犯人はともかくまずはお前らが死刑になりゃいいんだ

でもこのあとニュースで中田のインタビューがあるから

それ見てから考えるとしようか

LOVEよく冷えております

時代の向かい風も受けて

~LOVEはじめました~ Mr.Children

僕もこの状態だったんじゃないか?
「13階段」を読んだ後に痛感した。
4年間法学部にいながら「死刑制度」というものを真剣に考えた事がなかった。
それは僕から遠い世界の出来事だと思ってた。

ここではっきりさせておきたいのが僕は死刑制度には賛成だ。
これは昔から変わっていない。
それでも今回考えさせられる事は多かった。

まずは刑罰は何のためにあるのかという問題。
一つ目に犯罪者への報復であるとする応報系思想。
二つ目に犯罪者を教育改善して、社会的脅威を取り除くという目的刑思想。

僕はどちらの思想も織り交ぜるべきだとは思うが、応報刑思想の方の立場をとる。
カントは「絶対応報こそ刑罰の根本義である」と言っている。
僕達は法治国家に住む以上このルールを守るべきではないか。
そもそも法治国家とは便宜的に作られたものに過ぎないのだから、「守らなければならないから守る」という理由にしかならないのだが。
それでも理論としての答えはある。

理論としての説明。
刑罰はなぜ存在するのか?
それは復讐による無秩序状態を回避するため。
被害者の関係者が加害者に復讐をするという事になれば、社会は復讐だらけの無秩序状態に陥るだろう。
よって今の日本では私人による復讐は認めらていない。
罪を犯した者は公である国に裁かれる。
こうして秩序というものが守られているのだ。

僕の感情論。
仮に僕の親しい人が殺されれば、僕は確実にそいつを殺そうとするだろう。
犯した罪を同じように味あわせてやる。

けどさっきも書いたようにそんな事をしては秩序というものは守られない。
ならばせめて法律の中で死というものを与えさせたい。
やはりこう考える人が多いのではないだろうか?

しかし、ここで一つの問題が持ち上がる。
もし遺族が加害者を赦したとしたら?
しかも、死刑判決の後で加害者を赦したとしたら?
これは応報刑思想の理論を完全に破壊する。
しかし、この場合でも法治国家としては法の下に死刑を執行せざるを得ない。

死刑制度にはこのようなたくさんのジレンマが存在する。
事件の形は無数にあるにも関わらず、裁くべき法律は一つしかない。
ここに問題があるんだと思うが、そんな事を言っていては何も出来ない。
これが僕が法学部に入って思った事だ。

ここでは、死刑制度についてだけ取り上げましたが、「13階段」はそれだけではありません。
この小説はミステリーとしてメチャクチャ面白いです。
興味を持った方は是非読んでみてください。


死刑の存廃論議はにはな、人を感情的にさせる何かがあるんだ。
おそらくそれが、本能と理性の戦いだからだろう。
~「13階段」より抜粋~

人気Blogランキング みなさんの意見を聞いていると本当に死刑制度はデリケートな問題であるという事を感じます。ただそれでも僕は死刑制度には賛成です。それと同時に終身刑も取り入れるべきだと思います。選択の幅は広いほうがいい。僕は人を殺した人間は皆死刑にすればいいとは決して思ってない。そこには様々な事情がある。ただ、一人しか殺してないから死刑にならないだとか、三人殺したら死刑だとか、そんな基準で決めてほしくはない。一つ一つの事件をしっかりと審議して幅広い選択肢のもと裁判をしてもらいたい。そして出来るならば一度道を踏み外した人でも罪を悔いてしっかりと生きてもらいたい。ただ世の中にはそんな余地が残されていない人間もいる事は確かです。