E.T./オリジナル・サウンドトラック

 

ジョン・ウィリアムス

(1982,MCA)

 

 

昔のことを忘れてイライラすることが多くなったような気がする。これは一種の老化現象なのだろうか、それとも僕の昔からの性質が、ただ単に増大しただけなのだろうか。

 

たとえば、あるフレーズは思い出されるのだが、曲名や作曲者が分からないとか…。あるセリフや情景は思い出されるのだが、作品名や作者が分からないとか…。

 

ひどいのになると、それが「小説」だったのか、「ドラマ」だったのか、「映画」だったのか、はたまた、誰かからの「伝聞」であったのかさえも思い出せない時がある。

 

そういう時に、ひどくイライラし、不安になり、息苦しくなるのだ。これはノイローゼの一種だろうか。

 

手許にメディアを全部残していた頃までは、まだ良かった。書棚やCDラックを探せば、何かしらのヒントになったから。

 

思えば、僕はなんでも取っておく癖を持っていた。本も図書館では借りずに購入していたし、借りてきたCDやレコードもカセットテープに録音して、聴かなくなってからもずっと取ってあった。ビデオテープ(VHS)は、ほぼ全てをDVD-Rにダビングしてから破棄した(しかし、水谷豊のビデオテープは未だに捨てられない)。

 

それから、自分が行ったコンサートのパンフやチケット、自分が出演したコンサートやコンクールのプログラムなども、とにかくすべて保管していた。

 

結婚して自宅から独立すると、マンション暮らしとなり、部屋が手狭となった。しかし、それでも僕は「保管」に拘った。引っ越し先に、とにかくすべて持っていった。

 

ところが、世間的にはいろんなものを「捨てながら」引っ越しするのが常識らしい、ということを後になって知った。

 

「じゃあ、みんなどうやって、昔やった演奏とか、感動したフレーズとかを思い出すの?」

 

その疑問に対し、私の妻は、「今を生きているから、普通は昔のことをそこまで細かくは思い出さないよ」と言った。なるほど…と納得しながらも、僕は「ハッ」となった。

 

「過去」というものに対して、僕は特別な価値を置き過ぎているのではなかろうか…。

 

たしかに、「あの演奏を聞いたのはいつ、どこで、だれがやったコンサートだったかなあ…」と思い返したとき、「何月何日、何というホールで、何という楽団が演奏した」というようにハッキリ答えが出ないと、ずっとイライラしてしまうのである。

 

ネットで調べて分かる類いの情報なら問題ないが、個人的な経験はそうもいかない。

 

…と、ここまで綴ってきて、やはり、「ノイローゼ」であるような気がしてきた。

 

昨日も、小説の「あるシーン」をふと思い出したのだが、タイトルも作者も思い出せない。ただ、単行本ではなく文芸雑誌の『文學界』か『文藝』で読んだ気がする。でも、いつの号か思い出せるわけもない(僕は文芸誌を時々買うのみである)。

 

ああ、全部取っておけばよかった! と、こうなってしまうのである。

 

もう、これは日記(当ブログ)をこまめにつけ続けるしかないのではないか。気になったエピソードやフレーズは、備忘録的にちょっとでもメモ書きする必要があるのではないか、と思っている。「全部保存」が不可能である現状にいる限りは…。

 

前置きが長すぎた。

 

『E.T.』は、中学1年の時に母親に連れられて、妹と一緒に見た。『未知との遭遇』から5年経っていた。

 

 

 

『E.T.』は、凄い人気で「立ち見」だったような気がする。「立ち見」がOKだったなんて、今では考えられない。

 

場所は横浜駅西口の相鉄ムービル、冬休み~正月休み中のロードショーだった。

 

映画は感動した、というか、面白かった。週刊ジャンプなどの特集での前評判のとおり、リアルな造形とSFXや光学合成などの映像美も堪能できた。しかし、それ以上に、僕はフルオーケストラの音楽に心を奪われたのである。

 

なのに、僕はこのサウンドトラックを所有していなかった。昨日、ブックオフの叩き売りで購入するまでは。

 

どの曲が好き? と聞かれたら、トラック①の「遥か300万光年の彼方から」と答える。サントラ盤は持っていなくても、深夜のFM放送の特集をエアチェックして、カセットテープで何度も聴いていた曲だ。「耳年増」になった今になって聴くと、レスピーギのオーケストレーションを彷彿とさせる箇所がある。

 

「フライングテーマ(E.T.のテーマ)」は何度聞いても清々しい。

 

「備忘録」だが、映画本編は、20周年の折に「特別編」というのが制作されたそうだ。E.T.をCG化したり、子供に銃口を向けるシーンやセリフをカットしたり、新たなシーンを追加したそうである。いつか見てみたい気がする。

 

それから、ハリソン・フォードがエリオットの学校の校長役で出演していたが、本編でカットされたという情報も、今日仕入れた。

 

「E.T.」は、劇中、エリオットと一心同体であったが、エリオットの綴りは「ELIOT」で、最初と最後のアルファベットが「E.T.」である。そんな情報もWikipediaに載っていた。