虹色の扉/オリビア・ニュートン・ジョン(1981)
訃報に接して、仕事帰りにLPを入手した。夢中になっていたのは、僕の少し上の世代のお兄さん・お姉さんだった。でも、このレコードの《フィジカル》だけは、よく流れていたから、知っている。長いギター・ソロは、スティーヴ・ルカサーの仕事であると、歌詞カードにクレジットされていた。
いま、全曲を通して聴いてみて、どれも良い曲ばかりで、なんでいままで聴く機会がなかったのかと不思議に思う。
こういう音作りの音楽は、なんだか安心する。
水のなかの妖精/オリビア・ニュートン・ジョン(1976)
もう一枚、こちらは、『フィジカル』の系統とは、また違う魅力のあるレコードだと思った。80年代の音作りは、僕ら世代には「安心する」が、これは「70年代」という括りになるのだろう、直感的に、「ああ、母親の世代の音楽」という感じがしてしまう。
我が家は、父が「邦楽の人」で、母が「洋楽の人」だった。
そんな母に、カーペンターズが1976年に来日したときの公演に連れていかれた記憶が少し残っているが、そのあたりの時代の空気を思い出させてくれる。それは、音楽的な内容や、歌唱によるものではなく、単にレコーディングの流儀や流行(はや)りによるものだと思う。オン・マイクのマルチ録音で、スネアもバスドラも「パタパタ」と乾燥しているようなデッドな音作りだ。それでいて、ハイハットやシンバルは分厚くて、距離感が近い。
結局、いつも書くことは同じなのだが、レコードが売られていた頃の作品は、レコードで買うべきものなのだ。さらに言えば、オーディオ機器も、そうした特性のもので揃えて聴くべきなのではなかろうか。
いま、僕は1981年製のレコード・プレーヤーとインテグレーテッド・アンプ、1979年製のラウド・スピーカーで、上記のような音楽(レコード)を聴いている。90年代以降に揃えた機器には、ひとまず休暇を与えた。
だからかもしれないが、いま、レコードを聴くのが本当に楽しい。
「追悼」オリビア・ニュートン・ジョンさん。
2022.8.13追記
カセットテープ(TDK AD46)にダビングして聴いている。インデックス・カードも、昔みたいにレタリングシートを使わずとも、Microsoft Excelできれいに印字できるので、音楽に愛着が増す。
素敵な時代になったものである。