9月下旬うちの会社は中間決算を迎える。締日の20日は土曜出勤、さらに21日は棚卸しのため日曜出勤……3月の本決算時期と合わせて、年に2回の働き詰めの週末だ。

子供のいないうちの夫婦の場合、妻にとっては実に退屈な週末となる。その為妻は金曜日の晩から実家へ帰ることになった。

マイカー通勤の妻は仕事を終えた後、そのまま車で俺の職場へ向かい、そこからは電車で帰省。替わりに俺が車で自宅へ帰るという段取りだ。

19時過ぎに仕事を終え、独り車を運転しながら帰路に着く。都心の職場から自宅までは、それなりに距離がある。まあ俺にとっては3月以来、半年ぶりの独身生活だ。帰宅してもこれといった用事はない。あえて高速に乗らず地道でのんびり帰ることにしよう。

途中で手短に夕飯を済ませる為、ファーストフード店に入ると……俺の脳裏に、またあの願望が浮かぶ……【アンナと食事に行きたい】……妻が帰省する週末は毎回この願望と闘うことになる。

2ヶ月前の7月、アンナの在籍店に設定された【デートコース】という方法で、この願望は実現された。アンナと食事ができることの楽しさ、幸福感を実感した一日だった。

その幸福感を実感した後だからこそ、より一層願望は強くなる。しかし過去の独身生活の週末と同様……俺の物分かりのいい理性と、アンナに嫌われたくないという臆病さ……この2つは俺の心に居座り続けている……
「俺と時間を合わせた為に帰りが遅くなってしまってゴメンな?こっちこそありがと!」俺も素直な感謝の気持ちを伝える。

もともと空いていた普通電車だが、都心からそれなりに離れたこの辺りまで来ると、さらに乗客は少なめだ。車両の両壁面に備え付けられた6~7人掛けのシート。そのシートに、それぞれ1~3人ぐらいの利用率だ。

俺とアンナの正面のシートには、中年の男性が一人居眠りをしているだけだ。俺はすばやく左右に目を遣り、誰もこちらを見ていないことを確認してから、右隣りに座るアンナの左頬にすばやくキスをした。

「もう…照れる……」アンナは頬を少し赤らめながら、俯き加減になる。そんなアンナが最高に可愛い。

「ゴメンゴメン!我慢できなくて……」余裕を装いながらも、俺も周囲が気になり、左右を見回す。

いよいよ電車は【B駅】に到着し、俺はシートから立ち上がった。「深夜だから気をつけて帰ってな?」

「うん!ありがと!おやすみ!」俯いていたアンナが、笑顔で顔を上げる。

俺は降車し、手を振るアンナを乗せた電車が、視界から消え去るまで駅のホームで見送った。

1ヶ月前にデートコースで味わった夢のような2時間。ほんとの恋人同士のように過ごした幸せなひと時。今日の約1時間の電車デートは、その延長のように思えた。

しかも今回はアンナから誘ってくれた。俺はそれが最高に嬉しかった。
俺の右隣りに座るアンナ……俺の右肩と彼女の左肩が触れ合う距離で談笑する。いまや毎月の定番となった散髪密会と全く同様のシチュエーションだが、今日は時間に余裕がある上に、二人とも仕事終わりのせいだろうか?どこか気楽な開放感がある。

よく笑って、時には真剣な顔をして……表情豊かなアンナを見ていると、抱きしめたくなるぐらいに愛おしい。

疎らながらも、各駅で少しずつ、そして急行停車駅では大幅に乗客が入れ替わる。そんな中、俺達二人だけがずっと同じ席に座っている。乗車前に買ったペットボトルを飲みながら、いろんな話をしていると、まるでこの時間が永遠に続くかのように錯覚してしまう。

しかし今日は下りの最終電車だ。俺も乗り過ごすわけにはいかない。アンナと談笑しながらも、各駅に停車するごとに駅ホームの標示板を確認する。一駅一駅と俺の降車駅【B駅】が近付いてくる……その度に俺の心に寂しさが入り混じる……

そしていつもと同様に、早過ぎる二人の時間は終わりを迎える……【B駅】に停車するために、電車が速度を落とし始めたのをきっかけに、俺から別れの言葉をかける。「あ~あ、もうお別れだね…」名残惜しいが仕方がない……

「ほんと早いね?カラオケも途中で抜けてくれてありがとうね?」決して上辺ではなく、気持ちのこもった目でアンナが返してくれる。