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中1の夏休み以降、僕は野球部の活動から遠ざかるようになった。「遠ざかる」なんてそんなかっこいいものじゃなくて、要は「サボる」ようになったということだ。友人のMも一緒にサボるようになった。学校に泊まる夏休みの合宿も、恒例の「1000本ノック」もちゃんと経験した後だったが、今考えると理不尽なシゴキのような指導に嫌気がさしていたのかもしれない。

 

当時は「水は飲むな」という指導法が当たり前だった。それでも練習中、Mと一緒にトイレに行くふりをして、よく水飲み場で身体の渇きを潤した。校庭に戻ると、小学校時代には仲良く共に野球をやって遊んでいた近所の先輩が、まるで豹変した顔つきで、「お前ら、水を飲んできたんじゃないだろうな!」と僕らを責めたてた。

 

当時の顧問のI先生に、今から10年ほど前、同窓会でお会いした。I先生は、僕を見るなり、「お前は理屈っぽい奴だったな」と言ってちょっと懐かしそうな表情をした。そうか、俺は理屈っぽいヤツだったのか。まったく覚えてないのだが、先生曰く、教師が何かヘンなことを言うと、ぼそぼそと聞えるか聞こえないかぐらいの声で正論を吐く…そんな生徒だったという。

 

そんな生徒、絶対に、イヤだ。I先生はF先生と同類で、すぐに拳が上がる教師だったが、そんな悪い生徒でも僕は体罰を受けたことがなかった。先生もよく我慢したと思う。ほんとうに尊敬してしまう。

 

そんな話じゃない。ビクターのカセットデッキだ。

 

野球部から遠ざかった僕の学校における居場所は放送室だった。放送委員会の先輩は2年生も3年生も、みな親切で、いろいろなことを教えてもらった。アナウンスをやりたくて入ってきた女子の先輩も多かったから、放送委員会は(野球部とは違って)自主的な活動ができる組織だった。

 

秋の体育祭の準備が始まった。放送席での役割は「入場」「演技中」「退場」の音楽をかけることと、「実況アナウンス」が主なものだ。最近の生徒が、iPhoneの音源ををBTで飛ばしてミキサーで受け、自由自在に「一発頭出し」(死語)しているのを見ると、時代は変わったな…と感慨深いものがある。とにかく、昔は大変だった。CDもまだない時代、レコード盤を次々に載せ替え、一度フェーダーを0に戻し、指定されたトラックに針を落としてから、再度フェーダーを上げていく…という一連の作業は、本当に骨の折れるものだった。

 

そこで、僕が考えたのが、カセットデッキを併用する方法である。小学校の時の放送委員会ではカセットデッキがなかったので、音はすべてレコードで出していた。だから、盤の交換が間に合わず、次のプログラムも同じ曲を流す…なんてことがよくあった。

 

一方、新設のM中には新品のカセットデッキがある。あらかじめ「演技曲」を録音しておいたテープをかければ、レコードの交換もスムーズにいくのではないかと思ったのだ。

 

委員長のK先輩が、その案を聞き入れてくれた。そして、「それなら、入場、演技中、退場の曲をあらかじめ一本に編集して録音しておいたらいいんじゃない?」と言った。

 

でも、それではうまくいかないのだ。カセットデッキが2台あれば可能だが、1台ではテープの頭出し(ミュージック・サーチ)が間に合わないのだ。例えば、入場の曲が終わって、演技に入るときに次の曲を瞬時にサーチできないので、何10秒かプログラムがストップしてしまうわけなのである。CDやMD、または現在のようなシリコン・オーディオなら、この問題は一挙に解決なのだが…。

 

結局、次のようにレコードと併用するのが最善だった。

 

「入場曲」(マーチなど)…レコード

「演技曲」(ダンス曲・演技BGM)…テープ

「退場曲」(駆け足など)…レコード

 

こうすれば、レコード盤をひっくり返したり交換したりする時間的な余裕も稼げるのだ。

 

思ったよりも大変だったのがテープへの録音作業だった。顧問のF先生がカセット(SONY SHF)を大量に買ってくれた。放課後になると、毎日、放送室でレコードからテープへのダビング作業である。音源によって音量が違うから、一度RECポーズの状態で録音レヴェルを決めておいてから、改めてプレイボタンを押下しなければならない。

 

 

時間はあっという間に過ぎ、下校放送の担当者がやってくる。「卓」は校内放送に使うため、ダビング作業は一時中断、気づけば自分たちも下校しないと怒られる時間になってしまう。

 

体育祭まであと1週間という頃、F先生が申し訳なさそうな顔で僕に言った。

 

「放課後はなかなか時間が取れないから大変だよね、もし可能なら、家で録音テープを編集もらうことはできるかな。カセットデッキは貸してあげるから…」

 

カセットデッキ、Victor KD-D33を僕に貸してくれる…!?

 

冷静を装って、「はい」と答えた僕の顔は、きっと喜びに満ち溢れていたことであろう。

 

つづく