そろそろ夏休みも終わりとなりますので、安全地帯の話題は今日を最後にしばらくお休みしたいと思います。次の記事は、《夢の都》のレコードを手に入れた頃でしょうか。コンサート・ツアーの話題に触れることができたら、なお嬉しいです。

 

安全地帯Ⅴ(1986年,キティレコード)

 

さて、今日は『安全地帯Ⅴ』についてです。今日のテーマは、20年ぐらい前から温めていた内容なので、ついにこの日が来たか、とちょっと感慨深いです。

 

私はこのアルバムを、1986年当時、貸しレコで借りて、カセットにダビングして聴いていました。その後、CDプレーヤーを購入したことでCDが聴けるようになり、1990年に再発売されたCDを買いました。いまでは3枚組のLPも所有しています。

 

貸しレコの時はチェックしてなかったので、この時、ブックレットを見てショックだったことがあります。

 

ドラマーのクレジットに、安全地帯のドラマーの田中裕二さんだけでなく、「長谷部徹」と「ミルトン富田」の名が刻まれていたからなのです。

 

長谷部徹さんは、ザ・スクェアの元ドラマーで、知らない人がいないんじゃないかというほど有名です。

 

 

特に僕は当時、「吹奏楽の人」でしたから、《マジック》とか《宝島》とか《オーメンズ・オブ・ラブ》とかの元曲をよく聞いていたものです。

《宝島》のドラムは、則武裕之氏でした。訂正します。

 

ミルトン富田さんという方は、寡聞にして存じ上げませんでした。当時はインターネットもないですし、まったく情報がありませんでした。

 

 

いずれにしてもショックでした。田中裕二さんのドラミングの大ファンだった僕は、当然、すべての楽曲を田中さんが演奏なさっていると信じていたのわけですから。

 

「すごいな! こんな技もあるのか!」とか、「こんな音色も出せるのか!」とか、「あえていつものドラムセットを使わず、冒険されているな!」とか、本当の事情を知らずに、そんなことを勝手に想像して、聴いていたのですから…。言い方は失礼ですが、まあ、ちょっと騙されたような気持ちにもなりました。

 

安全地帯のコピーバンドを本格的に始めたのは、大学2年になったばかりのころだと思います。当時、好きだった女の子が安全地帯(というか玉置浩二さん)の大ファンだったので、安全地帯の曲で、彼女を僕らのライブに誘い出そうと思ったのが動機です。(不純で恥ずかしいです)

 

よく練習しました。《マスカレード》とかですね、《真夜中すぎの恋》だとかですね、《ブルーに泣いてる》とかですね。オープニングにはいつも《彼女は何かを知っている》をやってました。《Happiness》のためにシンドラまで用意したんですが、死ぬほど難しかったので、一回で止めてしまいました。

 

いま考えて、良かったと思うのは、ヴォーカリストがそこそこ上手かった、というか「聴かせられる」ヤツだったということです。高校時代から一緒にやってきた同級生で、ちゃんと平尾昌晃にレッスンを受けに行っていました。そいつはルックスも良かったので、高校時代のバンドは盛り上がりましたね。ヴォーカルが上手くないと、ドラムをやっていてもつまらないんですよね。あくまでバンドは歌が命なので。

 

話が脱線したので戻します。

 

それで、それほど好きだった田中裕二さんなのですが、ある時思ったのです。『安全地帯Ⅴ』で実際に田中さんが演奏しているのは、どの曲なのだろうかと。自分にそれが聴き分けられるのかと。

 

 

それでやってみたのですが、この聴き分けが意外と難しかった。すぐ分かるのもあれば、まったく分からないのもあるのです。

 

 

まずは、田中さんのドラムセットとドラミングの癖、レコーディングなどから見ていきました。参考になったのはドラムマガジンの記事です。シンバルが奇数インチのセイビアンAAで揃えられていました。メインのクラッシュが15インチのセイビアンAAです。アクセントには同じシンバルの10インチのスプラッシュを多用しています。

 

 

 

次の特長がタムの音色です。シングルヘッド・タムの大口径・深胴を使っていらっしゃいました。あのサスティーンの少ないクリアで、ローピッチなサウンド。そして、ミックスの仕方が独特で、小さい口径のタムから低い音に向かって、「L」チャンネル側から「R」チャンネルに向かってPANします。普通はこの逆なのですが、そうしたのは、田中さんが本来左利きであることと関係があるのかもしれません。

 

 

長谷部徹さんは、田中さんと同じPearlドラムとSABIANシンバルのエンドーサー(当時)でしたが、フュージョン・バンドらしく、スネアはSONORを使ったりして、より深い音を求め、シンバルは薄めで、あまり突出しない(ハイピッチではない)口径の大きめのものをお使いでした。

 

ミルトン富田さんは、もうまったく分かりませんでしたので、なんとなく長谷部さんでなければ、ミルトンさんかなあ…という程度で聴き分け作業をはじめました。

 

その結果が、次の表になります!

 

 

PDF版

 

前述のように20年ほど温めていた内容なので、この表を作り始めたのは、たぶん今世紀に入ったころ(西暦2001年ごろ)のことです。そして、このアルバムを聴き直し、「おかしいかな」と思うことがあれば、その都度、小修正を重ねてきました。

 

 

でも、正直言うと自信はなくて、「8割以上正解」だったら嬉しいかな、というのが本音です。実際は、いったいどうなのでしょうか。

 

 

今後、もし田中裕二さんとお話しする機会があれば、その時は絶対にこの表をお見せして、「答え合わせ」をしていただけたら超幸せだなあ…と思っています。