に鎮座して今なお「売れている」といっていい。

 

これは、凄いことだ。だって、あれから42年なんだもの。

 

レコードというのは、やっぱ、あれだ、タイムマシーンだ。