TSUTAYAさんのレンタル店が次々になくなって、2022年は約130店舗が閉店したそうである。

 

とうとう、最寄りのTSUTAYAの2店舗が、この夏をもって店を閉じる。

 

けれど、特に支障があるわけではない。約10年前、今の場所に引っ越してきてすぐに、会員証の利用店舗登録を変更し、それ以来、5~6回利用したと思うが、借りたのはもっぱらCDのみで、映像系はVHSもDVDも借りたことはなかった。

 

次は我が身、と思っているのは「ブック●フ」さんあたりであろうか。CD、DVDの売り上げがとても酷そうだ。どこの店に行っても、円盤はとにかく「叩き売り」状態。

 

そもそも、デジタルものは、購入してもコピーしてPCに保存できてしまうから、みんな新品で購入しても、すぐに手放してしまう。かく言う私もその類いなのだけれど。

 

で、レコード盤を置くようになった店舗が増えた。

 

レコードは、ちゃんと原音のままダビングできるメディアが普及していないから、買っても転売しない。昔はレンタル・レコード店から借りて、みんな自宅の「高級デッキ」で「原音忠実性」を重視してダビングして聴いていた。

 

CDが当たり前のメディアとなって、「貸しレコ」は「貸しCD」となり、1990年以降はDATで無劣化ダビング、1998年ごろにはCD-Rの民生用デッキ機器でコピー可能となった(MDは音質劣化するのでここには含めない)。

 

2000年を過ぎると、安易にPCのCD-Rドライブでコピー盤を作ることができるようになった。

 

そしていまや、「ダビング」(=コピー)すら死語となってしまった。ストリーミングにサブスクに…。もはや、メディアを自分の「手元に取っておく必要」がなくなってしまった。

 

「手元に取っておく必要」のあるメディア、しかもコピーができない「本物のメディア」だけが生き残ったのかもしれない。

 

雑誌は上記には含まれないために、今年は廃刊になった雑誌が増えた。雑誌とは電話帳のようなもので、いくら中の情報が多くても、すぐに古くなり、使えなくなってしまう。

 

 

一方、いくら薄っぺらでも、時空を超えて普遍的なものは、いずれ「古典」になる。

 

そうか…。「古典」だけが「残る」ということが言えるのかもしれない。

 

というわけで今日は、昨日ブック●フで買った下記のレコードを聴いている。なんと、63年前の録音。クララ・ハスキルは、亡くなる1か月前にこのレコードを吹き込んだのだそうである。アートワークを見るに相当なご高齢に見えるが、ということは、19世紀後半にお生まれになった方ということになる。

 

 

後期の浪漫派や国民学派などの音楽と、生きている時代が同一だったアーティスト…。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲(20番も24番も短調=僕の大好物)はまるで、夢か現(うつつ)か、の世界。

 

にもかかわらず63年前の音は、輪郭を伴って僕の心に届く。


こうして「古典」だけが「残って」いくのかもしれない。