前の記事:

 

108円のCDは、108円分の価値しかないわけでは、けっしてない。

 

その昔、大学のサークルの一つ上の先輩を乗せて、よくドライブした。先輩は管弦楽団にも籍を置いていて、交響曲や管弦楽曲のことをいろいろ教えてもらったりしていた。

件のマゼールの《運命》をかけていると、先輩が鈴を振るような声を上げた。

「うわあ、すごいタメ……」
「た、ため?」
「うん、溜め。もう一回、今のところかけてみて?」
僕は、巻き戻しボタンを二、三秒押して、すぐ離す。

《運命》第一楽章の第二主題が変形してコデッタ(小結尾部)に向かうところで、マゼールは大仰なリタルダンドをかける。

「やっぱりすごい! ここ、譜面には、遅くしてなんて書いてないのに……」

「へえー、そうなんだ。このテープばっかし聴いてきたから、《運命》ってみんなこんな演奏するのかと思ってましたよ」

 

オケの人と話すと、本当に勉強になるのだ。だから、僕は一時期、自己紹介の時に、「ブラス」(=吹奏楽)をやってるのを隠して、ただ「太鼓やってます」とだけ答えていた。

 

いま考えれば、僕もオケに入っていれば良かった。

 

だって、日常的に聴いている音楽が管弦楽曲なのに、やってる音楽が「ブラス」だなんて、やはり分裂している。本当は好きな曲を演奏するのが一番幸せなのだと思う。僕は吹奏楽の曲は、あまり好きではなく、自ら好んでは聞かなかったから。でも、しがらみとか友情とかいろいろあって…。

 

まあ、それはいい。

 

先輩が指摘したリタルダンドの部分である。

 

 

いまは、いろんな《運命》を聴くようになったが、たしかにここで遅くなる演奏は、現代ではあまりないのかもしれない。僕の聞いた範囲でしか分からないのだけれど。

 

マゼールの「ベストクラシック100」の写真を見ると、先輩との他愛のないエピソードをいろいろと思い出す。

 

先輩は当然、一年早く社会人になり、しばらくは先輩の勤務先に近い上野・不忍池周辺や根津・湯島あたりで会っては、食事をしたり映画を見たり、美術館に行ったりしていた。

 

しかし、若いころの社会人と学生の「差」というのは、ずいぶんあるわけで、少なくとも僕にとっては、それは残酷だった。

 

ある夜、御徒町の釜めし屋で食事をした帰り、池之端あたりだったか、先輩は僕にエルガーの《エニグマ》のCDをプレゼントしてくれた。その頃から、話題が合わなくなったり、なんとなく会える時間帯が合わなくなったりして、すれ違いも多くなり、二人はしだいに疎遠になっていった。

 

そして、いつの間にか会うこともなくなっていた。

 

《エニグマ》とは「謎」という意味である。CDの演奏者は、僕の好きなシャルル・デュトワ指揮/モントリオール交響楽団だった。

 

 

一枚のCDと、「謎」だけを残して、先輩は、僕の前からいなくなってしまったのだ。間違いなく、原因は僕の方にあった、といまは思う。

 

最近、俳優の堀田真由さんをテレビでお見受けするたびに、先輩のことを思い出す。面影がちょっと似ていた。

 

僕はいまでも、東京大学とか本郷とか根津と湯島とかにはあまり行かない。苦手なエリアだ。あの辺りは、何十年経っても空気が変わらない気がする。高層ビルはいっぱい建っているのに変わらない。だからいつだって、行くと息苦しくなってしまう。

 

 

 

無縁坂。思い出の地だが名称が皮肉。

 

 

 

108円のCDには、思い出もたくさん詰まっている。