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ベートーヴェン:
交響曲第5番ハ短調作品67《運命》
ブラームス:
ヴァイオリン協奏曲二長調作品77 
 
チョン・キョン=ファ(Vn.)
サイモン・ラトル 指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 
(2000,EMI)
 
 

 
仕事が早く終わると、ちょっと寄り道したくなるときがある。その行き先の有力候補の一つが伊勢佐木モール。「伊勢佐木町」という地名は、なんとなく特別な響きを伴う。
 
中学時代、親父は仕事の拠点を横浜の松坂屋周辺にしていた。そのころ、よく手伝い(バイト)に借り出されたのを思い出す。そのころの俺らといえば、町田、たまプラ、多摩川を越えて二子玉、渋谷辺りが遊びや買い物の主なエリアだったから、いわゆる横浜の中心地周辺にはほとんど縁がなかった。
 
しかし、昭和18年生まれの親父にとっては「横浜」こそ“都会”と思える場所だったようだ。東急田園都市線が横浜市に延伸してきたのは、意外に遅くて昭和40年代初め。それまで東京へ行く手段がなかった当地の人々は、何か珍しいものの買い物といえば、川和の役場あたりからバスに乗って、いまの横浜・上麻生道路を延々と南下して伊勢佐木町へ繰り出したのだそうである。
 
親父も中学時代、父親(僕の祖父)に連れられてギターを買ってもらいに伊勢佐木町まで来たと語っていた。祖父のいでたちは、野良着に長靴だったそうである。父にすれば、そりゃ恥ずかしくて仕方なかったことだろう。田舎者の笑えるエピソードだ。
 
当時は伊勢佐木モールに大きな楽器屋があったのだと思う。少し前までレコードだけは売っていたような気がするが、今はない。親父は15年ぐらい前まで、ミュージック・テープは必ず伊勢佐木町で買うという変なこだわりを持っていた。たしかに、CDならともかく、ミュージック・テープとなると、売っている場所が限られていた。
 
ほんと、「伊勢佐木町には20年前までは、いろんな店があったよ」とあちらこちらから耳にする。でも、僕には何を言われてもまったくピンとこない。なにしろ、超ストレンジャーなのだ。
 
さて、では現在の伊勢佐木モールで何を楽しむかというと、なんとも地味に「ブッ○オフ」なのである。
 
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その前に日高屋や立ち飲み屋で一杯やったり、富士そば食ったり、吉牛食ったり、長崎ちゃんぽん食ったりする。有隣堂とその前で繰り広げられる古本ワゴンは必須である。大型書店の入り口で古本屋がワゴンセールやってる状況って、なんか、すごくないか。
 
神奈川が誇る有隣堂は、あの風情のあるビルヂィングがなんともいえない。東京のお上品な書店(○善とか、ブック○ーストとか、リ○ロ)とはまったく趣が違う。また、それがいい。鉄道コーナーとか、ほんと感動する。地図コーナーには「横浜俯瞰図」なんてのがあって、今度買う予定。
 
最後にたどり着くブッ○オフ。ここでは、CDの500円コーナーしか見ない。結構良いのがある場合は、まとめて買う。でも、先日、失敗もあった。クレンペラーの《大地の歌》を見つけたら、不良盤だった。レシートは受け取らない習慣があるので、返品が利かずにバカを見た。《大地の歌》はジュリーニ&ベルリン・フィル盤にツバをつけてある。鶴見店と平沼橋店に同じ盤がともに500円で出ている。
 
サイモン・ラトルのCDは、我が家に「第九」しかない。特に興味もなかったが、500円だから買ってあげることにした。
 
不思議なんだが、伊勢佐木モールのベンチに座って、ポータブルCDプレーヤーのディスクの入れ替えをしていても、まったく違和感を覚えない。これが渋谷なんかだと、恥ずかしくてできやしない。東京はエレガントだ。でっかいポータブルCDプレーヤーなんかをバッグから取り出したりしたら、ぜったい変なおじさん扱いされるに決まってる。
 
メンタルが完全に横浜人。
 
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大岡川沿いへ抜ける日ノ出町駅までの短絡ルートを歩きながら聴くサイモン・ラトル&ウィーン・フィルの《運命》は、呼吸が荒くなるほどの官能的な音楽だった。ネオンがチカチカしていた。目がクラクラした。四方八方に巧みな誘惑が潜んでいた。
 
ラトルとウィーン・フィルが相思相愛で目合っている。
 
驚いた。ラトルってこんなに耽美的だったのか。シテの情動を受け止めて一糸乱れぬウィーン・フィルも、相当なる変態だ。これはライヴ盤のはずだが、客演指揮者なのにこんなにぴたっと肌合いが密着していてよろしいものなのだろうか、モラル的に。