安全地帯ライブ WE'RE ALIVE(1984年)

 

昨年末に、安全地帯のドラマーである田中裕二が亡くなって、「ああ、もう田中さんのドラムが観れないのかあ…」としばらく感傷に浸っていた。

 

でも、「アーティスト」の素晴らしさは、自身が亡くなっても「作品は残る」ということだろう。本当に羨ましい事実である。自分なんて、死んだら子供しか残らないと思う。

 

しかし、「子孫」が残ればまだ「マシ」だとは思う。生を受けて、がんばって生きてきた意味があったと思えるだろうから。

 

閑話休題。

 

田中さんがこの世に残してくださった「作品」を味わうことは、これからも可能だ。しかし、僕は安全地帯のライブ・ビデオを、1985年の横浜スタジアム(『ONE NIGHT THEATER』)と、1987年の日本武道館(『TO ME』)しか所有していない。

 

ということで、安全地帯の初ライブ・ビデオを入手し、若き頃の田中裕二のドラミングを堪能することにした。現在もDVDが出ているようであったが、少しでも安く済ますために、VHSテープ版をメルカリで購入してみた。

 

Panasonic NV-HXB55(Hi-Fi-VHS)

 

我が家のビデオデッキは、いまだ現役である。2008年ごろに一回、当時住んでいた町の信頼できるオーディオ・ショップに頼んで、店長に手ずから修理してもらったきり、故障知らずである。

 

一緒に持っていったHITACHIのS-VHS機の修理は拒まれたが、このPanasonic機は「すぐ直るよ」と引き受けてくれた。訊くに、数が売れない機種の部品は入手困難で、しかも高いらしい。その点、PanaのVHS機は修理部品を他機種と共用化しているために、価格がめちゃめちゃ安く、翌日には部品も手に入り、しかも修理が簡単なのだそうだ。

 

さあて、HDD経由でDVD-Rにダビングを終え、『安全地帯ライブ WE'RE ALIVE』を味わう。1984年の夏、渋谷公会堂で行われたライブの模様を収録したものだ。

 

素晴らしい演奏の数々。

 

若き日の田中裕二のドラミングは、実にダイナミックである。ハードなノリで、バンドをぐんぐん引っ張っていく。これ以後のビデオが、玉置浩二中心のアングルばかりなのに対し、このビデオは、けっこう「バックメン」にも焦点を当てていて、田中のドラミングをつぶさに見たい、僕みたいなマニアには最良の教材となる。

 

『安全地帯ライブ WE'RE ALIVE』より

 

「大発見」はスネア・ドラム。見覚えのある鉛筆型六角形のポスト。フリー・フローティングである! これには感激。ピカピカ光っているのでシェルは、木胴ではなくてスチールかブラスであろう。ますます自分の所有するフリー・フローティング(僕のはバーチ・シェル)を大事にしたくなった。

 

(同)

 

タム類のシェルの色は、(田中さん不動の)「ブラック」であるが、シェルの材質までは分からない。REMOピンストライプ(ドラムヘッド)の向こうから木目が透けているようにも思えるので、ひょっとしたら(ファイバーグラスではなく)メイプルかバーチなのかもしれない。

 

(同)

 

マウントされたシングルヘッド・タムの表ヘッドは、REMOピンストライプだが、フロア・タムはREMOクリアのようである。どちらも布かティッシュかを厚めに使い、黒いガムテでミュートしてある。

 

シンバル類は、この頃から既にセイビアンの奇数インチと18インチのようだ。15インチのメイン・クラッシュは本当に良い音がして、田中さんらしさ(安全地帯らしさ)を醸し出している。

 

(同)

 

今後、安全地帯がライブ盤を出すとして、もう、こういうクレジットは入らなくなるのだな…と思うと寂しくなる。

 

いろいろと勉強になるビデオだった。

 

そして、僕は決めたのだ。

 

老後には、このヴァージョンのドラム・セットとシンバルを蒐集することにしよう、と。

 

さらに、先日から僕は「レギュラー・グリップ」の左手の強化練習に取り組んでいる。実は、田中さんのコピーをしている時でさえ、僕は左手をレギュラー・グリップにしたことはなかった。

 

僕のレギュラー・グリップは、30歳ぐらいの時に観たデイヴ・ウェックルの教則ビデオがお手本となっているので、田中さんの握りとはだいぶ違う。それを、思い切って「田中流レギュラー・グリップ」に自らの左手を改造しようと心に決めたのである。

 

目標ができたので、とにかく愉しい。目下、ドラム練習パッドが僕の友達である。