昨夜、エネルギーを相手に向けることで、写真にそれが写り、
そのエネルギーを見る人が感じることこそが、写真を見ることなのだと書いた。
それは、絵をみるとよく分かるかもしれない。
「絵」というのは、見る人のために描いてない絵が多いような気がする。
しかし、そこにはエネルギーを感じる。
絵を描く人のエネルギーで有り、そこに込められた絵自体のエネルギーだ。
わかりやすいのは、ピカソを代表とした、正直言って、何が書いてあるのか
よく分からない絵。
小学生の落書きとの違いは、そこに書かれた内容ではなく、
エネルギーだ。
そう言われると、簡単に誰でも理解が出来るのではないかと思う。
絵は、写真のように一瞬のエネルギーではなく、
長い時間をかけて、ほとんどの場合が、たった一人の集中したエネルギーが注ぎ込まれている。
書いているそのものの、エネルギーを絵に移し込めようともしているのだろう。
ピカソなど、目で見てもよく分からない絵を、評価する人は、
きっと、そこから感じる莫大なエネルギーを感じ取ったときに、
その絵のすばらしさを評価しているのではないだろうか?
写真も、一瞬のエネルギーを写真の中に
入れ込むことで、見た人に感じてもらうことが出来る。
僕が撮影する、お見合い写真やビジネス写真、オーディション写真などは、
見る人に影響を与えることを大前提としているので、
エネルギーは、見る人に向けて発する。
しかし、報道などは、そこに写る人自体のエネルギーを移し込む。
写される側は、見る人のことなど、これっぽっちも考えていない。
逆に、そんなことを考えてエネルギーを発していたら、報道写真として面白くない。
だから、フォトグラファーは、膨大なエネルギーを発している人物を探して、
その状態を写しこむのだ。