昨夜の演奏会を聴いて勉強になったことを忘れないうちに書き留めておく。なにせ、「忘れたくない病」に罹患しているようなので。
昨夜のプログラム・ノートにも書いてあったように、《ペトルーシュカ》の場面転換には、ティンパニとスネアドラムによる16分音符の連打が出てくる。
これは、舞台準備のために出る騒音を「掻き消す」ために書かれたものらしい。なるほど。たしかに、こうすれば音楽の流れを止めずに、観客を作品世界に没入させられる。
「8時だヨ!全員集合」の場面転換の時に流れる「あの音楽」と同じ発想なのだ。(違うか)
で、この部分の譜面(1947年版)を見てみると、どのくらい演奏するかは「lunga」(=適度に延ばす)と指示されている。準備ができるまでの時間は舞台ごとに違うから、現場の判断に任せるということなんだろう。
手前には「simile - ad lib.」とあって、「同じ感じだったらどう叩いても良いからよろしくね!」って解釈できる。
ほほう、それならやったるぜー!
「アドリブ」という言葉を見ると色めきだっちゃうドラマーの性(さが)がひょっこりと顔を出す。
では、今回のような演奏会形式では、何拍ぐらい延ばすものなんだろう。昨日の演奏を思い出すと、だいぶ長かったような気がする(16拍ぐらい??)。なにか決まった慣習みたいなものがあるのかもしれない。
手持ちの愛聴ディスクを確認する。
シャルル・デュトワ&OSM盤では、4/4拍子で数えて2小節ちょうど、つまり8拍分だった。
人間にとって、なぜかしっくりと落ち着く拍数。しかし逆に、何の衒いもない無思想性をも感じてしまう。要はぜんぜん面白くない。
アドリブでガンガン叩いたり、半端な数である「9」小節ぐらい継続したりしたら、すごく「意味がありそうな」音楽に聞こえてしまうだろうと思う。
これから《ペトルーシュカ》の実演に接するときには、このあたりにも耳を傾けていきたい。